陰陽調和 料理で健康 を読んでみた。
知ってた?ぶどうってコンポートを作るときに湯剥きするとつるっと皮が剥けるって。
散々同じ方法でミニトマトを湯剥きしたこの夏だったのに、そんな応用編の発想が全く沸かず四苦八苦して、売れ残った巨峰を大事に食べようと剥き終わった後にコンポートの砂糖の分量を見るために料理サイトをのぞいたとき、そう書いてあったのを何とも言えない気持ちになって見た。
ああいう時の徒労感ってばなんとも愛おしく思える。あほだな~~自分!と思う時の、無駄な時間を過ごしたことへの愛おしさ。
いいよね、難しいものをやり終えたことの達成感と同じくらいもっと早く終えられたな~と思う瞬間のすべてが相殺される感じ。楽しい。(楽しいと思おうとしている人の顔)
野村萬斎の正体不明感ってやっぱり細部まで作りこまれた筋肉と狂言の持つ道化さによるもんなんだろうな。そりゃそう。の話
さて、マサちゃん(母)が本棚の片づけをしていたら見つけたらしい梅崎和子さん著<陰陽調和 料理で健康>を渡されたので読んでみた。
どのくらいの人が同じように感じているかわからないけれど、私は”陰陽調和”とか書いてあるのを見るとスピってる(スピリチュアルみを感じる)な~!と思う。正月やらお盆やら大安やら忌引きとか、生活の中での陰陽はなんとなく享受しているのに、それらが”陰陽”と言われると実感が伴わないのは言葉が少々遠くにあるからなんだろうなあ。
私の中にある”陰陽”という言葉の連想ゲームをしたときに一番最初に出てくるのは安倍晴明の陰陽師である。ファンタジーじゃね~か(遠すぎる)
ところで本には全く関係しないが、先日何と気なしに〈陰陽師〉という夢枕獏原作の映画を見たらば野村萬斎の演じる、安倍晴明の得体の知れなさと、でも引き付けられる魅力満点な色っぽい安倍晴明が最高だったのよね~~。伊藤英明の演じるすべてを持ってるチャラ色男若貴族とのタッグも魅力的だった。化け物へのこだわりの目線がよかった。
食事から考える人類史みたいなことってやっぱり面白いんだよなの話
本の話に戻ると、ざっと読み終えた感想としては個人的に言うと「市民版の食にまつわる歴史書みたいだな~」という印象だった。
地に足がついた、というのか、民間で古くから言い伝えられてきた食文化やそれら周辺の文化価値観さえも定点観測している雰囲気が、感じられる。
この本で重要なのは、陰陽を「胡散臭いもの」として見ない。という目線、なのかと思う。
つまるところ、陰陽調理というのは食材をどのように調理して食べたら体内の血中の酸性とアルカリ性のバランスが良くなるか、を突き詰めて考えている調理法だからだ。(そうは書かれていないけどもね)
なんで歴史書のようだなと感じたかというと、著者は元々病院で栄養士として働いていて、最新の栄養学に基づいて料理を患者に提供していたけれども、ある時「このままでいいのか?」という疑問を持ち、その疑問を膨らませていった結果、陰陽調理にたどり着いていく。
もともと理論や化学で料理を作っていた人が、その原点に戻ったとき、そしてその道の先を見つめる目線が、まるで研究者なんだよなあ~。だから本も理路整然していて読みやすい。
そも、「栄養学」の始まりの話。
現在の栄養学というのはもともとドイツもといヨーロッパから渡ってきた知識の上に成り立っているもので、同じ人間と言えど、日本国内で北海道に住む人と沖縄に住む人の食文化が全く違うように、国も地域も違えば同然そこで育つ人、そして食べるものが変わる。食べるものが変わると消化するための臓器のカタチや細胞やそれを消化するための臓器のカタチや細胞や反応も変わってくるということだ。近所の整体師と話していて聞いたのだけれど、「(以前働いていた)亀戸の人と、流山の人は全然身体が違う~!」らしい。(亀戸とは東京東側にある昔ながらの街である)
というのは、バスと電車が発達して、歩くことが多い亀戸と、なんだかんだ車社会で過ごしている人が多い流山とでは筋肉の付き方が、日々整体師として多くの身体を触っていると全く違うと思ったようだ。
なので同様に、食事という面で見ても、欧米・米国の食生活を基本にして組み立てられた栄養バランスを、日本に対しても全く同じに反映させるのはどうなんだろうか?という視点から、「では私たちは何をどう食べればいいのか?」とその答えを探るために過去へと食の時期をさかのぼっていく。
(ちなみにこの本が一番最初に書かれたのは1994年のことで、著者の方は1951年生まれである。この時の状況で書かれているということは申し上げておきます)
