【読書】手塚治虫の漫画を読み漁っていたらたどり着いた、釣りキチ三平作者の民俗学本【ボクの手塚治虫】
夏休みが気付いたら終わってしまった。
まあ何をしていたかといえば基本は帰省してたのだが、その中で一番やっていたのは手塚治虫の漫画を読み漁ることだろう。
いや、Kindle Unlimitedがまた3ヶ月99円だったのでいつものごとく入ったら、あらゆる手塚漫画が1巻だけ無料だったことに気付き、ここぞとばかりに読んでしまったのだ。(気になったものは続巻を購入しつつ)
それまで自分が抱いていた手塚治虫のイメージはブラックジャックや火の鳥やどろろ辺りのものしかなかったのだが、過去作を見てみるとめちゃくちゃ作画がディズニーっぽかったり、かと思いきやサザエさんみたいになったりと、かなり作画に変化があった漫画家だったことを知って驚いた。
描いている漫画の内容も重めな社会問題に斬り込んだものや、子供への性教育のために作ったりしたものがあったりなんかして、手塚治虫は本当にありとあらゆる題材を漫画にしている。
これは漫画家の神様と呼ばれるのも頷ける次第だ。
で、そんな自分がオススメしたい手塚本はというと……!?
「ボクの手塚治虫」である。
「いやこれ釣りキチ三平の作者の本じゃねぇか!」という話なわけだが、まあちょっと待ってほしい。
なんとこれは、手塚治虫要素+民俗学的なあれこれが詰まった、そりゃもう素晴らしい本なのである!!
(※個人の感想です)
【作者(矢口高雄氏)の生い立ち】
「ボクの手塚治虫」は、有名釣り漫画「釣りキチ三平」の作者である矢口高雄氏の人生に手塚治虫がいかに大きな影響を与えたかを描いた自伝的漫画だ。
作者の幼少期から漫画家になるまでの暮らしと、人生の各所で関わる手塚治虫のエピソードをふんだんに盛り込んでおり、満足感が凄い。(しかも安い)
……さて、そんな作者の矢口氏は1939年に秋田県の田舎に生まれた。
そして幼少期の作者の村には、読み書きの出来ない大人がかなり居たという。(そういう時代なのだ)
そんな環境ではもちろん周囲の学問に対する考え方も変わってくる。
当時の村は学問忌避の空気感に支配されており、新聞購読者はゼロ、雑誌を読んでいる人すら全然見かけないという状態だった。
そんな村の状況だったが、作者は幼少期に宮尾しげをの西遊記を母に読んでもらいながら育ったという稀有な経験を持つ。
そしてその本は、一切の本が存在しない生活に耐えられず、母が実家から持ってきてくれたものだった。
『母親の学問に対するスタンスは子供の教育にとても重要』という研究結果をどこかで聞いた気がするが、作者の事例はまさにそんな感じだったのかもしれない。
その後も母親は町に出た際は子供向けの学習誌などを購入してきてくれたりと、村の状況に影響されることなく学びの環境を用意してくれたのだ。(当時学習誌を読んでいたのはクラスで作者だけだった)
うーむ、凄い母親である……!
