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【超訳】ショーペンハウアー「幸福について」~本人に来てもらいました~
(墓から出てきたショーぺンハウアー爺)
お前ら、まだ「幸せって何だろう」とか言ってんのか?仕方ない。愚昧な民衆のために、今日は、<幸せとは何か>結論を教えてやろう。
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幸せの定義
まず、幸せの定義だな。そこのお前、言えるか?お前だよ、お前。言えない?情けない奴だな。耳かっぽじってよーく聞けよ。幸せってのはな、、、
生きていないよりは断然マシだと言えるような生活のこと
なんだよ。以上。自分は、それに当てはまるわって奴はここから先、読まんでもでもええぞ。解散!
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え、なになに?それじゃあまりにもだ?君らも求めるねぇ。もう少しだけ付き合ってやるよ。
人間の持つ3つの財産
(ショペ爺)
アリストテレスのパクリみたいになっちゃうけどさぁ、人間には3つの財産があるわけ。それ、すなわち、
①人の在り方に関するもの
②人の保有するもの
③人の印象の与え方
だね。ん?イメージできない?はいはい。
①は、自分に属する能力みたいなものだな。健康とか、美とか、性格とか、道徳とか、才能とか、知性とか、そんなんだ。
②は、持ってるものだな。家、車、財産、家族もこれだろうな。地位、名誉、血筋なんかもこれだ。
③は、人に持たれている印象だな。人気とか評判ってやつだ。
でな、お前ら、間違っても②や③を優先して求めるなよ?当前①にフォーカスするんだ。幸せは①からしか生まれん。その理由を解説してやろう。
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お前ら、幸せはどこで感じる?自分の内側だろう?心とか精神とか呼び方はどーでもええ。幸せは内側のものだろ?じゃあ、もしお前が汚い心を持っていると仮定してみろ。どんなに美しいものを見ても、どんな優しさに触れても、全然感動できんだろう。あるいは、味覚バカがいたとして、どんなに美味しい料理を食べたとしても、それは”豚に真珠”だ。意味がない。
言っていることが、わかるか?幸せは、外から降ってくるものではない。感じるもんなんだよ。それを<感じる装置><感じるフィルター>を少なからずお前らは持っとる。それを鍛えることが一番なわけ。汚れたフィルターでいくら美しい事物を受け取っても全くの無意味なの。そういう意味で②は幸せに間接的にしか関与できん。①こそ幸せに直結しているんだよ。
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ここからがもっと肝心だからついて来いよ。
人の在り方に関する財産
健康、美、性格、道徳、才能、知性これらが最高の財産であり、幸せの源泉だと言った。この部分をもう少し詳しく解説しておこう。
これらが最高の財産であるまた別の理由は、<死ぬまで常に自分とともにあるから>だ。
お前は、一度身につけた能力や才能を誰かにとられることはない。死ぬまでな。例え、貧乏になっても、孤独になっても、むしゃくしゃしても、馬鹿にされても、泣きたい夜も、それらはいつもお前の内にある。
もちろん、知識を忘れたり、筋肉は衰えたりするだろう。けれど、自分の中に必ずその財産は残っているものだ。安心して自らを磨くがよい。何はともあれ、自分の内側を、自分に属するものを研鑽するのだ。
健康と朗らかさについて
言い忘れておったが、①のなかにも優劣は存在するぞ?最強で最高で最も重要なのは健康だ。これを外せば幸せはない、と言っていい。
ここでいう健康とは無論、精神も含まれる。いいか、よーく聞けよ。健全な身体に宿る健全な精神が、お前らの幸せにとっては何よりも重要だ。健康以外の一切のものを軽く見ろ。おじいさんとの約束だ。
幸福の9割は健康なんだ。健康に恵まれれば、すべては享楽の対象だ。病める王より健康な愚民のほうが100倍幸せなんだよ。
