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ファンタジー短歌の簡易分類

はじめに

「ファンタジー短歌」の発展のために、過去の短歌作品を分類し、何が表現されてきたのか整理する必要があると考えています。

そこで、簡易的に作歌思想、サブジャンル、モチーフ、手法で分類してみました。少しでも作歌時のヒントになれば幸いです。

ファンタジー短歌とは?

ファンタジー短歌の定義については以下の記事をご参照ください。

「ファンタジー短歌」とは現実世界(私たちが活動する生活世界)では経験できない現象や景色、思考を描写する短歌の総称であると定義できます。ファンタジックな短歌作品には、現実世界の生活者とは異なる視点が追加されています。

リストの注意事項

・各項目の特徴が例示した短歌の中に重複して含まれるケースがあります。
・リストの項目や引用歌は筆者の独断と偏見によるものです。


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■作歌思想

まず思想の面から分類します。ただし、以下の思想であれば即、ファンタジックな表現に繋がるというものではありません。ある歌人が幻想を詠む一方で、日常生活を写実的に詠むこともあります。

以下の思想では「主観を重視し、主体の意識が変性する」という共通点がありそうです。

ロマン(浪漫)主義

ロマン主義は18世紀末にヨーロッパで発生した芸術運動です。古典主義への反感から生まれたもので、感情を重視します。日本では19世紀末ごろから取り入れられました。

短歌における初期のロマン主義の特徴として「自我の解放」と「恋愛表現」が挙げられます。自我の発露によって、当時の古い道徳観から抜け出そうとしました。ロマン主義は1900年に創刊された雑誌『明星』で盛んになり、主観的な感情表現から幻想を生みだされました。

なお、無限や神秘性を求め出す西洋の「ロマン主義」と、日本の「浪漫主義」では、運動の方向性が異なるので区別した方がよいでしょう。

夜のちやうにささめき尽きし星の今を下界げかいの人の鬢のほつれよ/与謝野晶子『みだれ髪』

君は來る、胸の炎は風を得てまた燃えさかる、ふたり手とらば燒けて死なまし。/平野萬里『若き日』

またの世は魔神まがみの右手の鞭うばひ美しき恋みながら打たむ/山川登美子『山川登美子集』

耽美主義

耽美主義は19世紀後半にヨーロッパで発生した芸術運動です。自然主義への反感から生まれたもので、美しさを最高の価値とします。特に恍惚的、享楽的な表現が含まれる傾向があります。

日本では、1908年に結成された「パンの会」のメンバーが耽美的な作品を発表しました。歌人の北原白秋や吉井勇が「パンの会」に参加して芸術家たちと交流しました。

君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ/北原白秋『桐の花』

かかる世に酒に酔はずて何よけむあはれ空しき恒河沙がうがしやびとよ/吉井勇『酒ほがひ』

幻の盾にうつれる春の日のかゞやきに見しうすき曇りよ/石川啄木『石川啄木全集 第3巻』

シュルレアリスム(超現実主義)

シュルレアリスムは、1920年ごろにフランスの作歌アンドレ・ブルトンを中心として広がりました。

シュルレアリスムは「スーパーリアリズム」を意味し、本来はリアリズムを深化したものです。その一方で、作品上では無意識、深層心理を表現する奇想が現れるため、いわゆるリアリズムの作品からは遠い表現になる傾向があります。

モダニズム短歌期には意識的にシュルレアリスムを取り入れる動きがあり、1930年ごろに活動した「新芸術派」の歌人の作品に影響が見られます。

また、1950年代からの前衛短歌期の歌人にもシュルレアリスム的な表現が受け継がれています。

ひじやうなる白痴の僕は自轉車屋にかうもり傘を修繕にやる/前川佐美雄『植物祭』

黄色のアド・バルーン のなか 脳髄びっしょり 春だ/加藤克巳『心庭晩夏』

革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ/塚本邦雄『水葬物語』

アニミズム

アニミズム(animism)は、自然物が魂をもつと考える思想です。人類学者のタイラーが著書『原始文化』(1871)で名づけました。アニミズムの作品の特徴として、自然との交感がみられます。