そして矢口氏は西遊記の挿絵を模写したり、オリジナルの漫画を描き始めたりと、着実に漫画家への道を歩み始めた。
なお西遊記の内容はすっかり暗記していたので、それを村の子たちに朗読したりもしており、人を楽しませることをもうここで学んでいたのかもしれない。
そんな中で叔母目当てに家に来たおじさんがくれた漫画によって矢口氏は手塚治虫に出会い、凄まじい衝撃を受ける。
このときもらった漫画は『流線型事件』という作品で、矢口氏はその絵柄もさることながら、「なぜ車は流線型にするべきなのか」という科学的な内容を解説してくれている漫画ということにも驚いた。
そしてこういったことに驚ける素養を培ったのも、子供の頃から母親が読み聞かせや学習誌によって学問を教えていたからだろう。
やっぱり学問は大事……! (諭吉もそう言っている)
そんなこんなで、作者は手塚漫画を追い求めるようになるのだった。
どれだけ追い求めたかというと、重い杉の皮を背負う仕事でお金を稼ぎ、町まで片道20kmの道を夏は自転車で、冬は徒歩で5時間歩いて買いに行くレベルである。
やはり渇望というものは凄まじいエネルギーを生むようだ。
【当時の秋田を知ることができる資料漫画】
そういえばこの記事は民俗学がうんたらというタイトルにしていた。いい加減それらについても触れていかねばなるまい。
実はこの本は手塚治虫のあれこれ以上に、作者の田舎事情を知れるのが個人的にとても面白かったのだ。
では、いくつかの事例を紹介しよう。
【”踏み俵”で道を作る】
下手に放置すると家から出ることすらできなくなってしまうのが過酷な雪国の生活。
そんな作者の村で使用されていた、新雪に道を作るための道具が「踏み俵」である。
いきなり謎の道具が出てきたが、雪深い村ならではのアイテムだ。
そしてもちろんこの作業以外にも、家の屋根の雪下ろしだってある。
この作業で収入が発生するわけでもなんでもないのだが、雪国では絶対にやらねばならないのが雪かきに関するあれこれなのだ。
かつてnoteで募集があった#どこでも住めるとしたらの記事にて、「雪国は避けよう」と言った自分だが、やはり便利になった現代においても雪国に住むのは厳しいなと思ってしまう。
(体力や根性は身につくかもだけど…)
【やってきましたトイレの話】
なんだか自分のnoteは籌木(ちゅうぎ)だのテルソリウムだの、昔のトイレ事情を語ることが多い気がするが、この漫画には秋田の田舎におけるトイレ事情もしっかり載っている。
では作者の家のトイレ事情を見ていこう。
なんと作者が子供ながらに頑張って描いたポンチ絵(漫画)は、便所紙として使用されていたらしい。(ゆえに当時の作品は残っていない)
そう、昔のトイレではこんな風に落とし紙を揉み込んで柔らかくして尻を拭いていたのだ。
作者によると時にはトイレ内に雑誌が置かれていることもあり、その場合は用便中に読んでいたページを破き、おしり拭きの紙に転用したという。
尚、ここで重要なのが、便器の中には紙を落とさないということだ。
作者の家では拭いた紙は木箱に入れていたそうだ。
現代における外国でもトイレの詰まり防止の関係で紙は流さずに箱に捨てるというのは見られる仕様だが、この村で紙を混ぜない理由は堆肥として使用するときのことを想定しているからである。
紙混じりの堆肥はよろしくないのだ。(学び)
まあこれに関しては同レベルで田舎の農家だった私の母の意見を聞くに、「普通に便器に新聞紙とか落としちゃってたけど?」という証言を得たので、地域によるのかもしれないが。
しかしこういうことを漫画で描いてくれていると非常に資料として助かる。自分は文章だけだとしっかりしたイメージが湧かないことも多いのだ。
(漫画って素晴らしい)
そして当然だが戦後すぐの世の中において紙は貴重品ではあるので、植物の葉っぱなども使われていた。
ちなみに葉っぱはそのまま便器に落としてもいいので、使用感はともかくとして、処分が楽ではあったようだ。
なお、冬が近づくと葉っぱも枯れてなくなってしまうので、作者の村では冬季用にアキシラズと呼ばれるシダ植物を大量に集めて利用していた。
だがこのアキシラズは乾燥すると使用感が最悪になるようで、使うとケツの穴がヒリヒリしたという。
こんな環境なので、あらゆる紙がトイレットペーパーとして優先的に再利用される運命だった。
学校のテスト用紙なんかも見事にトイレへと直行したそうである。
うーむ、興味深い!
【アバ(母親)と三軒隣のバア様の秘薬】
とある暑い夏の日、作者のアバ(母親のこと)はいつものように農作業を行っていた。
ブリキの爪と、フェンシングみたいなお面をつけて。
またもや出てきた謎道具にテンションが上がる自分だったが、絵を見るに5分で腰が死にそうな過酷な作業である。
そんな作業を炎天下で行っていたアバは、家に帰ってきて……倒れた。
「足が冷てえ!」「足の先から死んでゆく!!」
そう叫ぶアバを救うため、村の住人を探しに走り出す作者と妹。
そして運良く遭遇した三軒隣のバア様に対処をお願いすることになった。
バア様はアバの様子を見て、「これはハクランだ!!」と診断。
「塩と湯呑みと飲み水を用意しろ!!」と子供たちに指示を飛ばしつつ、自身は「ハクランの薬を取ってくる!」と自分の家へと駆け出した。
家から戻ってきたバア様の手に握られていたのは……
一握りの大麻!?
