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日記263:「プランクとスクワットだけは」

やっておこうと思った。

筋トレは好きだ。
汗をかくのも好きだし、疲労した筋肉を伸ばすのも気持ちがいい。気が進まないときも幾度となくあるが、やればやったでよかったと思うことの方が圧倒的に多いだろう。
しかしながらその中で、プランクとスクワットだけはどうにも苦手だった。理由がどうも判然としないのだが、いざこれを書くにあたって考えてみると、単純にいえばそれで鍛えられるであろう部位の筋肉量が少ないのだと思う。だから他よりも楽々できないし、楽々できないと楽しめないのである。

最近見かけたとあるダイエット垢がある。綺麗に筋肉の付いた細身の女性のアカウントで、信憑性も比較的高そうだった。
どんなことを心がけているのかと過去ツイを漁ってみる。こういう姿勢、歩き方、食事が重要云々と書かれている中でもとりわけ何度も繰り返し触れられていることとして、プランクとスクワットを必ず行っているということがあった。私は絶望し、立ち直り、その通りに毎日その2種目だけは行ってみようと決意した。

いざこれを書くにあたって考えてみると…とかなんとかと先の文章でもっともらしい素振りをしてみたが、たぶん答えは前々からうっすら出ていたのだと思う。鍛えるべき部分から、筋肉をつけるべき部分から背を向け、楽にできることばかりにご執心になって甘い蜜を貪っていたことに気付いていたのだと思う。
これもいい機会である、のだろう。人間には打ち勝てるだけの試練しか与えられないわけだし、それが与えられるときというのは打ち勝てるときだと決まりきっているわけである。

そんなわけで、2種目を必ず行うようにして3日目になった。
○○だけは必ず日課として行うということは私が不得意とすることである。ベストを超えるベストを尽くそうとし、過小より過剰をよしとし、そうして大抵燃え尽きるか、燃え尽きなくても当初の目的を見失ってフラフラさまよい歩くネズミ花火になる。だから今回もなんだかんだ言いつつ不安だった。
けれども面白いことに、試しにこれだけ、このふたつだけと心がけてみると、勉強だったり他の趣味の合間合間だったり、あるいは気が向いたときにと、チマチマ挟んで行動に移しやすいことに気が付いた。
3分くらいだったと思うのだが、人間は思い立ってから開始までにそれくらいかかる行動は進んで行いづらくなるらしい。今回の習慣に直接かかる事柄ではないのだけれど、なんとなくその言葉が頭に浮かんだのだった。

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