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【福翁百話】福沢諭吉に結婚について教えてもらう
日々Youtubeの動画を見ている。
その中に、たまに仲の良い夫婦の動画があったりする。
・・・
いやめっちゃ羨ましいんですけど……!?
……大丈夫、落ち着け。
仏陀は「他人と自分を比較するな」と言っていた。(ような気がする)
他人を羨むのは苦しみへの道。
そんな道を行く必要はない。
・・・
……でもさぁ!!!(溢れ出す感情)
こういうときは古典を漁るのが良い。
大抵の場合は過去の人間が同じことで悩んでいて、
その解決策をすでに提示してくれていたりするものだ。
ということで『福翁百話』を読んでいこう。
晩年の福沢諭吉の著作で、時事新報に連載したものをまとめた本だ。
タイトルの通り100話分ある。
しかもちゃんと一つ一つが数ページあるので読み応え抜群だ。
さて、この本が発売した当時は日清戦争が終わった翌年くらい。
日本が上り調子だった時代だ。
その当時の結婚観を垣間見てみよう。
(めっちゃ圧縮して引用するので、ちゃんと知りたい方は本を見ましょう)
ではまず最初は、
この時代における夫婦というものに対しての福沢の意見を見てみよう。
20(←話の番号)
「いったん一緒になった夫婦は生涯離れることは許されない」という主流の概念に対して、「気持ちの変化や時間の経過で愛情の変化もあるのだから、愛情が尽きたら別の相手を求めるべきだ」というフリーラブの概念を語っている論者がいるそうだ。
……なるほど。
だがそれは今の習慣とは反している。
世の中の多くの人も、こんな概念は認めないだろう。
だからフリーラブなんて口にするな。
実際に行うなんてもってのほかだ。
歴史が始まってから今に至るまでの範囲においては、
「夫婦は生涯添い遂げる」という最上の倫理を否定するような者は、
”人間と認めず動物として排斥するべき”である。
いきなり飛ばしすぎだろ福沢さん……!
いや、これがこの時代の日本の常識ということか。
自由恋愛の夫婦なんてものは本当にここ最近の話なのである。
「当時においての夫婦」と「現代の夫婦」では、全く概念が違うのだろう。
夫婦は一生添い遂げるもの!!
離婚なんて許しません!!!
これが当時の日本の夫婦の理想の姿(福沢談)だったようだ。
なんだかこの本で結婚への悩みを解消することは出来ない気がしてきたが、次の項目へ行こう。『結婚相手の選び方』について。
21
人間として子孫のことを思わない人はいない。
良縁を求めて良い孫を見たいと思うのは自然の気持ちであって、
男女ともに結婚相手の選択には細心の注意を払う必要がある。
選ぶ基準は、第一は血統。第二は健康。第三は知能である。
この他にもまあ色々あるが、この3つのどれかに欠ける所があれば、
その時点で縁談はご破産にするべきである。
牛馬を買うときには親の性質を問題にし、穀物を作るのにも種を吟味しているというのに、配偶者を決めるときにはそれをなおざりにするのは、
事物の軽重を知らない人と言うべきであろう。
とりあえず血統と健康と知能のどれかに問題がある場合は、もうやめておいたほうが良いらしい。
理由を詳しく読むと、血統を5代くらいさかのぼると、その家の遺伝病や家風、人物の知能レベルがなんとなくわかるからだそうだ。
健康については、配偶者が病弱だったらアカンということで、
知能に関しては、家事が出来ないような知能では問題だということだ。
そしてこれは、「親がまともじゃないと子も良いものにはならない」という理由も含まれている。
福沢はこの本の中で、親からの遺伝や、親が子供に与える影響をかなり重視している感じが見受けられるのだ。
では次は早婚について。
46
最近西洋思想の流行で早婚を非とする説が聞こえる。
若くして結婚すると経済的に困窮し、若い体では父母の体を損ない、
生まれる子供も弱いというわけだ。
だが早婚に害があれば晩婚にだってあるだろう。
それに結婚は、人生最高の幸福であり快楽である。
また、早く子供を産めば最初は大変だろうが、
成長後は親子ともに働くことの利益は極めて大きい。
早婚の子供が弱いというが、家康だって親が19歳と15歳のときの子供であり、私の祖母なんて15歳のときに長女を生んだが、その長女は70歳まで生きたわけで、なによりその長女の子が私だ。
過去の日本においては早婚が主流だったのはなんとなくわかるだろう。
しかし西欧思想が入ってくるにつれて、それに対しての価値観もだんだんと変わっていったようだ。
晩婚化が常態化しすぎて問題になりつつある現代日本と比べると、
やはり昔の日本は全く違ったんだなと思う。
そしてここで、福沢の結婚への評価もはっきりした。
「結婚は人生最高の幸福であり快楽」…らしい。
(つ、つまり結婚できない人間は最高の幸福が得られない……?)
