ファンタジー短歌の方法③異世界論
前回のおさらいと今回のテーマ
前回は「魔法的レトリック」について考えました。魔法的レトリックとは、短歌の中で魔法を使っているようなイメージを発生させるレトリック(修辞)のことでした。未読の方は以下をご一読ください。
今回は「異世界」を表現する際の方向性とその意味について検討します。「異世界」とは現実世界とは異なる世界のことです。
異世界表現の方向性
現実世界を基準にすると、異世界の方向性は以下の三つに分けられます。それぞれにどんな特徴があるのか見ていきましょう。
①現実よりも良い世界
一般的に人々は現実よりも良く、理想的とされる世界を求めます。この理想的な世界についての議論は大枠では「楽園」と「ユートピア」の2点に分けられます。この分類は巖谷國士 (2002)の『シュルレアリスムとは何か』を参考にしています。
(1)楽園
現在よりもはるか昔に存在したとされる楽園のイメージは、文明的な電子機器などが存在せず、自然と調和し、穏やかに暮らす姿が一般的です。楽園は宗教の教えや、作品や旅行記を通じて伝えられています。
いくつかの例を挙げると、キリスト教では天国、イスラム教ではジャンナ、仏教の一部では浄土、北欧神話ではヴァルハラ、アイルランドの神話ではティルナローグなどがあります。また、言い伝えられた場所としては桃源郷、アトランティス、ジパング、エルドラドなどが挙げられます。
宗教的な場所は、信仰の結果や過程で到達する場所です。これらの場所は宗教的な信念や教えに基づいており、信者にとっては特別な意味を持ちます。作品や旅行記に登場する場所は、現実世界に存在するかを問わず描かれることがあります。これらの場所は美化された遠い場所として描かれ、読者や旅行者に憧れをもたらしたり、想像力をかきたてる場所になっています。
(2)ユートピア
ユートピアはギリシャ語の"ou"(ない)と"topos"(場所)から派生した言葉であり、現実世界に存在しない理想的な場所を指します。ユートピアを描写するユートピア文学は、存在しないフィクションの場所を考察し、現実世界を批判するためのものといえます。
代表的な作品として、トマス・モアの『ユートピア』があります。この作品では、ヒュトロダエウスという人物がかつて訪れた理想的な島国「ユートピア」について語られています。ユートピアでは財産は共有され、金銀や宝石などの物質的な価値は重視されません。市民は1日6時間しか労働せず、余暇の時間を学問や音楽、遊びを楽しむことができます。「ユートピア」の社会は共産主義的な宗教都市として構築されています。
②現実よりも悪い世界
20世紀以降では、未来の都市を描きながら現実世界の問題点を批判する作品が登場しました。ユートピアは管理や統制が強化されると、結果として反ユートピアである「ディストピア」へと変化していきます。オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』(1932)やジョージ・オーウェルの『1984』(1949)がその代表的な作品であり、これらを読んでいただくとディストピアについて理解しやすいと思います。
『1984』は現在著作権が切れており、日本語訳がウェブ上で公開されているサイトがあります。以下にそのリンクをご紹介します
ネタバレにならない程度に『1984』の概要をご紹介します。作品自体も興味があればぜひお読みください。
物語は1984年の架空の地域であるオセアニアを舞台に展開します。この地域は「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる指導者の支配下で、「真理省(真実省)」「平和省」「愛情省」「豊富省(潤沢省)」という四つの省庁によって統治されています。市民はテレスクリーンと呼ばれる監視装置によって常に監視されています。物語の主人公であるウィンストン・スミスは真理省の職員として働いていますが、システムに疑問を抱き、反体制的な思考を抱くようになります。
③現実より良くも悪くもない世界
