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"家族"と"幸せ"は「=(イコール)」でなければいけないのか?


こんにちは、30歳になっても膝の傷が絶えないツコツコです。

noteを始めて1ヶ月が経ちました。
始めた当初は文章を書くのが久々なものでかなり不安がありました。

目に留めていただけることも然ることながら、
noteを書きながら自分の思考や感情を言語化することで
表現を工夫したり、自分の中で文章として構成しなおす時間ができました。

とはいえ、「伝えたい」と思ってきたこと書いてきたつもりではあります。
拙い文章にスキをしていいただき励みになってます!
この機会のお礼を。改めてありがとうございます!

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さて、1ヶ月の間、ガツガツと個人的な思考について書いてきたので、
ここらで自分のことについて書いていきたいと思います。

ここでタイトルにもつながるのですが、
みなさんは「自己紹介」をしたことはありますか?

時間を取って考えてみるとスラスラと言える部分があったり、
何を伝えようか迷ってしまう部分もあると思います。

少なからず人生に何度か経験する自己紹介。

僕も自分のことをお伝えする「プロフィールブック」なるものを作成中
でして、マネージャーの方に用意していただいた項目について
少しずつ書いています。

この中に僕が絶対に詰まってしまう項目があります。
"家族紹介"です。



家族って幸せなものなの…?


僕は家族について書こうとするたびに思考が停止してしまう

「何から書けばいいのかわからない」のではない。
「何を書こうとしてもウソっぽくなってしまうからだ。」

一般的に
家族というものは
明るくて
幸せなもので、
尊敬する存在があって、
支えあうもの。

というイメージがある。
他の方が書いたプロフィールの資料を見せていただいても、
明るくて支えあうイメージが全面に押し出されているものが多い。

しかし、我が家のことを考えると頭の中が真っ黒になるのだ。
明るく楽しい雰囲気の家族紹介を書いたところで、
途中で文章に詰まってしまう。
もちろん、ここまで育ててくれたことには感謝している。
それでも話題に触れようとすると暗い感情が首をもたげる

僕のことをよく知らない人はプロフィールブックから第一印象を読み取る。
その性格上、家族紹介の雰囲気が暗いと印象もよくないのだ。
こういった葛藤から、書いては消してを繰り返している内に、
数週間が経ってしまった。

調べ物をする中で他の方の記事を読んでみると、
僕と同じように親との関係で悩んでいる方がかなりいる
少し過去を振り返ってみたい。



父親という存在がなかった。


両親は自営業で共働き。
父親は平日の夜は飲み歩き、休みとなると自分の趣味に没頭。
家にほとんどいたことがなかった。

母と従姉に面倒を見てもらうという環境で育った。

周りを見れば親子でサッカーやキャッチボール。
育児に参加している"父親"という存在がそこにはあった。

仕事で忙しいと子供心に言い聞かされていたため、
父という存在を強くは望まなかった

毎朝、父が散らかした洗濯物やゴミなどを片付けることは
今でも日課であった。

僕が成人するまでに、
熱が出て地域の水泳大会に参加できなかったときは
一方的に仮病と判断し怒鳴られ大会に連行されてプールに沈められた。

大学費用のために貯めていた貯金は
父親が欲しがった車の購入費用に充てられた。

父親の飲み代確保のため、
現在も収入の半分以上は持っていかれている。

「こういう家庭もあって、自分と母親が我慢すれば大丈夫。」
と今まで言い聞かせてきた。

当然、相談しても否定的な回答しか得られず、
これからどうするかという相談もしなくなった。
相談ができないので自分で調べることが身についたとも言えます。

幸いなことに、母親はお金を工面して、
大学に行く意味やこれから必要な費用に対して理解を持っていてくれた。

父親の言動が原因で、母親がうつ病になり、
家庭から離れられないという友人もいる。

我が家は母親のおかげで今までは何とかやってこれたと思う。


毒親という言葉に救われた


"毒親"という言葉を聞いたことがあるだろうか?

