1000日チャレンジを1800日続けたら、マツコの隣に座っていた話
「石の上にも三年」
ということわざがある。
冷たい石の上でも3年間座っていれば、
物事が好転していくという意味らしい。
では、3年間ではなく5年間座ってみたら…
とっても素敵なことが起こったので
noteに書いてみました。
noteの中でチャレンジをしている
クリエイターのみなさんへ
この記事を贈ります。
◆
「あなた、まったく同じ色のジャケットを持っているじゃないの」
鏡の前でジャケットやTシャツを並べて、ポーズをしながら着せ替えをしている自分に向かって、妻が呆れたように声をかけた。
ふっふっふ。
妻よ、違うのだよ。
普段、自分が着ているのは、5年くらい前に紳士服の量販店で買った12800円のジャケット。
そして、今袖を通しているのは、衣装レンタルをしたブランドもののジャケット。値段が10倍くらい違うのだよ。テレビに映るんだから、それなりの準備をしていかないとね。
ふっふっふ。
◆
その朝は、とても風が強かった。
満員の地下鉄を降りて、収録が行われるテレビ局へ向かう。
バタバタッバタ。
吹き抜けの通路にポスターが連なるように貼られていて、風が吹くたびに大きな音を立てて揺れていた。
その音に合わせるように、自分の心臓もバクバクッバクと高鳴っていく。目の前に見えてきたのは、テレビ局の玄関。
さすがにもう戻れないよ。
本当に自分なんかが、テレビに映ってもいいものなのだろうか。テレビって、もっとキラキラしている人が集まる場所ではなかろうか。
受付で首下げ型の入館証を手渡された。前に通った人の仕草を真似して、手慣れた感じでゲートにかざす。
ピッ!
ほっ。
どうやら、うまく通れたようだ。
テレビの関係者が多く通る場所。こういうところでもたついていたらカッコ悪い。へんに気負って見えないように、あくまでも自然体のふりをしていくのだ。
クールに。クールに。
◆
収録のスタジオがあるフロアへ案内をされる。
控室として個室が用意されていた。部屋は畳敷きで、真ん中に小さなテーブルがぽつんと置いてあった。入り口で靴を脱いで、揃えて隅に置く。
「お邪魔します」
緊張のためか、あまり声が出ない。
小さなテーブルの前に腰を降ろして、部屋をぐるりと見渡してみた。
壁の一面は鏡貼りになっている。
その前には低めの長机が備え付けられていた。きっと、テレビに出ているタレントさんたちが、ここでメイクをしたりするのだろう。
長机の端っこには、ペットボトルのお茶やミネラルウォーター、それにお菓子が置いてあった。自由に飲んだりしていいとのことだった。
喉が砂漠のように、カラカラだった。
お茶ではなくミネラルウォーターの方を1本手にして、キャップを開ける。
万が一、こぼしてしまっても…
ミネラルウォーターなら、レンタルのジャケットやTシャツを汚さないからね。
◆
収録までは、少し時間があった。
とはいえ、ゆっくり落ち着くようなことはなく、それなりにバタバタしていた。
番組のディレクターさんと流れの打ち合わせをしたり、スタジオの中を見せてもらったりもした。
収録のポイントは、スタートの顔合わせシーン。そして会話始め。そこがうまく嚙みあえば、流れに自然と乗っていけるとのこと。
顔合わせのシーンを自分の中で何度もシミュレーションしてみる。
うーん。何度イメージしてもうまくいかない。だんだん、収録の時間が迫ってくる。
あふれ出る脇汗で、Tシャツがぐっしょりだった。
控室で、少し遅めの昼食をいただくことになった。
そういえば、テレビ局についてから何も食べていない。鏡の前の長机に、白いプラスチック容器に入ったカレー弁当が置いてあった。おにぎりもそうだけど、実はカレーも大好物なんだ。
おもむろにフタを手にする。
ふわっ。
スパイスのオリエンタルな香りが鼻腔をくすぐった。緊張のため活動を止めていた腹の虫が、この香りにつられて動き出したようだ。
いっただきまーす!
スプーンでルーを掬い上げ口の前に運ぶ。
ちょっと待った!
自分をコントロールしている脳みそから声がかかった。
危ない。危ない。着ているジャケットやTシャツを汚してしまうところだった。おにぎりの話をするためにテレビ局へ来たのに、洋服にカレー染みがあったらダメでしょう。
大変。大変。
Tシャツをいったん着替え直す。そして、あらためてスプーンでルーを掬い上げる。
あらためて、いっただきまーす!
