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「虚無への供物」を読んで ~落差抜群のジェットコースターへのお誘い~

「ドグラ・マグラ」「黒死館殺人事件 」と並んで日本三大奇書といわれる「虚無への供物」 を読了した。

気にはなっているが、まだ読んでないんだよなー、という人が多い印象の本なので、(私もかれこれ5年ほど積読状態だった)そんな人に向けて率直な感想を書く。結論から言うと、この本はもっと多くの人(特にミステリファン)に親しまれるべきものだと思っているので、少しでも興味を持ってもらえたら嬉しい。

まず、そもそもなぜこの本が”奇書”といわれるか、というと、端的に、アンチ・ミステリ小説だからである。アンチとは”反”ということで、従来のミステリとは真逆の思想が横たわっているということである。果たして、確かにそれはそうだった。ただ、個人的にこの「アンチ・ミステリ」という評判にはちょっと難があると思っていて、このために多くのミステリファン層が本書を手に取るのをためらっているのでは、と思うのだ。

かくいう私もそうで、上下巻の長編小説を読むからには、ある程度質を担保してほしい。(タイパなんてことば嫌いなんだけど…)しかし、「ドグラマグラ」や「黒死館殺人事件」と並列されて、しかもアンチ・ミステリなんて言われたら、「あぁ、純たるミステリとしては、楽しめないんだな、きっと難解・トリッキーな代物だ」と思ってしまうのではないか。ミステリファンは、古今東西名作ミステリに事欠かないから、あえてミステリかどうか疑わしい、いわば怪しい不純が香る”奇書”に踏み込まないのではなかろうか。

まずは、ここを訂正したい。この「虚無への供物」、極上のミステリである。そう言い切ってまず間違いない。おいおい、”反ミステリ”と言っていなかったか?と思われるだろうが、そう言われると確かにそれも間違っていない。本書は、極上のミステリ体験とアンチ・ミステリ体験が混在しているのだ。厳密にいえば、極上のミステリ体験の後、ジェットコースターを降りるようにアンチ・ミステリに帰結している。この急降下をして”奇書”と評されているわけだが、この急降下は、「楽しめればラッキー」くらいの感覚で良いと思う。私は、この急降下よりも、むしろそこへたどり着くまでのミステリ体験(極めて長い前段といえるかもしれない)に歓喜した。実際のジェットコースター同様、降下の場面は一瞬で、作品の大部分は、緻密かつ妖艶な事件の推理合戦なのである。
(きっと、”アンチ・ミステリ”を感じるのは、最終章だけだと思う)

さて、では何がどのように極上のミステリなのか紹介する。

本書はミステリには欠かせない3つの要素がバランスよく存在し、それらが絡みあい影響し合いながら、美しいミステリ世界を構築している。

1.ゾクゾクするモチーフの数々

まずは、これだ。これが本書の屋台骨である。ミステリ好きにはたまらないモチーフや好奇心をくすぐる仕掛けが、作中ふんだんに(本当に多い!)用いられている。

全てをあげるのは無理だし、楽しみを奪うことにもなりかねないので、いくつか紹介する。

・ゲイバーでのサロメの演劇
・アイヌの蛇神伝説
・シャンソン
・誕生石
・不思議の国のアリス(ワンダーランド)
・薔薇の呪い
・5色の不動明王
・麻雀合戦

アイヌの邪神(DELL.E 生成)

などなど(まだまだある)

これらの怪しげなモチーフや仕掛けが泡のごとく次々に浮かんでは、消える。ミステリ好きにはたまらない世界観と思う。

2.探偵のキャラ立ち

ミステリには欠かせない探偵。これもしっかり存在している。いや、”存在している”というレベルではなくて、”前面にのめり出してる”とでもいうべきキャラ立ちである。彼らのおかげで、ぐいぐい物語にのめり込める。登場人物全員探偵、というと言い過ぎになるが、ともかく、出る人出る人、皆推理をしたがって、それもまたおもしろい。この探偵たちの推理合戦が、本書の最大の見どころといってもいいと思う。