毒になる親の略で、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。

最近は広く知られるようになってきた言葉だが、
意識をして「我が家は毒親なので」と使う人は少ない。

また、それを言ったところで
「親御さんなりに心配してると思うよ」
と賛同を得られないことが多数ある。

家族以外の目がある前では積極的に家事を手伝ったりする。
他人の前で取り繕うのが上手いので余計に家族が疲弊するのだ。

実際、父の言動を当てはめていくと発達障害タイプの
毒親っぽさというものに当てはまる。
もちろん、素人目なので断定してしまうことはできないし、
発達障害自体が悪いというつもりもない。
発達障害で苦しんでいる友人もいるが付き合い方の問題もあると思う。

参考:

「自分が原因ではないかもしれない」
「親から距離を取ればなんとかなるかもしれない」
と考えられるようになったことで肩の荷が少しだけ降りた。

転職を機に親と離れられることになった。
そこで縁切り神社に行ってきたのが先月のことである。

とてもじゃないが、
家族のことを書き始めると陰鬱な文章になってしまうのである。



親子の縁は墓まで続く


先日書いた祖母の認知症介護。

その際に不安だった親の介護についても調べてみました。

参考:

・直系血族
・兄弟姉妹
・夫婦
は互いに扶養・扶助する義務があります。
介護はこの扶養・扶助の義務があてはまります。
親の介護は子どもが義務を負うケースがほとんど
親の介護となると、親の配偶者や兄弟は高齢だったり他界していたりするので「子ども」が義務を負うケースがほとんどです。
そのため、親の介護は子どもに義務があるのが実情なのです。

義務とは「お金の支援」
法律で定められているのは「身体的な介護の義務」ではなく、扶養や扶助と言われる「生活を助け合う義務」です。
生活を助け合うとは結局のところ、「お金の支援」です。衣食住の経費や医療費、介護費など生きていくのに最低限必要なお金を支援する義務が原則です。
例えば、親にお金がなく、誰かの助けがないと動くことができない場合、お金を支援してヘルパーさんに面倒をみてもらえば、義務を果たしていることになります。
自身が身体的な介護を行わなければならないわけではありません。

父親は浪費家なので、老後資金を貯めていませんでした。
ある時、胸ぐらをつかまれ
「俺は年齢的にも働きたくない。」と宣言しつつ、
「生活費はすべてこちらの懐に入れるように」と脅されたこともあります

恐らく、毒親だと認識している人達の中には
生活費を握られている方もたくさんいらっしゃると思います。
そんな状態で介護に突入しても「知らぬ」「存ぜぬ」では通らないのです。

そこで必要なことは

・相依存状態を解消し経済的に自立すること
・接点を少なくするために介護サービスを利用するお金を準備すること
・人の役に立っているという感覚を見つけること

僕自身もそうですが、意思を伝えても否定される経験をし、
我慢し続ける生活を送ってきているので、
毒親を持つ子どもは自己肯定感が著しく低いです。

自己肯定感が低いと恋愛や仕事においても
知らず知らずの内に自分で行動を制限してしまいます

しかし、今から行動することで回避することができます。



まずは環境を変えること


心が変われば行動が変わる/行動が変われば習慣が変わる/習慣が変われば人格が変わる/人格が変われば運命が変わる/運命が変われば人生が変わる
          ───スイスの哲学者アンリ・フレデリック・アミエル

人の意思を変えることはとても難しい。
現状の自分を変えることが一番の近道です。

僕にとって家族紹介を書くことはとてもハードルが高いですが、
こういった考えに至らせてくれたことには感謝しています。

アンリ・フレデリック・アミエルの引用は心がスタートですが、
行動、意思、環境はどれからスタートしてもいいと思っています。

現状が幸せだと感じられないのであれば、
自分が幸せになる方法を考えるしかありません。

そして、自分が家庭を持った時に家族=幸せな環境を作りたいです。

自分が不安だったからこそ、
子どもの世代に不安を持たせないための環境づくりをしていきたいです。

過去から学ぶことはあっても、
同じことを繰り返すことは発展を生むとは思いません。
毒親という言葉が次の世代にも残らないように、
子どもたちの世代が自立できる社会作りをしていきたい

自分の過去を振り返りながら思うのでした。

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