……まあそれは置いといて、
福沢諭吉のおばあちゃん、15歳で子供産んでた。
15歳って……中3?
すげぇわ……。
そして「早婚だろうが自分のようなレベルの高い人間を産めてるんだが?」という圧倒的な説得力。 これは強い。
では最後に、苦楽について。
23
元々人間が持っているわがままな性質から言えば、
独身ほど気楽なことはない。
あらゆる快楽を一人で満喫し、
苦痛な面があれば自業自得と観念するだけである。
結婚して人の妻となり夫となるときには、その日から独身の気楽さは断ち切られて、あらゆることが思い通りにならず、自分の望みは遠慮しなければならない。
要するに独身を終えて結婚するというのは、これまでの苦労の種を1つから2つにすること。じゃあそれがよくないのかといえばそんなことはなく、
結婚後の楽しみは独身の頃の倍以上になるから勘定は合うのだ。
それだけではなく、子供が一人産まれれば、一人分の苦労が増すのと同時に喜びもまた増し、人生の行動範囲も広くなっていく。
その道理を知らずに、結婚を単に快楽の基と考え、子供を作ると幸福しかないなんて思い込むと、ちょっとでも苦しいことがあればその義務を逃れようと横着な心を起こし、夫婦仲は悪くなり、自身を汚し、家風を崩し、その災いは子孫まで及ぶ。
楽があれば苦がある。苦があれば楽がある。それを忘れてはならない。
独身は確かに気楽だ。これは自覚がある。
もう慣れすぎて一生これでいいとすら思えている部分すらある。
しかし福沢は言う。
「結婚は苦労を1つから2つにするが、楽しみは倍以上になる」
「子供も苦労を増やすが、その分喜びは増し、行動範囲も広がる」
あぁ……
思い当たるフシしかない……。
職場の既婚者たちの人としての完成度の高さ。
あれはもしや結婚によって培われたものなんじゃないだろうか?
確かにお小遣いやらで家庭の文句は多々言っていたが、
「子供のためなら頑張れるんだよ…」と語る彼らの顔は、
どこか使命感に満ちた幸福そうな顔だった。
結婚したことで広がった人間関係や新たな世界は、
相当彼らの知見を広げたんじゃなかろうか。
その人生経験ゆえに人当たりもよく、
他人を支えることに躊躇がなかったのかもしれない……。
(やはり結婚は最高の幸福なのか……?)
そしてこの項目の苦と楽の概念は、なぜだか自分の中で強烈に響いた。
楽しいだけなんてのは幻想で、苦しいことは必ずある。
でも苦しいからこそ楽しさが増える。
そして楽しさは苦しみの前段階。
確かにそうだなと思う。
呑気に貯金をすり減らしていたニート時代より、
日々の仕事でそこそこの苦痛を味わいつつ、稀な休みに旅ができる生活の方が、人生に価値を感じていたのは確かなのだ。
平坦な人生は、楽しさもどこか空虚だ。
しかしこの苦楽の概念、今までにもどこかで聞いたような。
仏教かなにかか……?
ちょっと話が逸れるが、(一応関連はあるので許して)
実はこの本を読んだあとに「すずめの戸締まり」を見に行ったのだ。
すると作中にこの苦楽の概念が連想されるシーンがあったのである。
”苦しかったけど楽しかった、楽しかったけど苦しかった”
そういう意味のセリフが吐露されたのだ。
しかもこれ結婚も関わっているシーンなのである。
もう大変だった。(涙腺が)
直球で自分の涙腺を突き刺すな新海誠。
まさか新海誠と諭吉のせいで映画館でぷるぷる体を震わせることになるとは思わなかったよ……。
さて、そんな感じで福沢諭吉の結婚関連の話を紹介したわけだが……
『結婚最高!!!』
……って結論が出てしまったんですが?
あの……結婚ができない人へのアドバイスとかないんですかね?
諭吉さん??? ねぇ!!どうなの!!?