スパイスの香りが口中に広がっていく。これは、なかなか本格的なカレーだぞ。
このカレー弁当。味だけでなくもう一つ驚いたことがある。それは、付け合わせ。カレールーの横のスペースに皮付きジャガイモが丸ごと1個入ってたのだ。どうやら、ごはんとジャガイモの両方でカレーを味わえちゃうらしい。
これがまた美味しくて、美味しくて。一気に平らげてしまった。
ふぅ。
ミネラルウォーターをごくり。
いったん落ち着こう。
そもそも…
なんで、自分はここにいるのだろう。
番組に出るきっかけとなったのは、自分がおにぎりのことを毎日のようにnoteに書いて発信してきたからだ。期間で言うともうすぐ5年。日数にすると1800日を超えている。
「石の上にも3年座る」という言葉はあるけれど、5年も座っているのは、なかなかのことじゃないかなあ。
でも…
どうして自分は、そんなことを始めたのだろう。
1800日前の記憶を頭の中で思い起こす。
そうだった。自分にとって転機となるある出来事がこの時あったのだ。
◆
「ファンの存在の素晴らしさや、スキという気持ちを大切にしていこう」
「それが世の中に広がれば、生きることがもっと楽しくなり、周りの人も幸せになっていくはず」
それが「ファンベース」という考え方だった。この話を聞いた時、自分の中で何かが動き出した気がした。この考え方は、これからの時代に、絶対に必要になるはずだと。だったら、その考え方を世の中に広げていこう。それは、自分のやるべきことではないのか。
ファンベースの考え方を教えてくれたのが、コミュニケーション・ディレクターのさとなお(佐藤尚之)さんという方だ。
さとなおさんは著書に「明日の広告」や「ファンベース」などがあり、マーケティングや広告の業界へ「気づき」を与え続けている存在。当時の自分は、コミュニケーション・デザインを教わるために、さとなおさんが主催しているコミュニティ(4th)へ入っていた。
2018年。
ショッキングな事件が起こった。
突然、そのさとなおさんが「アニサキス・アレルギー」というアレルギー症にかかってしまったのだ。
「アニサキス・アレルギー」とは、魚介類に寄生している寄生虫のアニサキスが原因で引き起こすアレルギー。症状としては蕁麻疹・喘息からアナフィラキシーなどがあり、重症化することもある。
その症状を避けるためには、アニサキスが混じる可能性の食べ物をすべて避けなくてはならない。つまり、日常生活の中ではほぼすべての魚介類を避けなくてはいけないらしい。
治療法は、いまだ確立されていないこともあって、さとなおさんの場合は、3年間 魚介類を完全除去して、そのアレルギーの数値によって食事治療に進んでいくかを決めるという選択をした。
2019年7月。
さとなおさんは、「アニサキス・アレルギー」の治療のため、魚介類を完全除去する生活を宣言をした。最低でも3年間、その後の治療を含めると10年以上になるかもしれない大変な決断でもあった。
苦しい治療を前にして、少しでもポジティブに取り組むためにはどうしたらよいかを、さとなおさんは考えていた。
それは、特に苦しい最初の3年間を「1000日チャレンジ 」と名付け、前向きにチャレンジする期間としようということ。苦しい時こそ逆に楽しんじゃえ、の精神かもしれない。
「どうせなら、みんなも一緒にやらないか!1000チャレンジを楽しもうぜ」
ポジティブ感溢れるメッセージが、さとなおさんから、コミュニティ(4th)の仲間へ投げかけられた。
いやいや1000日でしょう。
これは、相当長いぞ。
「1万時間の法則」という話を聞いたことがある。
何ごともプロレベルに達するためには、1万時間程度、本気で取り組まなくてはならないというもの。1日に10時間捧げるとして1000日だ。
つまり、1000日間なにかにチャレンジをし続ければ、なにかのプロになれる可能性があるのだ。
コミュニティの中で、さとなおさんの呼びかけに反応をした人は100人以上もいた。それぞれが目標を作り、2019年の7月12日から一斉に1000日チャレンジを始めた。noteの中でも、この日を境にら1000日チャレンジのタグが増えていった。
◆
本当は、自分も一緒に始めたかった。
でも自信がなかった。そもそも自分は、日記を3日以上続けたことがない飽き性なタイプ。
無理、無理。続けられるはずがないよ。
でも、ここでチャレンジしなかったら、今までの3日坊主人生と変わらない。
それは嫌だ。
自分にも続けられることがあるかもしれない。続けたら、なにかが変わるかもしれない。
では、何をやればいいんだ。
では、何をやれば続けられるのだ。
誰かに相談したかった。でも、これは自分の中の問題だ。チャレンジしようともしなくとも、誰も気にしない。続けようが続けまいが、誰も困らない。
だったら、自分のやりたいことを考えよう。
どうせやるなら、楽しいことだ。
どうせやるなら、自分の好きなことだ。
そこで自分の好きなものを、おしごと手帳の余白にどんどん書き出していった。日常のことから好きなスポーツチームまで、その数は100を超えた。
キラリ。その中にひとつ。
これは、面白そうだなって輝いて見えたものがあった。それが「おにぎり」だった。
◆
おにぎり。
「THIS IS 和食」といえるような、日本の食の中心にあるもの。誰もが知っていて、食べたことがある超メジャーな食べ物。
