優しさと思いやり
最近「TTは優しいね」と言われたときに少し違和感を持った。
それと同時に高校の生徒指導の人に「思いやり」が大事だと言われたことをふと思い出した。
ある人は「君には思いやりがあるね。」と言い、またある人は「優しさ」があるねと言う。
「思いやり」と「優しさ」の違いって何だろうか?
そんなことを考えていた。
辞書で調べると、
「思いやり」
1.人の身の上や心情に心を配ること。また、その気持ち。同情
2.想像。推察。
3.思慮。分別
goo辞書参照
「優しさ」
心温かく、思いやりがあること。または、おだやかでおとなしいこと。
こんな風にでてくる。
優しさと思いやりは相手によって変化する(相手目線の話)
優しさは相手に目に見える形で、相手に働きかえるということで、比較的に認知されやすい。
例えば、独学で勉強していたときに、友達や家族が、「わからない」と悩んでいるから、「教えてあげよう」と手を貸す。
しかし、本人は、自分の力でやり遂げたい、自分ができるところまでやりたいと感じていたら、どうだろうか?
そこには「お節介」の要素が含まれるに違いない。
つまり、その人にとっては「迷惑だ」と捉えられることもある。
これは、相手の心理的状況、取り巻く環境などの、あらゆる原因が含まれるだろう。
人それぞれが感じ方、受け取り方が異なるので、「本当の優しさ、思いやり」ってなんだろうなと思う。
自分が行った行動自体は、事実である。そこに「この人優しい」「思いやりがあるなぁ」と、受け手側が、判断を下しているしかほかない。つまり、行動に意味づけしている。
優しさは相手に理解されやすく、思いやりは認知されづらい
「優しさ」はどこか表面的で、共感、損得感情を元にして、短期的に発揮され、相手に伝わりやすい行動になり、理解されやすい。
しかし、「思いやり」は様々な角度から物事を考え、相手のことを考え、相手にとって、
「これが良い」と思える行動をとる。だから、時間がかかるし、その「思いやり」が表面的に現れないこともある。
「思いやり」ができる相手には、限りがあり、全体に「思いやり」できるわけではない。
相手を思いやるには、相手のことを深く知りらないといけない。
価値観、思考の幅、人間性、などその人のアイディティを深く理解していないと、その人のためにならないし、本当の意味の「思いやり」にならない気がする。
思いやりを大切にしたい
「思いやり」の心を持つことで、相手に寄り添う感覚を知る。
時には、思いやりを持って行動すると相手に理解されない時もあり、葛藤する時もあるだろう。
そして、相手に何かしたい、相手の気持ちを慮り、相手とのコミュニケーションを取る。優しさと思いやりを時に混同する時がある。
感情だけで走り続けたり、損得感情で動いていたり、周りに何も残らず、「独り」になり、「孤独」になるかもしれない。
一方で、相手のことを一生懸命考えて、行動にしてくれると嬉しい。
僕が受けて側(思いやりの心を持って、行動してくれる)だと本当に嬉しい。
「思いやり」は見過ごされがちで、相手に反応されない時も多い。
だから、相手と話す時、よく観察することが大事になるし、コミュニケーションをとることが大事になる。
そうすることで、相手の良いところ、悪いところを知り、相手にはじめて「思いやり」を持って接することができると思う。
両方向(思いやりを受ける人と思いやりをしてくれた人)の「思いやり」に気づくこともできる。
世界が「思いやり」に溢れる世界になりますように。
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