記事一覧
The Catcher in the Rye, 鮮明で尊い、"ときめき"に溢れているとき。
「ライ麦畑の反逆児」というタイトルの映画をみた。ご存知の方もあるかもしれない。それは、とても有名な小説。でも、わたしは読み終えることなく挫折したまま、もうかれこれ10年くらいになるだろうか、本棚の奥へとしまい込んでしまった物語。
発表から68年。世界中での発行部数は6500万部を超え、30カ国語に翻訳され、現在も毎年25万部ずつ売れ続けている。20世紀を代表する青春小説「ライ麦畑でつかまえて (
生を全うすることは。
出し惜しみなく生きられたらいいのにな。
そんなことを考えた。
たまに咲かない蕾もあるけれど、花は生を全うしている。花だけじゃなく、蟻も蝉もあらゆる動植物は、その生を全うし、他の生物たちの肥やしとなって、死んでいく。
それに比べると私どもは、ちっぽけな宝箱を小脇に抱え出し惜しみばかり。
その恥じらいはどちらに向いている?
もちろんすぐには変われないけれど、出し惜しみをしない花のような人になり
いばらきのポテンシャル
先日、陶芸巡りの旅で益子から水戸、笠間のあたりを車でブーンとドライブしてきた。
茨城といえば水戸納豆や、巨大イオン、下妻物語のようなヤンキー的な文化をほんのりと思い描くばかりでそれ程に、これといった印象を持っていなかった。
そして、実際茨城のイオンは巨大な複合的総合施設であまりにも立派に鎮座していたのでたまげた。
残念ながら魅力のある県ランキングでは毎回下から数えた方が早いらしく東京にほど近い
出発は"あわい"から
両耳にぶら下がったイヤリングは、揺れ動く存在だ。
からだの中心を貫く中枢と、東西の隅っこで揺れ動く両耳。
大地に根を張って動かぬことを誓った彼らのような存在がある一方で、いつまでも揺れている存在もあり続ける。
そのどちらが優れているかって?
そんな話がしたいんじゃなくて。
揺れ動くものと、深く深く根を張ったもの。
その中間に位置するわたし。
そのどちらも受け入れながら、存在を知りながら
目と目の間に膨れるたんこぶ
おやおや、そこの君。
なんだか気持ちがずいぶん前のめりになっていないかい?
目の前の小宇宙。螺旋のように途切れることのない情報の海に今にも溺れそうになっているじゃないか!・・・
そんなんじゃだめだよ。
さぁ画面から離れて。
腰をあげるんだ。重たい腰を。
頭だけが自分じゃないぞ。
こころとからだもくっついている。
からだを使え、からだを。
寒さや暑さ、くたくたになるまで動き回って、
沈黙は金なり、魅力なり。
わたしは思ってしまいました。
せっかく年頃の、美しくきらきらしている同世代女子二人組が不特定多数の人々が乗り合わせる電車内において。
職場での生生しい不平や不満・現状について熱心に小一時間も語りあっている姿。とてももったいないし恥ずかしいと。
仕事に熱心に励み、友人と悩みを分かち合うのは良いストレス解消でしょうが、居酒屋でもないのにとなりに居合わせてしまったばかりに延々とその子たちの職場での
今日は満月だろうか。
まっすぐ立って確認しようとおもったが、わたしの目はぐるぐるまわるばかり。
きっと満月も近い。