その中心にあるお米は、日本や地域の歴史や産業、文化と密接に結びついている。米とともにおにぎりを構成している塩や海苔もそうだ。つまり、このおにぎりという食べものを味わい、世の中や未来に伝えることができれば、日本の食文化に貢献することができるかもしれない。
だんだん自分の中で、続けられそうなイメージが膨らんできた。
うん。
どうせやるなら、自分の中で完結させず、少しでも世の中に役立てるものが絶対にいい。大義があれば、飽き性な自分でも続けられるような気がした。
でも…
また弱気の虫が騒いだ。
そんな大きな大義だけで、いいのだろうか。やはり、また3日坊主になってしまうのではないか。
自分の心の奥で、本当にそれを求めているのだろうか。もう一度、深く考えるべきではないかと。
◆
そもそも、自分にとっておにぎりとは何だろう。
自分の記憶を遡ってみる。
小さい頃は、両親が離婚したこともあって、父親と一緒に暮らしていた。父親は仕事の関係で、長い間、家を空けることが多かった。そういう時は、田舎から祖母がやってきて面倒を見てもらっていた。
普段は、学校から帰っても誰もいない寂しい家。
でも、その時だけは祖母が家で待っていてくれた。
祖母が作ってくれるおやつは、いつも「おにぎり」だった。かつお節に醤油を混ぜただけの、おばあちゃんのおにぎり。
それが、
本当に温かくて。
おいしくて。
今でも、その温もりを覚えている。
おにぎりって、ケーキみたいに豪華ではないし、キラキラもしていない。どちらかというと地味な食べもの。だからこそ、うわべだけではなく感情のこもった内容が書けそうな気がしてきた。自分という人間の体温が伝わるような文章がかけるかもしれないとも思えた。
◆
そこで、noteの中でおにぎりの食リポをしようと決心した。とはいえ、当時は仕事が本当に忙しくて、時間も余裕もまったくなかった。ランチは、毎日カップ麺とコンビニおにぎりという状況だった。
最初に考えたのは、コンビニおにぎりを日記みたいに綴っていくことだった。コンビニおにぎりを採点していって、グルメ評論家みたいなことをやれば面白いかもしれない。美味しい、美味しくないの2軸でおにぎりたちをぶった斬ろうなんてことも考えた。
でも…
それって、ぜんぜんワクワクしない。そんなネガティブな内容のものを自分は読みたくない。
そもそも、さとなおさんが呼びかけた「1000日チャレンジ 」とは、前向きにチャレンジする過程を楽しみ、目標を達成をする喜びを味わうものだったはず。
だから…
思い切って、コンビニおにぎりを食べることをこのチャレンジから外すことにした。それは安易なことに逃げこまないという決心でもあった。
結果として、それが良かったのかもしれない。
コンビニおにぎりの評論家は、世の中にたくさんいた。毎日自分で作ったおむすびをSNSなどにアップしている人もたくさんいた。
しかし、お店のおにぎりの味や、それを作っている人に踏み込んで書いている人は、世の中に存在していなかった。毎日、食べたことをレポートしている人なんて、世界中探しても、自分しかいなかった。
1000日チャレンジを続けていくうちに、「自分=おにぎり」というオリジナリティがグイグイついてきた。
◆
インターネット上には、なんでも情報が転がっている時代だ。AIに頼めば、大体のことがあっという間に文章になってしまう。
実際に経験したり考えたりしなくてもいい。
パソコン1台、いやスマホ1台あれば、すべてのクリエイティブを完結させられてしまう。
そんな便利な時代なのに…
こんなに効率が悪いことはないだろう。
おにぎり屋さんが閉まっていたり、おにぎりが売りきれていたり、うまくいかないことの連続だった。
それでも、続けてきた。
読んだ方からスキをもらえると本当に嬉しかった。
コメントをいただくと本当に嬉しかった。そのひとつ、ひとつが自分のチャレンジを肯定してくれているようだった。
すげぇ下手くそな文章だったに違いない。それでも、情熱だけは伝えられることがわかった。
1000日続けていければ…
「おにぎりを語る」という分野において、唯一の存在になれるかもしれない。
こんなやりがいのあるチャレンジは、他にないだろう。
◆
「ハスつかさん、まもなく本番ですー」
ドアの向こうに、インカムをつけた番組スタッフの方が立っている。
いよいよ収録の時間が来たようだ。
控室の鏡を見ると、人生で初めてメイクをしてもらった自分の姿が映っていた。
少し前の自分に若返った感じもする。
パチーン!
両手で自分の頬をたたいて気合を入れる。
「NO ONIGIRI NO LIFE」と書かれたTシャツの上に、衣装レンタルしたジャケットを羽織った。
うん。悪くない。
脇汗も、ジャケットがあれば隠せそうだ。
部屋を丁寧に片付け、靴を履き、控室のドアから外へ出た。
目の前にあったのは、テレビ局の長い長い1本の廊下だった。それは自分の進んできた道であり、これから進むべき道を指し示しているようでもあった。
さあ、いこう。
1000日チャレンジを1800日続けた成果を、世の中に伝えよう。
自分の言葉で伝えよう。
◆
noteの世界には
前に進もうと、道を開こうと、
努力をしている人がたくさんいる。
自分もその中のひとりだ。
この記事がそんな仲間たちの
チャレンジし続けていく勇気に
少しでもなれたなら
嬉しく思う。