そしてバア様は大麻を塩もみし、
「ンッ!!」とやることで秘薬を作り出すのだった。
そしてその秘薬を飲んだアバは……!?
そんなこんなで無事にアバは子どもたちを残して死なずに済んだ。
(ありがとう、三軒隣のバア様……!!)
このときのことを、のちに作者は熱中症による熱痙攣だったと語っている。
原因は炎天下の過酷な農作業によるものだ。
なんと三軒隣のバア様が作り出した秘薬は、塩分補給&水分補給&鎮痛剤として見事に効果を発揮していたのである。
そしてなんというか、話には聞いていた大麻を昔は薬として使っていた事例を知ることが出来てちょっと感動だ。
その辺の草の薬効すら熟知していた昔の人たちなので、当然大麻に関しても薬効も知っていたのだろう。
(のちに禁止されるんだけども…)
【百姓になんて絶対にならねぇ!!】
無事に助かったアバ。
その後一瞬だけ目覚めたアバは子供たちを抱きしめ、生きていることに感謝したのだが、すぐにまた眠りに落ちた。
よほどの疲れと熱中症のダメージがあったのだろう。
するとそこに山の畑で作業をしていた祖父が帰宅する。
作者はアバが倒れて大変だった話を祖父に告げるのだが……?
大変な思いをしたアバを「役に立たない嫁」と切り捨てる祖父。
祖父は更に続ける。
ズル休みとまで言い放つ祖父に、「アバはそんな人じゃない!村一番の働き者だって隣近所の人だって言ってる!!」と反論する作者。
だがそんな作者を「じいさまに口答えするでねぇ…」と止めたのは、起き上がってきたアバだった。
アバは祖父に倒れてしまったことを謝罪して、その後また深い眠りにつく。
……だが、朝になってみるとアバの布団はもぬけの殻だったのだ。
死ぬかもしれない病気になった次の日だろうと、また過酷な農作業に戻らねばならないのが百姓。
それを強く自覚した作者は誓った。
「百姓になんか絶対にならんぞっ!!絶対にならねぇぞォ!!」……と。
【そして漫画家へ……?】
ほかにも神すぎる本屋での多くの漫画との出会いや、手塚治虫との年賀状のあれやこれやがあるのだが、まあそこは個人で読んでもらうとして……。
アバが倒れる事件を通して、百姓になんか絶対にならないと決めた作者。
その後成長した作者は見事に……!!
銀行員になりました。 (!?)
いや漫画家じゃないんかい!!と誰もが突っ込むところだが、実はこれは非常に凄いことなのだ。
なにせ矢口氏こそが村で初めて高校に進学した例であり、村で初めて銀行員になった人なのだから。
この地方におけるエリートだったのは間違いない。(やっぱり教育って大事)
……だが、銀行員として12年間勤務して30歳になったとき、矢口氏はふと昔の夢を思い出すのだ。
手塚治虫の漫画を読みふけり、自分で漫画を描いていたあの日々を。
【おわりに】
最初は手塚治虫情報を求めて手に取った本だったのだが、気付いたら矢口高雄氏の人生に魅せられている自分がいた。
なんかもう気付いたら「釣りキチ三平」と「マタギ」と「おらが村」を購入しているのだから、よっぽどである。
ああ、こんな凄い作者の作品を今まで認識していなかったなんて……!
思えば最近は昔の漫画家の作品を読むことが増えた気がする。
水木しげるなんかでも思うのだが、昔の漫画の書き込みは凄まじいものがあるのだ。
子供の頃は「なんだこの古臭い絵柄」とか思って毛嫌いしていたくらいなのに一体どういう心境の変化なのやらだが、おかげで死ぬまで娯楽に困ることはなさそうである。
そしてなんだかこういう自伝漫画も良いなと思い始めた。
実はつい最近、『ギャグ漫画日和』の作者の自伝漫画も読んでいたのだが、あれはあれで全然苦労せずに成功しちゃったところが普通に凄いという謎の面白さがあった。
大変な苦労をする人もいれば、一方でこういう人生もあるのだ。
本を読むのは人生丸儲けみたいな話があるが、自伝漫画なんて本当に他人の人生をまるっと体験できるものなんだよなと思うと、俄然色々と読みたくなってきた。
そんなわけで、皆さんも気が向いたら自伝漫画を読んでみて欲しい。
自分の知らない時代を生きた人たちの人生を追体験できる素晴らしいコンテンツだと自分は思う。
あぁ、良い読書体験だった……!!