耳が痛い。ひじょ~~~に耳が痛い。
この本を読んでいると、鉄分不足だからといって鉄分がたくさん入っているジュースを飲み、それだけでは吸収ができないようだといって、やっすいプロテインを買って朝晩と飲み始めた私の耳が痛くなる。
思い当たる節しかない。いつだって理論と実践はイコールにならない。
だって(言い訳が始まりますよここから)、一年前くらいからさすがに運動しなきゃと思って筋トレなどの運動習慣を初めて、週に4,5回は一時間くらい運動しているのに、まったく体重も変わらないし、大きな変化が見えないから、動画を見てする運動に限界があるのか?とか自分のやり方に問題があるのか?とか思って、筋トレに関する動画をみていたらどの動画でも一生「タンパク質が大事なんです」て言われるんだも~~~~ん!!それもそうなのか~~~!とか思うじゃん~~!!豆腐とか大豆たんぱくだけでとるのはなかなか大変なんだもん~~~!プロテインって飲めばその分量がクリアできるというのは、食生活を大きく変える必要がないのでありがたいものなんだよな~~。
もちろんここで言われるたんぱく質の必要量は、欧米・そして戦後急速に馴染むことになった洋風の食事を踏まえたうえで組み立てられているものである。
でもそれって、『良いこと』なんだろうか?と、その手軽さって、『良い』んだろうか?という疑問の種が自分に植えられたのがわかる。
食べもののバランスじゃなくて、歯の割合で食べる割合を考えようとは?の話
一個むちゃくちゃおもしろかったのが、動物のヒトとしての”歯”の話だった。
生物は、それぞれの「種」によって自然に定まった食の範囲で食べて生きている。例えばサバンナで生きる草食動物であるキリンやヌーは自分の身体に合った高さにある植物の葉を食べ分け、食べやすいように草を刈る門歯や臼歯で食べている。対して肉食動物は犬歯がより尖って固くなった牙を使い、草食動物を捕まえ、ノコギリ状の臼歯で裂いて内臓から食べる。
このように動物の持っている肉体や生きるための条件の違いによって食べ方や食べられる範囲が決まっているわけだ。
んなの知ってるよ、となるだろうけどもうちょっと付き合ってね。
では人間の歯は何をどう食べるようになってるんだろうか?
おもしれ~~~!食べる比率を、歯の比率で考えたことがなかった!
こうみると普段の食事に毎度お肉が何かしらあったり、魚が絶対なきゃ…という状況もタンパク質をとらなきゃ…!という考えの重圧からすこし解放される気がしてくる。
感想の総括の話
陰陽についてはあまり触れることがなく、それより前の前提の話で今回は終わりそうだが、結局土井先生の「一汁一菜でよいという提案」が大ヒットしたように、私たちはもしかしたら普段食べる事に少々疲れるぐらいには食べ過ぎているんじゃないだろうか?
なんでもそうなんだけれど、この料理法が良いから、これをやればすべてが良くなる!ではなく、今いる現在地って、普段ってどんな食事をしているんだろうかということをまず知る。そして不調があるならまず身体に良いものを食べる。ではなく食べる量を減らす、ということが肝な気がする。
自分の身体を不快なく過ごす為に必要なすべはいくら知っていてもいい。
そんなことを思わせる良い本でした。
図書館などにもあるかもしれないので興味が向けば是非に~!
次回予告
ということで、こんなことを踏まえて次回はオーガニックショップの店長であるわたしがどんな食生活を普段送っているのか一週間記録をつけてみたいと思う。べつに誰も興味ないのはわかっているけれど、次の本を読むための踊り場をつくることを許してほしい。うふ!
ではまた!
何かしらあればこちらでも
いついかなる時も何を書こうか悩んでおりますので、なにがしらの質問や読んでほしい本などあればなんでもどうぞ!という気持ちで、お題箱おいておきます。よろしくね
なんでもどうぞ (@masumiya_kabu) | お題箱 (odaibako.net)
◎八百屋真澄屋 日曜日ー金曜日10:00〜19:00
定休日 土曜日
◎百笑カフェおおきなかぶ 日曜日ー木曜日11:00〜15:00
定休日 金曜日、土曜日
〒270-0157
千葉県流山市平和台3-2-16
☎︎047-159-5328
✉︎masumiya.kabu@gmail.com
真澄屋(@msmy5328) • Instagram写真と動画
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?