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【短歌】なぜフィクションの歌を信じられるのか?
はじめに
フィクションの短歌作品でも、描写を自然と信じて読めてしまうのはなぜでしょうか?今回はその理由を探るために「不信の自発的停止」という現象を取り上げます。
まず、このキーワードに関する説明から始め、短歌における「不信の自発的停止」の実例を見ていきます。
「不信の自発的停止」について
「不信の自発的停止(willing suspension of disbelief)」とは、イギリスの詩人サミュエル・テイラー・コーリッジが述べたアイデアで、読者や観客が品の非現実的な要素を疑うことなく、自発的に受け入れる心理状態を指します。
例えば、漫画に登場するゴム人間のような非現実的なキャラクターに対して、読者はその存在をどのように受け止めているでしょうか。多くの読者はその理由を深く考えることなく、物語に没入し、読み進めていることでしょう。この自然な受容の過程が「不信の自発的停止」です。
文章、漫画、アニメ等、様々なジャンルの作品においてこのメカニズムは働き、読者や観客は作品の世界が現実と異なることを認識しながらも、その事実を一時的に横に置いて作品を楽しむわけです。
短歌ではどうか?
東直子の短歌を例に挙げてみます。
好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ
この短歌では、燃え盛る湖の上を進む「あなた」のカヌーという非現実的な光景が描かれています。主体はこの別離の光景に喪失感を抱くことが想像されます。
この短歌を一読して、描写には乗れたでしょうか。もし、違和感がないとすれば「不信の自発的停止」が発生しています。おそらく作品内のリアリティで調整して解釈をしているはずです。
リアル(現実世界)をベースに考えるなら、空間描写に疑問を投げかけることも可能ですが、空間のリアリティが淡く調整されている歌に対してリアルの描写で読もうとすれば、当然うまく読み取れません。歌を読む際には、作品だけでなく読者の想像力が重要な役割を果たしています。
以下の記事でまとめていますが、読者がどの程度のリアリティのレベルで作品を読むかは、読者が採用するモードにかかっています。
「不信の自発的停止」を操作する
短歌において「意図的な不信の停止」を巧みに操作し、独特な効果を生み出している作品があります。例えば、花山(2021)は石川美南が以下のような作品で「゛これは空想ですよ”ということわり」と同時に「゛これは物語っぽく現実を詠っているんですよ”ということわり」を入れていると指摘します。
眠り課の暗躍により第五号議案もつつがなく夢の中
「暗躍により」という表現に注目してみましょう。この言葉は、できごとを俯瞰した視点から語っているように読めませんか? 花山はこれが作品世界における「ことわり」、言い換えれば前フリとして機能していると指摘しています。
花山は以下のように石川作品を整理します。
一方、石川美南の歌は、モチーフとしてはごく日常の出来事を多く取り込みながらそこに現実のメタファーとしてファンタジーを介在させることで、「私性」の磁場を、ひいては歌のリアルを攪拌するようなところがある。そのような行為の結果として石川美南の歌は一定の嘘くささを保つ。それは、つまり、どの地点からも歌を信じさせない、信じさせるための重力を持たないということなのだ。
花山周子「石川美南の゛ファンタジー”についての考察」p.112
山田(2015)は『桜前線開架宣言』で石川美南は「短歌にマジック・リアリズムの表現を導入しようとしている」と述べています。マジックリアリズムとは私たちが生活する現実世界に、非日常的なものや現象を導入する手法です。ローファンタジーとも言えそうです。
通常、「マジックリアリズム」の描写をするなら、読者に信じてもらうために説得力を持たせるのが一般的ですが、石川作品では「マジックリアリズムの語り」をしているため状況が異なります。石川作品では読者が信用できない語りをすることで、ユーモアのある独自の世界観を作りだしています。
「不信の自発的停止」が起きにくいケース
以下のようなケースでは、読者に違和感を与えてしまうため「不信自発的停止」が起きにくいと考えられます。代表的なケースを三つ挙げます。
作品内設定が一貫していない
フィクション作品では世界観に一貫性が求められます。世界内のルールや設定が矛盾していたり、描写があまりにも突飛な場合、読者は作品に没入するのが難しくなります。
主体の動機や行動が不自然
主体の動機が不明確であったり、その行動がおかしいと思われる場合、読者は作品世界から離れてしまうかもしれません。連作のアイデアとして奇異な行動を入れるのはありだと思いますが、前後の歌でバランスを取る等、文脈の調整が必要になると思います。
読み取りエラー
歌の中で言葉が誤って使われているなど、技術的な欠陥が存在すると、読者は作品に没入することが困難になります。読者が内容以前に文字として作品を見てしまい、醒めてしまいます。
さいごに
「不信の自発的停止」の重要性について説明しましたが、表現が弱くなると詩としてつまらなくなる可能性があります。また、読者の反応を完全に予測することは不可能なため、明確な違和感がない限り、あまり慎重になり過ぎなくてもよいと思います。
「不信の自発的停止」のアイデアをさらに展開をさせるために、次の記事ではイメージへの「抵抗」について考察していきます。
参考文献
・石川美南『裏島』(本阿弥書店)2011
・サミュエル・テイラー・コウルリッジ (著), 東京コウルリッジ研究会訳『文学的自叙伝: 文学者としての我が人生と意見の伝記的素描』(法政大学出版局)2013
・東直子『青卵』(本阿弥書店)
・山田航『桜前線開架宣言』(左右社)2015
・『短歌研究』 2021年7月号 特別寄稿 花山周子「石川美南の゛ファンタジー”についての考察」
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![辻原僚(短歌)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/107263315/profile_7a204b5f31aea7d77cd0bc8253da3361.png?width=600&crop=1:1,smart)