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汝、星のごとくがグッサグサきた話。

我が家は西日が強い。
夏も近づくと、家にいるだけで日焼けをするくらいには。

きょう、本屋大賞で見事グランプリ(グランプリって言い方でいいのかな)に輝いた作品を西日の当たるベッドで読んでいて思ったのだけど、人間関係って一生ついて回るんだね。

なんとなくふわふわと分かってはいたけれど、読んでいる本がフィクションなのも理解しているのだけれど、つくづく思い知らされたというか。

先日、ありとあらゆる悪事を働いて、妻や母、こどもを奈落の底に落とし続けている男に、「会いたい」とこどもが泣いた。
どれだけの悪さをしたって、何ヶ月も家に帰ってこなくたって、こどもにとってはたったひとりの父親であって、かけがえのない存在なのだ。

「ママとパパが喧嘩をしているところは見たくない。けどパパにはやっぱり会いたい。」

そんなことをいざゆっくりお風呂に入ろうというときに泣いて言われ、色々なモヤモヤ、焦り、虚無感、全てを洗い流してくれるお風呂を諦め、こどもとの時間に費やした。

泣き疲れてすぐに寝るかと思いきや、きょうは眠れそうにないと言われ、4時まで起きていることとなった。
こどもは次の日にはケロッと忘れていたものの、親であるわたしには「会いたい」の一言が重くのしかかったままべっとりこびりついて離れない。

ひとの貯金を盗む男を、平気でなめらかに嘘をつく男を、いい歳して親に何百万もの借金をしても平気な顔している男を、こどもと会わせるわけにはいかない。

どこかにわたしの"絶対会わせるものか!"という意地が入り込んで、ややこしくしているのはわかっている。
けど、やはり会わせてはいけない気がするのだ。

義母はクズが使ったさまざまなお金を返すべく、元通りに戻すべく、翻弄してくれている。
もうすぐ60になる身体はガタがきて、心療内科に通っているそうだ。

電話こそ長いが、感謝はしている。
義母がいなかったら、うちはとっくに破綻していただろう。

先週末、恒例の長電話のなかで、「つぶちゃんとまめちゃんとたぬきちが、仲良く暮らしてくれることが、一番の親孝行です」と言われ気付いた。

"このひとはお金のことを精算したら何もかもが戻ると思っている"

わたしはそれとこれとは別問題で、お金をリセットしたからさあ一緒に暮らしましょう!!ルルル~とはならなくて、むしろそんなことより散り積もった嘘や、溶けるかのように消えていった信頼を取り戻すことのほうが大切であった。

その言葉を聞いてから、お互いメンタルを消耗しているなかでの長電話は、重ならない答えをお互い認識しながらの、本当に意味のない電話となり果てた。
わたしの目指す場所は離婚。
義母の目指す場所は仲直り。

一生分かり合えないと思ったし、一生苦しむんだとも思った。
わたしたち親子はいつになったら幸せになれるのだろうと、ただ漠然と思った。
ただ平穏に生きたいだけなのに。

"汝、星のごとく"は、そういう切っても切れない親子の関係であったり、血のつながり、成長していくうえで変わっていく関係の切なさなどを見事に表している。

タイミング的に今読んで正解なのか、それとも読まなきゃよかったのか、分からないけれど。

きょうもわたしはこどものために大好きなカレーを作り、大好きなテレビを観て、自分の気持ちを押し殺しながら、眠れない夜を過ごすのだろう。

最後まで読んでくれてありがとう~🐰 らぶ。