…うん。残念ながらこれは結婚への悩みを解消する本ではなかったようだ。
別の本で理論武装しよう。
それはさておき、
以降は結婚には関係ない話だが、個人的に興味深かった部分のあれこれを書いておくので、読みたい方はどうぞ読んでいって欲しい。
この時代のものとは思えない先進的なことを言ったりしていて流石だなと思うはずだ。
【おまけ】
35で福沢は、「女に教育は必要ない!」と言われている時代に「女子教育の大事さ」に触れている。まあ高度人材にするとかいう話ではないのだが、それほどまでに当時の女性への教育は行き渡っていなかったのだろう。
そして、世の女性の権力がここまで酷いことになっているのは多妻制のせいだとも述べている。
日本で多妻とか何の冗談だよと自分は思ったが、「妾」であったり「売春」であったり、当時の日本ではあまりにも女性が簡単に手に入る世の中であり、それが当然のものとして受け入れられていたのだ。
簡単に手に入るものは大切にされなくなる。
福沢は当時の日本における女性の権利のなさ、男尊女卑の凄まじさは、多妻制に由来すると何度もこの本で書いている。
そしてそれは44の未亡人の再婚問題にもつながる。
当時の日本では30歳前後で夫に先立たれた場合、再婚は非常に厳しかった。
「一旦契りを結んだら生涯添い遂げるべきだから」であり、
さらに「貞女はニ夫に見えず」という教えもあった。
それゆえに、再婚したとしても周囲は内心喜んでいなかったらしい。
そして一方で、「妻を失った男」は「貞男はニ婦に見えず」になるのかという話になるわけだが、なんと男は再婚しまくりだったし、妾も作りまくりだった。(もちろん財力によるが)
時代は男尊女卑。女性が苦しむ中で、男はそれを横目に人生を謳歌した。
30歳を越えた未亡人への救済措置は基本的に無かったのだ。
47では、そういった独身女性は往々にして周囲の目線や孤独による影響なのか、どんどん体調が悪化しておかしくなっていくことに触れている。
そして「多妻制と再婚の問題をどうにかしないと本当にヤバいだろ」と、再度書いている。福沢にとって、当時の女性周りのあれこれは相当問題があるように見えていたのだろう。
実際こんな環境だったら誰でも病むわと思う。
38では日本の子供の教育へのお金のかけなさを嘆いており、「骨董品を買ってる暇と金があったら、子供に金をかけろや!!」と批判している。
当時の子供教育は無償や僅かなお金で済ませることが多かったらしい。
だから私塾を開こうが塾を維持できるほどのお金も集まらない。
福沢は最終的に、「もう時間が解決してくれるのを待つよ……」
というまさかの結論に達している。
福沢的には当時の世の中では改善は無理だと思ったのだろう。
43では寄付の大切さに触れており、
「災害のあとに行う寄付は素晴らしいよね」と説き、
「災害が起こらないために寄付をしてる人はもっと素晴らしいよね」と加えて述べている。
つまりは災害対策や未来の人材育成の重要性のことだ。
本の中では東京の水道工事について触れており、
「これを徳川時代にやっていれば、市民は便利だったし、毎年のように起きた火災で莫大な財産が失われることもなかっただろうに…」と嘆いている。
そして頭が良すぎたのか、85の内容が今の価値観だと結構アウトな優生思想と人類の遺伝子改変に触れている。
やはり福沢的にも、やれるものならそのほうが良いという発想だったということらしい。生命倫理の考え方が存在しないと、自然とこういう結論が出るのが人間というものなのかもしれない。
94では福沢の仏教観も知ることが出来た。
福沢にとっては仏徳は念仏やら寺やら仏壇やら僧侶やらの中にはなく、一切虚無の中にあるものであり、その辺りに心を安んじるのが良いらしい。
金剛般若経を読んだのか、自分でその境地に立ったのかはわからないが、
福沢諭吉は仏教もいけるようである。さすが知識人だ。
こうして見ていくと、やはり頭のいい福沢にはあらゆる未来が見えていたのだろう。
しかし当時の世の中では、それを簡単には変化させられないことも同時にわかってしまったんだと思う。それゆえに、文末が諦めのような雰囲気で終わる項目がいくつもある。
でもやっぱり知識人ってすごい。
まあその……
結婚については余計に圧をかけられた気がするけど。
~完~
投稿日が良い夫婦の日……?
マジじゃん……。
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