コミュニティにおいて、全構成員が公平な扱いを求めると維持コストが増えますが、逆に不公平な扱いだと不満がたまり、崩壊の危険性が高まります。結果として、世界像は中庸な状態になることもあります。このような世界像の一例として、ハイファンタジーの世界が挙げられます。ハイファンタジーは、現実世界とは異なる法則やルール、そして人間以外の知的生命体の種族を含む世界を特徴としています。
代表的なハイファンタジーの例として、トールキンの『指輪物語』があります。この物語は中つ国(ミドルアース)と呼ばれる架空の大陸を舞台にしており、人間、エルフ、ドワーフ、ホビットなど、さまざまな種族が共存しています。物語の主人公であるフロド・バギンズは、冥王サウロンの魔力が込められた指輪を手に入れてしまいます。フロドは指輪を破壊するため、滅びの山の火口へ向かう旅に出ます。
備考:文化的イメージの蓄積によって作られた空間
世界全体でなくても、時には特定の空間が形成されます。例えば、短歌において「ここではないところ」という表現が用いられる場合、特定の文化においてイメージされる空間を指し示すことがあります。
例えば、『早稲田短歌』のインタビューで水原紫苑(2000)は「『ここではないどこかへ』連れていくもの」という短歌観について述べています。
他にも、井辻朱美(1993)は創作の背景として「はるかなとき、とおいところ」という言葉を使用しています。彼女は「いまここ」から時間的、空間的に離れた存在に親近感を抱くことを指摘しています。
水原は能などの古典作品の世界観を、井辻は中世の物語世界や宇宙、恐竜の時代などを「ここではないところ」として表現に取り入れています。これらは世界観の構築まではされていない場合もありますが、「異空間」として異世界に広い意味で分類することができます。
何のために異世界を表現するのか
結論として、異世界を表現する際には、現実世界への姿勢を明確にする必要があると考えます。単に異世界を描くだけでは、現実逃避として批判を受ける可能性があります。明確な意図を持ち、美しい世界像を追求するのは問題ありませんが、その際には注意が必要です。
上記のような異世界の表現の例として、1960年代のフェミニストSFが挙げられます。アーシュラ・K・ル・グウィンの『闇の左手』(1969)では、両性具有のゲセン人という存在を通じて異なる性別のあり方を探求しています。ル・グウィンの作品は、読者に現実世界のジェンダーや性のあり方について考えさせるきっかけを与えます。異世界を武器として活用することで、フェミニズムの視点からの社会的なメッセージを伝えることに成功しています。
まとめ
独自の世界像を創り出す方法が重要な課題となります。さらに、短歌の中でどこまで異世界を表現できるのかについても研究が必要です。地球上の生存可能な領域は既に探索し尽くされており、一般的な世界像のアイデアはすでに考え尽くされています。そうした状況の中で、どこまで想像力を広げることができるのでしょうか。次回は、より具体的に世界像についての考察を進めていきます。
参考文献
・アーシュラ・K・ルヴィン『闇の左手』(早川書房)1977
・井辻朱美『コリオリの風』(河出書房新社) 1993
・巖谷國士 『シュルレアリスムとは何か』(筑摩書房)2002
・川端香男里『ユートピアの幻想』(講談社)1993
・オルダス・ハクスリー著、大森望訳『すばらしい新世界』(早川書房)2017
・ジョージ・オーウェル著、高橋 和久 訳 『一九八四年』(早川書房)2009
・J.R.R.トールキン著,瀬田 貞二,田中 明子訳 『最新版 指輪物語1 旅の仲間 上』評論社 (2022)
・トマス・モア著、澤田昭夫訳『ユートピア』(中央公論新社)1978
・早稲田短歌会HP「早稲田短歌31号インタビュー -水原紫苑氏に聞く-」(閲覧日:2023年7月16日)
・実験記録 No.02【日本語訳】一九八四年(Nineteen Eighty-Four)(閲覧日:2023年7月16日)
宣伝
筆者はもう現役生ではないですが、早稲田短歌会について宣伝します。わせたんでは機関誌のバックナンバーをHPにアップロードしています。今回引用した部分も含め、ぜひご一読ください。