【昭和歌謡名曲集5】愚か者 近藤真彦
1987年、近藤真彦リリース。名曲である。が、歌手に恵まれなかった。昭和歌謡史の名曲として、百年残る可能性を秘めた歌だった。だが、今カラオケで歌う者は稀である。
勿論、萩原健一バージョンもある。それは知っている。一から作詞をし直させたという伝説もある。が、やはり歌手に恵まれなかったと言わざるを得ない。健一にしては、珍しく何を歌ってるかわかるが、あの歌い方では国民歌謡にはならない。
一度カラオケで、健一に寄せた歌い方を一般人がしたのを聞いたが、殺意を覚えた。気持ち悪いにもほどがある。いや、健一が歌うのはいい。アレはアレの人だから。
マッチに戻そう。いかにも若い。声も若いし、人間としての厚みがない。この歌をうたうには2001年早いように思える。そもそもマッチは、"何十年歌っても全然歌が上手くならない人選手権"があれば、優勝できる逸材である。この歌は無理だ。
彼は歌唱力ゼロで勢いだけで歌ってる人だ。だから「ギンギラギン」は許す。ギンギラ歌えばいい。あの歌に誰も歌唱力など求めてない。リーマン中年オヤジが歌って、ブチョー若いでーす! とか20代の仕事できないOLに声かけられる用にできた歌だ。昔な。
コアなファンのことは知らない。一般論を述べてるだけだ。
驚いたことに、誰でも知っているが、「ギンギラ」も「愚か者」も作詞は伊集院静である。先頃亡くなった。才能のある作家だったと思う。
「受け月」とか「乳房」とか「海峡」とか読んだ。途中、"瑠璃色のなんちゃら"というつまらまい小説を書いたので読まなくなった。が、色川武大を書いた「いねむり先生」が評判だったので久々読んだら面白かった。才能はある人であった。
芸能の方でも、夏目雅子と結婚し、夏目雅子を亡くし、篠ひろ子と結婚し、松任谷由美のコンサートで本物の象を出したことで有名な人である。
溢れる才能に溺れるかのような人生を歩み無頼で女性にモテた。
その人生での「愚か者」である。マッチなど太刀打ちできるはずがない。レーサーだぞ、という人がいるかも知れないが、チームマッチでレーサーマッチである。そういうことである。例の件があるので、どうしても辛くなる。だから、それを振り払うような圧倒的「愚か者」でなくてはいけない。そんな程度の「愚か者」では許されない。のだ。
個人的情感が出た。許されたい。
最後に言っておく。私のカラオケのオハコは「ギンギラギンにさりげなく」と「哀愁でいと」である。「哀愁」好きなのだ。