市川沙央「こんぺいとうを拾う」
主人公はとげのある女性だ。自分のこだわりを曲げず公言するので、みんなに嫌われている。エスカレータでは、自分のポリシーを曲げず右側に立ち、突き飛ばされて入院する。それで仕事も失う。今はオルゴール専門店のオーナーに拾われて、そこで働いている。店に初めて来た時、主人公はチャイコフスキーの「金平糖の精の踊り」を聞く。
再就職して、主人公はエスカレータの左に立つ。とげのない人間になろうとする。その不快を抑える薬として、こんぺいとうを口にする。こんぺいとうは自作でとげがない。主人公はモラハラ男と同棲したこともある。その男を矯正器具として自分を変えようとした。家には、出て行った男の影たちがまだいて、「完璧なこんぺいとうを作ったら出ていってやる」と言う。しかし、こんぺいとうは何度やってもうまく作れない。
ある日、店に修学旅行の女の子が来てオルゴールの鳴る理屈を主人公に訊く。主人公は、シリンダーのとげが櫛歯に当たって音が鳴ると説明する。
不意に主人公はバレエをやっていた同級生の女の子を思い出す。彼女は足の骨に腫瘍ができて入院する。みんなで千羽鶴と寄せ書きを送ろうという話になる。主人公は、鶴は折らず寄せ書きに「健康が一番」と書く。
修学旅行の女の子と別れた主人公は、十二枚のおり紙を折り鶴の手順で菱形にして、多面体を作る。すると、男たちの影は消える。
今日も彼女は職場に向かう。エスカレータでは右に立つ。私はトゲだと彼女は思う。
生きづらさがテーマなのだろう。主人公ほどではないにしろ、人は必ずトゲを持っている。そのトゲを隠し、同化し人と同調すればトラブルは起きない。
が、それで生きているといえるのか、と作者は問うている。トゲがあるからオルゴールは鳴る。それに気づいた時、主人公は完璧なこんぺいとう(折り紙で作った多面体)をつくる。トゲのある生き方を選択する。
そういう生き方は迷惑なんだろうか。エスカレータではとにかく左に立っとけばいい。タカラヅカは素敵ですねえって、とにかくあわせとけばいい。波風たたないのが一番いい。だから、そうしとけ。
果たしてそれが一番いい生き方なのだろうか。自分とは逆の価値観を持つ人の理屈をただ同調圧力で潰していいのだろうか。違う立場にも聞く耳を持って、それでも自分はこちらを選ぶとした方が良しとならないか。
しかし、そうした主人公の問いかけに、誰も応えてはくれなかった。ただ一人、足を悪くしたあのバレエ少女以外は。
回ってきた寄せ書きの文言を見て、主人公は思う。
真摯な言葉にしろふざけた言葉にしろ、裏には何か絶対で大きなものへの信仰が見える。
日常を生きる者の無邪気さがなければ書けない言葉ばかりだ。
受け取る相手は、今その絶対が揺らいで振り落とされるか否かの際にあるんじゃないのか。
めちゃくちゃにしてやりたくて主人公は書く。
「健康が一番ですよ」
そして、主人公にだけ彼女が出演するはずのバレエ公演のチケットが送られてくる。
たぶん彼女は、寄せ書きの言葉に、そう書くべきだという自覚されない同調圧力の羅列を見た。そこから逃れた唯一の言葉が「健康が一番」だったのだろう。
健康でない、もしかしたら二度とバレエをできない自分に、お為ごかしの励ましや、あるはずのない希望の言葉や、わかるはずのない同情や、元気付けようとするわざとふざけた文言に、彼女は動かされなかった。
「健康が一番」
そうだねえ。じゃ、私が踊るはずだったバレエ見てよ。楽しんできてよ。健康が一番。私もそう思う。
この言葉だけが、トゲのあるホントの言葉だった。
残念ながら、当時の主人公はそれに気づかず、チケットを捨ててしまう。
だが、今、主人公は気づいた。私はトゲがあったから、他人と違えた。違うことで、あの時、バレエの少女と本当は通じ合えていたんだって。
市川さんは問いかけてるんだと思う。あなたにトゲはありますかって。