宗教的な信仰に基づいた作品から、主体と自然が一体になる感覚を軽く表現する現代的な感覚の作品もあります。


暗道くらみちのわれの歩みにまつはれる蛍ありわれはいかなる河か/前登志夫『子午線の繭』

かこみらいかこみらいかこぶらんこかちる花かわれいったりきたり/渡辺松男『蝶』

風に、ついてこいって言う。ちゃんとついてきた風にも、もう一度言う。/谷川由里子『サワーマッシュ』

■サブジャンル

すでに小説に存在するジャンルのモードを適用された作品が存在します。

各ジャンルで頻出するモチーフを利用するケースや、特定の作品に準拠する二次創作的な作品もあります。いずれにしても、各ジャンルの雰囲気を短歌に呼び込む工夫がなされています。

SF

SFジャンルの要素を採用します。近年ではSFの定義が多様化しているので、一旦、サイエンス・フィクション、つまり科学的な発想を踏まえて、虚構を作りだした作品群の意味で使います。

SF小説からイメージを引用した作品が多い傾向がありますが、PC用語等を用いたデジタルイメージや、ウィリアム・ギブスン等の古典SF作品を参照したような歌は、2024年現在においては古さを感じます。

最新のSFを短歌の文字数の中で実践するには、高度な技術や工夫が必要になりそうです。

抜きがたき敵基地星も 新爆弾試ためせば、あはれ 新星ノヴァと燃え果つ!/松宮静雄『SF短歌 ウルの墓』

ひとつふたつ関節をひやす雪もあるレプリカントの銀のひじなど/井辻朱美『コリオリの風』

1001二人のふ10る001い恐怖をかた101100り0/加藤治郎『マイ・ロマンサー』

ハイ・ファンタジー

ハイ・ファンタジーとは、私たちが生活する現実世界とは別の世界を描写するジャンルのことです。トールキンの『指輪物語』シリーズが有名です。神話や伝承から事物を取り入れていることもあります。