でな、健康のためには運動しろよ?運動不足とかクソ過ぎて草も生えんぞ?毎日2時間は運動しろ。できない奴は、仕事を辞めてでもしろ。
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それから、<朗(ほが)らかさ>も特に重要だ。<朗らかである=幸せである>の公式は常に成り立つ。儂も「多く笑う者こそ幸福だ、多く泣く者こそ不幸だ」と何かの本で読んで、<何を当たり前のことを>と思ったもんだが、いやしかし、これこそ真理だったよ。
<朗らかさ>、がお前を訪れた時には、門という門、窓という窓を開け広げて、全力で迎え入れるようにしろ。それは、どんな心的状況よりも好ましい。
また、話は戻るが、健康でない人間が朗らかでいることは無理だ。朗らかさは、笑みと健康の産物なんだよ。
天与の才能について
ここまで準備できれば、幸せの高み、至高の幸せを目指すことができる。
すなわち、天から与えられた精神的活動に従事すること、だ。
文学かもしれん、音楽かもしれん、絵を描くことかも、映画を撮ることかも、哲学することか、物理か、生き物の研究か、何かは人それぞれだ。
儂が大好きなゲーテも言っておる、
才能に授かり、才能に生まれついたものは、この才能に生きることが最も美しい生き方だ
そのためには、クリアせねばならん課題が2つある。1つは、独立だ。才能が有り、精神的に高度になればなるほど、人と群れなくなる。いや、群れる必要がなくなると言った方がいいだろう。それは、外界からの刺激が要らないからだ。ほら、①と②の話を思い出せ。①が磨かれてくると、幸福は外から受け取るものではなく、内側から自然と湧き上がるものになる。社交的な場は不要なんだな。優れた精神、優れた知性、輝く才能は、日常にあふれる変哲もない光景を、幸福と生の奇跡へと変換する。ここに至って、人と群れる必要はなくなる。逆に、他人の存在が、邪魔だ、うるさいと感ぜられるであろう。
さて、もう一つは、余暇である。この世の人間というのは、食いぶちを稼がなくてはならない運命にある。その足枷は儂も認める。労働は、人間の仕方のない運命だ。だがな、幸運にも、あるいは、その才能によって、その労働をまぬがれる者もおるのだ。いやはやそれはとんでもないことだ。万人が憧れるところだろう。しかし、多くの場合、余暇を与えられた者は、退屈に苦しむ。いや、退屈に狂う。余暇というのは、選ばれし者のみが扱うことのできる究極の秘宝なのだよ。
いいか、この世における至高・究極の幸福というのは、精神的能力(才能などといっていい)に恵まれた人間が独立と余暇を持った状態のこと、をいうのだ。才能ある者にとって、余暇は退屈の巣窟ではない。余暇は世界を感じるために、人類の英知を集積するために、奇跡を起こすために、必要な膨大な資本である。お前が、選ばれし人間なのだとしたらここを目指すがよかろう。選ばれし者でないなら、健康と朗らかさをもって、良しとすればよかろう。
最後に人間の不幸について
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最後に、一つ不幸について話しておいてやろう。人間の不幸は、振り子構造をしている。つまり、<苦痛>と<退屈>を両極にしている。<苦痛>とは、困窮とか、痛みとか、恐怖とかそんなものを指す。
お前が今、苦痛から離れたところにいるなら、退屈を感じているだろう。退屈から離れていれば、苦痛を感じているだろう。人間の生とは、そんなものなのだ。
儂はここまで、この振り子の真ん中に位置する心がけを述べてきたにすぎん。健康や朗らかさは、<苦痛>を回避しようとしている。精神的能力・才能は、余暇を<退屈>ならざるものへ変換しようとしている。
お前が今、<苦痛>も<退屈>も感じていないようであれば、あっぱれ、お前は幸せな人間だ。それは確実に、<生きていないよりは断然マシだと言えるような生活>だと言ってよいだろう。
では、諸君。自分磨きに精を出して、せいぜい幸福に暮らしてくれ。儂は、墓で待ってるよ、じゃあな。
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