【感想】ツリーハウス
私は父を思い出した。
祖父は満州鉄道の社員だったそうだ。
祖母は従軍看護婦。
どんな風に2人が知り合ったのかは分からないが、父は満州で双子として生まれ、10歳の時引き上げた。
祖母は4人の子供の内、父以外の3人を亡くしている。
戦後祖父はシベリアに抑留され、引き上げ船に乗った祖母と父、当時まだ生きていた2人の父の弟は
作中のヤエと泰造同様 親戚を頼り、居場所がなく、渡り鳥の様に北海道へ行った。
途中、シベリアから祖父も帰ってくる。
たまたま書いた 先日の記事にもちょっと触れている。
後に知ったのだが、祖父の兄(父の伯父でもあり、後の養父)は、一時北朝鮮で教師をしていたらしい。
戦争の影響で帰国する時は、地元の朝鮮人達に助けられ、一生分の恩があるとのこと。
どの戦争か分からないが、もしかしたら朝鮮戦争だったのかも知れない。
農作業をする姿しか知らないが、
なにか言った一言の意味が分からない時もあった。(既にそれも忘れたが)
孫の良嗣が、祖母のヤエや叔父の太二郎らの語る意味が分からないのとそれは同じだと思った。
言葉の裏には今まで生きた後悔や懺悔がくっ付いている。生きたその人しか分からない考え方や心の持ちようがある。
時代をかいくぐってきた人しかそれは分からない。
たまたまだが、一昨日
皇居乾通り一般公開で見学に行ってきた。
桜のこの時期1週間の公開にたくさんの人が集まっていた。
外国人もたくさんいた。
小雨だったので傘を差しながら歩いたが、桜はどれも満開。
隅田川や上野の様に群生してはおらず、歩いては桜、また歩いては桜と間隔をあけ咲いていた。
他にも山吹やお濠、中には入れない宮内庁の建物を見学した。
そこは広大な敷地で、しかも空気に気品がある。
敷地を歩ける事が桜よりワクワクした。
乾通りを抜け、乾門を出る。
その頃には雨も止んだので、北桔橋門から東御苑に入り直し散策したのだが、
その北桔橋門から見えた乾通りにふと足が止まった。
桜は確かに見てきたし、どれも満開だったが、桜のトンネルではなかったので 色合いまでは感じなかった。
傘をさしながらだったせいか、「止まらずに歩いてください」と宮内庁職員に促されていたせいか、
確かに桜は見たが、浮かれたわけではなかった。
なのに北桔橋門から見た乾通りは
淡いピンクの桜色をしていた。
ああ、あの中を歩いてきたのね。
あんなにきれいだったなんて。
通っている時は感じなかった。
もっと噛み締めればよかったと思った。
ああ、これって人生みたいだ。と思えた。
ツリーハウスを耳活中だった私は ヤエと泰造の人生が頼もしく感じていたし、昔亡くなった祖父母の人生を重ねて想像していたが、
きっと本人は必死に生き、周りを見るゆとりもなかっただろう。
それでも命の花を存分に咲かせたのではないかと感じている。
その時は分からなかったが、離れて客観視してみて初めて分かる。
立派に生きた人生だったではないのか。
遠くから見た乾通りの桜のように。
今生きている日本人は、内容は違くてもこんな風な過去を皆背負っているんだとも思える。
悲観したり、逃げたり、別れがあったり、しくじったりの日々でも、
生きる事さえ諦めなければ
ふと振り返った時、花は満開に咲いている。しくじったからこそ花は咲くんだと思えた。
花の真下にいる当人は気づかないだけなんだと思えた。
だから人を馬鹿にしてはいけないし、周りに飲み込まれてもいけない。
考えるのをやめて、誰かの言う通りにするのは
生きる事を諦めるのと同じだ。
自分の家族に違和感を感じていた主人公・良嗣は、祖母の心のおりを知り、今まで分からなかった言動を理解する。
どんな時代であれ、生きることは真剣勝負だ。
良嗣は良嗣の時代(令和)を生きてゆくのだろう。
壮大で心揺さぶる物語だった。
そうそう、以前 美輪明宏氏だったか(忘れたが)
自分の両親と祖父母の姓名を唱えるといい。と聞いたことがある。
全員のフルネームだ。
そして命の枝葉を知る、せめて名前を声に出して呼ぶ。
すると、不思議なことに何故か心がじんわり温かくなってくる。
おススメだ。
これって、マイツリーハウスだなと しみじみ感じるはずである。
祖父母が生きていた明かしはこの自分なのだから。
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