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桃 三木三奈12[最終回]


川は思ったほど汚くない。そう思うのは、亜子ではなく、読者だ。勿論、ビニール袋や空き缶などが川辺にはあるのだが、小説の冒頭にある「汚れた水が、どこまでも流れている」ような感じはしない。ドブ川かと思っていた川は結構綺麗そうで、カルガモが2羽浮かんでいる。草いきれの匂いはするが、ドブ川の腐った臭いはしない。どころか、光が差し、川面にはゆらゆらと輝く波紋が浮かんでいる。水はゆるやかに流れている。
川が「生」なら、「人生」なら、この「人生」は悪くない。生きることは綺麗事ではないから、ゴミも出るだろう。それを含めて、ゆったりとした流れなのだ。「営み」なのだ。
亜子は土手に座ってノートを開く。そして、書き始める。

−1×−1=1 になるように
ウソにウソをかけて 真実になればいいのに
いろんな私を 一つにすることはむずかしい
だから いつも私は考える
考えることは つかれる

亜子は絵を描いている。沢山の色の光を集めると光は透明になるのに、絵の具は沢山の色を集めると真っ黒になってしまう。亜子のつく嘘は絵の具なのかもしれない。集めれば黒くなってしまう絵の具で、画家は駆使して、光を描くことができる。その魔法を亜子は自分のものにしたいと思っているのかもしれない。

亜子はノートに書く。

心が泣いている 
なんで泣いているかは わからないけど
すべてか悲しいんだろう

でも、自分のものにはできない。自分の嘘は人を傷つける単なる嘘だ。自分は嫌なやつだ。知っている。でも、ただ「人生」に流されるのは、嫌だ。

私はウソつきで 汚い人間だけど
このノートに書いてあることは ぜんぶ本当です

亜子は真実に近づきたい。芸術の秘密を知りたい。思うままの絵が描きたい。人生に流されて生きたくはない。
そう思う亜子の目は、川に浮かぶ2羽のカルガモに向けられる。
2羽のカルガモは、自分たちが流されていることを知っているのだろうか。知って、流されているのだろうか。実は水の中で、必死に水掻きをして、抗っているのではないだろうか。それとも、諦めて流れに身をまかせているのだろうか。
亜子は、カルガモに自分の生き方を重ねてみたのだろう。自分はどう生きればいいんだろう。結論は出ない。それは疲れても、泣きそうになっても、もっとゆっくりじっくり考えなければいけないことだから。
亜子はわかっているのだ。でも、急ぐ必要はない。今は、桃の匂いをかいでいたい、と亜子は思う。

桃の匂いは 私を幸せな気持ちにさせるみたいです

思春期に子供たちは混乱する。ある意味の全能感にも支配される。人を人と思わない言動をしたり、やたら尊大に振る舞ったり、自分には大人のからくりが全部わかっているような気になる。

子供たちは人生の本当を知りたいのだ。でも、そんなものは大人にだってわからない。でも、大人にだってそれを考えるのは大切なはずだ。

私は、この短い小説を読んで、そんなことを思った。自分は、その匂いをいつまでもかいでいたいような桃を果たして持っているのか、と。

             了

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