北欧は遠きかなみずがねの天に澄みわたるフェンリルの牙/井辻朱美『水族』

天上に竜ゆるりると老いる冬われらに白き鱗いろくづは降る/川野芽生『Lilith』

世界樹のこれから描こうとするもんとかかれるもんのあわいに繁る/吉岡太朗『世界樹の素描』

ロー・ファンタジー

ロー・ファンタジーとは現実世界に異質な存在や、現象を描写するジャンルです。「マジック・リアリズム」という呼びかたもあります。

例えば、現実世界で超能力や魔法を使える世界観設定の作品は、ロー・ファンタジーだと言えます。

ただし、『ハリー・ポッター』シリーズのような、ハイ・ファンタジーとローファンタジーの中間にある例外的な作品も存在するので、完全には区分できません。

憤然と顔を上げたりセキュリティチェックに引つかかる雷神は/石川美南『離れ島』

革装の書物のように犀は来て「人間らしくいなさい」と言う/佐藤弓雄『世界が海におおわれるまで』

注射針曲がりてとまどう医者を見る念力少女の笑顔まぶしく/笹公人『念力家族』

童話的イメージ 

童話作品のムードをもってくるような作品です。童話といっても対象年齢や創作の目的により雰囲気が変わるので、実際には大変多岐にわたるジャンルです。

ここでいう「童話的」は、おとぎ話にルーツを持つような、人間が科学的なルールをインプットする前の「未分化」な状態を描くような作品になります。

ママンあれはぼくの鳥だねママンママンぼくの落とした砂じゃないよね/東直子『青卵』

うれいなくたのしく生きよ娘たち熊銀行に鮭をあずけて/雪舟えま『たんぽるぽる』

女の子を裏返したら草原で草原がつながっていればいいのに/平岡直子『外出』

怪奇、ホラー 

怪奇、ホラージャンルの要素を採用します。霊的なものや、一般的な生活とは異質な生命体が現れた場合は、この分類に含めることができそうです。

ここでは一括りにしていますが、「怪奇」や「ホラー」のジャンルの中でもさらに細分化が可能です。

かくれんぼ鬼のままにて老いたれば誰をさがしにくる村祭/寺山修司『寺山修司全歌集』

ゆふべ川より帰り来しきみのずぶぬれの髪にみづかまきりがゐる/松平修文『原始の響き』

ずっとひっかいているこっちに来たいもの どうかこっちにこないで/フラワーしげる『ビットとデシベル』

ゴシック

イギリスのゴシック小説を起源にもちます。高原英里『ゴシックハート』(講談社、2004年)によれば、日本のゴシックのイメージは「非日常的で過剰な装飾による白黒のファッション、サディズム、マゾヒズム、人形嗜好、自傷願望、死への接近、暗黒と頽廃への好み」という特徴があります。

日本においては、1970年代の幻想文学ブームと、ホラーブームによってイメージが形成されました。怪奇、ホラーのジャンルの一種とも言えます。

少女ふと薄き唇をわが耳に寄せて「大衆マッスは低脳」と言う/黒瀬珂瀾『黒耀宮』

かんたんなものでありたい 朽ちるとき首がかたんとはずれるような/佐藤弓生

びんづめの少女の翅とかみのけは西陽まばゆきときのあのいろ/吉田隼人『忘却のための試論』

特定の作品の世界観

前述してきた通り、ファンタジックな短歌ではその源泉に既存のイメージを利用するケースが多いです。よりわかりやすい例として、以下に特定の美術作品、能、アニメを詠み込んだ歌を取り上げます。

狂うのはいつも水際 蜻蛉来てオフィーリア来て秋ははなやぐ/大森静佳『カミーユ』

めざめつつ橋姫はあり闇よりも暗き怒りの喪を祈るとき/馬場あき子『無限花序』

今日もまた渚カヲルが凍蝶の愛を語りに来る春である/黒瀬珂瀾『黒耀宮』

■モチーフ

モチーフを利用することで作品に別の表象空間のムード(雰囲気)を連れてくることができます。

モチーフは、作中主体が認識可能な対象にする、読者にだけ見せるエフェクトとして利用する等、多様な詠まれ方あります。以下では、ファンタジックな作品でよく見かけるモチーフをまとめました。

夢は和歌の時代から詠まれている古典的なモチーフです。夢で見た内容を詠むだけでなく、夢の中のような歪んだ認識を現実に適用して詠むような方法もあるでしょう。

ゆめにあふひとのまなじりわたくしがゆめよりほかの何であらうか/紀野恵『さやと戦げる玉の緒の』

夢の中では、光ることと喋ることはおなじこと。お会いしましょう/穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』
 

ロシアなら夢の焚き付けにするような小さな椅子を君が壊した/堂園昌彦
『やがて秋茄子へと到る』

神話・伝説・伝承

神話や伝説、伝承はよく歌材にされてきたモチーフです。例えばキリスト教や、ギリシア神話を扱う歌は、雑誌『明星』のころから多くの人に詠まれていました。

假死の蠅蒼蒼と酢の空壜に溜め de profundis……domineかみよわれふかきふちより/塚本邦雄『緑色研究』

世の涯に滅びかゆかむ幾千の伝説(サーガ)の中を吹ける秋風/井辻朱美『地球追放』

かがける オイナカムイの 御面影みおもかげ あふざりし トレスしのばる/バチェラー 八重子『若きウタリに』


変身

変身では、人が全身または、部分的に別のものに変わるイメージを生みだします。ギリシア神話のころからある伝統的なモチーフです。身体感覚を拡張し、人としての身体感覚を異化する表現ができます。