古典的な探偵(DELl.E 生成)

3.過去ミステリへのオマージュ

ミステリの世界では、古典作品へのオマージュはよく見られる光景。本作も例に漏れず、といったところだが、そのオマージュの数の多さよ!(笑)

・ホームズ、ワトソンに見立てた探偵役
・江戸川乱歩得意の禍々しい犯罪心理
・ジョン・ディスクン・カーの代名詞、不可能犯罪
・アガサ・クリスティの緻密な人間関係描写(特に誰もが犯人に見えるというあたりは、完全にクリスティ文学)
・「ノックスの十戒」を持ち出してメタ的に推理小説のルールをご丁寧に説明
・それぞれの密室殺人には、古典的テーマが隠れていて…

みたいな。ミステリの重箱かよっていう。

これら3要素が絡み合い、反響し合い、重厚な物語が一歩一歩進んでゆく。徹底的にミステリファンのツボを押さえているので、難解な部分もあるが、全く飽きない。むしろ、その難解さは、読み進めるのに邪魔にならない程度であるから、むしろ物語に”厚み”を加えるものとして、歓迎できる。

きっと序章を読んだ時点で思うに違いない。「こんなに濃密なミステリが、まだこんなに読めるの?」と。きっとこの感覚は、古典好きなミステリファンほど強いはずだ。

繰り返しになるが、本書は反ミステリでありながら、極上のミステリである。私が言いたいのは、アンチ・ミステリ、三大奇書という評価を理由に、本作がミステリファンの敬遠の対象になっているなら、本当にもったいないと思う、ということだ。

異世界への旅、好奇心の高鳴り、一言一句見逃せない緊張感。ミステリファンなら誰しも(いや、ミステリファンだからこそ)時を忘れる読書体験がきっと得られると思う。

さて、ここからは蛇足になるかもしれないけれど、アンチ・ミステリの部分について触れておく。ネタばれはしないので、安心してほしい。

反ミステリが露出するのは、最終局面(終章)である。本のページ数からいえば、一部分だけだ。だが、その”アンチ”は、まもなく時を遡って、作品全体を覆うことになる。いや、この作品だけではなく、オマージュとして引かれた過去の名作ミステリまでもがアンチテーゼを受けることとなる。

作者の中井は、生粋のミステリファンだ。ミステリを知り尽くしている名手である。そんな稀有な男が10年もの歳月をかけて書き上げたのが本作なのだが、ミステリを知り尽くした男のアンチ・ミステリは、迫力がある。

第4章まで、上記の3要素を巧みに絡ませながら極上ミステリを構築。ミステリファンの乗ったジェットコースターは、見たことのないミステリ高度(なんだそれ)まで上昇している。そこへきて、作者が作家人生をかけて放つアンチテーゼ!
ジェットコースターは、作品を超え、時空を超え、急スピードで落下し、我々にあらゆるミステリ経験の内省を促す。

何を言っているの?といわれそうだが、私にもわからない(笑)
とにかくそういうことである。

この落差を楽しめるかどうかは、人それぞれかもしれない。万人に受け入れられる思想ではないかもしれない。ただ、ミステリファンだからこそ、このアンチテーゼからは目を背けてはならない、という気もする。

なーんだ、結局、どこをとってもミステリファンのための作品じゃん。

そうなのだ。一番のミステリファンである作者がミステリファンのために書いた傑作であり劇薬、それが「虚無への供物」なのだ。

最後に余計なお世話だが、ちまちまと読み進めるのはおすすめしない。この本は一気呵成に読んで、読んで、読んで、物理的なスピードを保ったまま、ジェットコースターの急降下を感じるべきだ。一人でも読了の同胞が増えることを祈っている。ミステリ万歳!!ミステリに死あれ!!


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