【アニメ感想文】ダンダダン ~男子諸君の心は掌の上~
今をときめく、ダンダダンである。
このアニメ、要注意である。
日本全国の男子の心をもてあそんでいるからである。
私はとっくに30歳を駆け抜けたおじさん予備軍だが、やはり男子なので、初心(ウブ)な心を、やはりもてあそばれているのである。
これはいかん。けしからん、というわけで物の怪とオカルトに対抗できるのは論理であり、システムであり、つまるところ文章であるから、今こうしてお祓いとして筆を執っているわけだ。
どうやら鳴り物入りのアニメのようだが、一体何が男子諸君を溺れさせているのか、解明していこう。
ダンダダンの色仕掛け
ダンダダンが、男子の心を離さない理由はいくつかあるが、筆頭にあがるのが、ヒロインの可愛さではないか。
これは相当、レベルが高い。勝気で明るい女子、しかも思いやりがあって、正直者。高倉健好きというエッジ。ビジュアルも申し分ない。素晴らしいのである。
ダンダダンはこの綾瀬桃ありきの作品だろう。このヒロインを見たくてダンダダンを見ている男子は8000万人はいる計算だ。
それで、である。ダンダダン製作委員会が汚いのは、綾瀬桃を脱がすからである。私は、それは卑怯だ!と提言したい。男子諸君を代弁して、そう言いたい。そんなもん、見るに決まっているのである。
これで第一話としてのツカミは、完璧だった。けしからん。
ここでも下着なのである。うーむ、けしからん。
このアニメが妖怪のように純朴な男子の心を絡め取ろうとしていることが分かっただろう。気を付けなければならないのだ。
さらに、このヒロインはなぜか、主人公のオタク男子といい感じになるのである。要は、学園恋愛っぽい要素が多分にある。しかも、この演出がうまい。あれっ?恋愛アニメでしたっけ?そういうジャンルでしたっけ?と「?」(いい意味で)が浮かんでくるようなクオリティなのだ。
モテない男子には、これは強烈な劇薬である。オタクである主人公がこんなかわいいヒロインと青春しちゃうんだから。これはもう、自らの身に同じことが明日にでもおこるかもしれない可能性をヒシヒシ感じちゃうのだ。
ああぁ、健気である。そんなことは、本当に宇宙人が襲ってでも来ない限りあり得ないのに、僕もあんな可愛いヒロインといい感じになれるかも!と錯覚させる製作者は、本当に残酷で人の心がない。
アクションはやっぱりすごい
それでいて、本業のアクションシーンもすごいのだから閉口する。
オカルト×SFという古今東西なぜだれも考えなかったんだろう、というレベルの天才的設定の中で、迫力の戦闘シーンが描かれる。
アクションシーンについて、なんというか、「こまけぇこたぁ、どうでもいい、少年漫画なんて勢いこそ命だぁ!」という感じである。ターボババアとの死闘なぞ、もう疾走感と勢いの権化みたいなものである。主人公(オカルン)の変身とヒロインの超能力が指数関数的に発揮されていく。そこに理屈や説明はない。
いっけー!!ーーーーーーーーーーというスパークがあるのみだ。
善良な男子諸君は、あぁ、もういいや。頭で考えるのやめよ。感じよ。というある種の諦めにさらされることとなる。「考えるな、感じろ!」という名言を知らない若造にとっては、これは未知なる経験だったに違いない。
え!?シリアスまでやるんですか
圧巻だったのは、アクロバティックさらさら、の回である。SNSでは、「全米が泣いた」レベルの感想があふれ、その日、日本の湿度が2%上昇したと噂された。
まぁ、私的には借金取りに娘を奪われるような状況って何なん???って思ったけど、純粋な男子諸君からすれば、こぶしを握り締めてこの世のすべての悪を呪ったことだろう。それほど感情を揺さぶられる描写であった。
と同時に、おいおいおいおい、これは鬼滅の刃のアレやるの?アレ。
敵がとんでもない理不尽で悲痛な過去を持っていて、この世の善悪判断なんて無意味だ、っていう何とも言えないオトナな胸のえぐり方をしてくるアレ。やっちゃうのねー、そういう路線でもあるのねー、といったところ。シリアスまで突っ込んでくるとは恐れ入った。男子諸君は、その複雑さをオトナへの階段の一歩として、味わいながら泣きながら踏みしめるだろう。
そんでギャグ多め
綾瀬桃はツッコミ担当である。彼女のツッコミを聞くために、このアニメを見るという人も少なくないだろう。基本、アニメのベースがギャグである。雰囲気も全体的にギャグなのだ。
ギャグをバックに、アクション、シリアス、お色気、のヴィヴィッドな色が紙一面に敷き詰められている、それがダンダダンである。
バック(背景)がシリアスでもお色気でもアクションでも成立しない温度感がある。ギャグ的雰囲気は、このアニメに優しい暖色系の包み込むイメージを与えている。
サブカル、ハイセンス勢までカバー
ここまでなら、まだ過去にも類を見る作品があったかもしれない。しかし、ダンダダンは、最後の最後まで抜かりがない。
ちょっとひねくれた、斜に構えた、前髪長めのオシャレ男子まで囲ってしまっているのである。通常、彼らは、アニメというジャンルそのものに深く関わることはない。彼らにとって最重要なのが、オサレとセンス。つまり、「他とはちょっと違う感」なのである。
さて、このダンダダンのオープニングは、スーパーハイセンスで「ちょっとどころではなく違う感」を醸し出している。
まず曲がハイセンス。(聞けばわかる)
それから、レトロなオマージュが盛りだくさん。
特にウルトラマンのオマージュが熱く、私もしびれてしまった。
過去の伝説級の作品オマージュをオープニングでやるのは、チェンソーマンからの流れなのかな。このオープニングも本当にすごかった。
で、確かダンダダンの原作者の龍幸伸(たつ ゆきのぶ)氏は、元々チェンソーマン作成時のアシスタントしていた人なんですよね。
こういう界隈のネタなんかも見え隠れしていて、要するに、見えないものを見ようとする、つまりちょっとナナメから作品と関わろうとするサブカル勢の性癖にもクリティカルヒットしているんですね。
オープニングの画がどれもセンス良すぎる!とか、チェンソーマンのOPの再来か!、ということでダンダダン1話公開の時にSNSでバズったけれども、あのバズりも多分仕掛けられたもので、おそらくハイセンスサブカル勢をとりこむ戦略の一つだったのではないか、と想像しています。
まとめ
怪人二十面相のように日本全国の男子諸君の心を翻弄するこのアニメ。勢いそのままに最後まで走り抜けることを期待している。
私は原作を知らないので勝手なことを言うのを許してほしいが、私の読みでは、この変幻自在のやり口は、物語という背骨がしっかりしていないと、今後成立しない(飽きられる)と思っている。
男子諸君も下着ヒロインがいれば、ハイハイといっていつまでも拝見するほど馬鹿ではないからだ。というより、この国の男子たち(女子もだけど)がアニメを評価する審美眼は、歴史上(地球史上)もっとも肥えて、鋭いと言えるだろう。
ダンダダンには、まだ重厚なストーリーが見えていない。少しオジサン的な言い方をすると、主人公たちと一緒に身につまされる想いをしていない。ここがこれからの勢いをそのままにするかどうかの分かれ目であるように思う。
最高の風景、最高の前菜、最高のお酒、それらがそろったレストランで我々は最高のメインディッシュを待ち望んでいる状態だ(と私は思っている)。きっとすごいのが出てくるだろうから、これからも目が離せない。