水の辺の黒衣の尼僧はばたきてうつつの蝶の群れにまじはる/大野誠夫『水幻記』

胸びれのはつか重たき秋の日や橋の上にて逢はな おとうと/水原紫苑『びあんか』

いつか小さなアパートになつて冬の日の窓辺にあなたの椅子を置きたい/睦月都『Dance with theinvisibles』

古代幻想 

古代のイメージを利用します。古代に共感し、過去からつながる現在の自己を考察するよう歌が多そうです。

最近の研究では恐竜に毛が生えていることになっているように、科学技術の発展にともない、イメージが変わりうる点には注意が必要です。

デボン紀の裸子植物のせしごとき浅き呼吸を恋ひつつ睡る/河野裕子森のやうに獣のやうに』

とさかあるサウロロフスもうちふして月光しみたる岩盤となる/井辻朱美『吟遊詩人』

ノンシャランと夢をかおよりふりおとすとおいユラ紀の銀杏のカノン
水原紫苑『びあんか』

宇宙イメージ 

実際に宇宙に行ける人は限られているので、メディアにおける宇宙のイメージが利用されます。神話等の歴史的に蓄積された星々のイメージや、映像メディアによる宇宙のイメージが用いられます。

星は古き死鳥のしるし天にしてわれをみちびくはるかなるかな/山中智恵子『風騒思女集』

サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい/大滝和子『銀河を産んだように』

表面に〈さとなか歯科〉と刻まれて水星軌道を漂うやかん/笹井宏之『ひとさらい』

■作歌手法

モチーフではなくレトリック(修辞)によって、読者が幻を見る方法です。ファンタジー短歌と呼んでよいか検討中の項目も含みます。

幻覚表現

五感に幻がかかります。実際の症状としての幻覚は、体感自体が変わってしまう病気なので、もし描写した場合「リアリズム」になります。そのため、この項目では病気と区別するために「幻覚表現」としています。

五感が惑わされるパターンは幻視、幻聴、幻嗅、幻味、幻触、およびそれらの組合せになります。人間は視覚が優位になりやすいためか、幻視を使う作品が多くみられます。

晝しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつをり/葛原妙子『朱靈』

この人といつか別れる そらみみはいつも子どもの声をしている/佐藤弓生『薄い街』

冬の駅ひとりになれば耳の奥に硝子の駒を置く場所がある/大森静佳『てのひらを燃やす』

人類を超越した視点

別の世界からの視点、宇宙規模や神的な視点といった、人類を超越した視点を採用しています。この視点によって、主体が人ではない、非人間的な感覚を味わうことができます。

他界より眺めてあらばしずかなる的となるべきゆふぐれの水/葛原妙子『朱靈』 

さくらばな陽に泡立つを目守まもりゐるこの冥き遊星に人と生れて/山中智恵子『みずかありなむ』

ふいに雨 そう、運命はつまずいて、翡翠のようにかみさまはひとり/井上法子『永遠でないほうの火』

語のイメージを立たせる

作品に現実世界の空間を与えなくても語のイメージ(スキーマ)を立たせることで、一首を成立させることができます。言葉が宙づりのまま、現実世界には存在しない形而上のスペースが発生します。

このような作品は、「ファンタジー短歌」ではなく、技法として理解したほうがよいかもしれません。

水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水 /服部真里子『行け広野へと』

渦巻きは一つ一つが薔薇なのに吸い込まれるのはいちどだけ/我妻俊樹『カメラは光ることをやめて触った』

片手で星と握手することだ、片足がすっかりコカコーラの瓶のようになって/瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end』

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さいごに

今回紹介した分類は便利なラベルの一種であり、絶対的なものではありません。各項目ごとに歌を引用しましたが、個別の歌の評をすると長くなるので、個人誌の『ファンタジー短歌研究』上でやっていこうと思います。

一部の引用歌の出典は国会図書館デジタルコレクションで自宅にいながら読むことができます! 以下で歌集のリンクをまとめています。

▼歌集リスト

▼ファンタジー短歌関連に絞ったリスト

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辻原僚(短歌)
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