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50歳を前にして「じぶん時間を生きる」。

3月に50歳になる。2010年に手相占いを受けて「50歳で大成する」と言われた。これを信じて14年。どんなことがあっても歯を食いしばって頑張ってきたのだが,そんな雰囲気は一向に感じられない(笑)。

一番気力も充実していたであろう40代中盤をコロナでロストしつつも,研究者として著書を記すことはできた。が,人に自分の人生を握られている感覚が正直気持ち悪い。それでも,この数年,特に著書を書いたり,「スプラウト」の活動を興してから感じることだが,自分がどう生きたいか,どういう社会を構築したいのか,それを形にするためには何がなされなければならないのかを実践するだけで心の充足を得られるようになってきた。

もしかしたら,それを推し進めれば推し進めるほど「良い思いをしない人」もいるかもしれないが,僕には僕ができることを淡々とやることしかできないし,それがこの立場だからこそできる,僕なりの貢献の方法でもある。

2024年に入り,本務校の仕事もある程度一段落して時間の余裕があるので,久しぶりに本を数冊読めている。スタートアップやベンチャーキャピタル史に関わる本を読んだあと(これは結局研究につながる),ふとこの本を手にして読んでみることにした。

筆者はBIOTOPEというコンサルティング会社(?)を経営しながら,コロナ禍を契機に軽井沢に移住したという経験を持つ。そこから得た経験,感覚を言語にして,自分の中で「地方で暮らす」ということがどのような意味を持っているのかが記されている。

かつて私自身もコロナ前には香港に「微住」感覚で3日間時間があれば通っていたし,コロナ最中には「九州移住ドラフト」に参加したことでさまざまな地域の方々とのつながりを作ることができた。

仕事柄,学校という物理的にフィジカルに学生と対面することが求められる職場であるため,「移住」という選択肢はなかなか取りづらいが,一方で会社勤めをして決まった日,時間に出勤をしなければならないという働き方ではないため,比較的時間を確保することができる。学会や出張として他地域に「旅」をすることができるし,創造的なアイデアを持っている研究者や社会人と話をすることを通じて,(辛くてしんどい時間ではあるけれども)自分自身の至らなさを知りつつ,少しでも創造的な仕事をしたいと自分を位置づけることもできる。

そんな中で,創業体験プログラムで販売する商品をその年の合宿地に関連付けることを始めてみたり,「スプラウト」で壱岐や日田という福岡まで1時間という地方都市にある高校生に対してアントレプレナーシップ教育を展開していくという取り組みを始めてきた。そして,今やスプラウトは2023年は宮崎・日南,2024年は大分・佐伯や豊後大野,熊本・苓北や山都,人吉といった遠隔地にも広がろうとしている。それもこれも,コロナ禍と情報技術の発展により,オンラインとオフラインの境目が見えづらくなったこと,それをうまくつかいこなすことができるようになった「人間のイノベーション」の結果でもある。

そうした積み重ねの中で,この本をたまたま手に取り,読んでみることにした。そこには私がかつて考えてきたことであったが,実践できなかったこと=実践した結果,精神的に豊かな生活を送ることができる人が何を手に入れることができているのかについて記されていた。

以下,文章を抜き出して紹介しておく。

地方に拠点を移してから気づかされたのは「トレンドから取り残されるといいうけれど,東京で生活していたとき,本当にトレンドをキャッチアップしていたんだっけ?」という問いだ。

実は,コロナ禍を経て,トレンドそのものが都会からなくなりつつある状況になっている。かつて「街」がトレンドを発信するメディアになっていた時代が長く続いていた。表参道のようなファッショナブルの街を歩いているだけで,最先端のトレンドやデザインに触れている感覚はたしかにあった。

ただ,リモート環境が当たり前になるに従い,街のメディアとしての役割は減っていった。情報がスマホのSNSに移り,人によって嗜好性が違うタイムラインがメインになることで,「これをやっていれば間違いない」といった日本人共通のメガトレンドは,どんどん少なくなった。今,街を歩いて時代のトレンドを感じ取るのは以前と比べてむずかしくなっている。(中略)ひと昔前と比べて,地方と都市との情報格差は減りつつあるのではないかと思う。

佐宗邦威『じぶん時間を生きる』p.150-151より抜粋。

その上で,筆者は「むしろ注意しないといけないのは,『情報のバイアス』だという。そして,それから逃れるために,①新聞を読む,②自分の仕事とは違うコミュニティの人と定期的に会う,③「移動」を生活の中に取り入れることを実践しているという。特に「『移動時間』とはアウトプットのエネルギーを充填する時間になっている」と述べておられるが,これは私も同意する。距離が離れれば離れるほど,自分にとって日常ではない景色を見れば見るほど,自分の頭の中にある混沌した何かが整理されていく,削ぎ落とされていく感覚がある。

その意味で,どこに住み,何を生業とし,何を見聞きして生きていくかは今まで以上に重要になるだろう。コロナ直前のゼミ合宿で日南と串間に訪れたとき,すでに私はこんなことを書いていた。

今回の合宿の冒頭,なぜ合宿地を日南にしたのか。その意味を伝えたのだが、きっと誰も何も理解せずに(理由はあったにせよ)早々に福岡に戻ったのは残念としか言いようがない。ただ酒を飲み,高校生と交流するためにここに来たのではない。

20年後に来るであろう未来は彼らに見えたのであろうか?

結局,あるものしか見ていないのだ。いや,自分たちが足を運ぶ場所への事前インプットもろくにせず,ただ来て,見て,なにか学んだ気になって帰ってるだけなのだ。社会課題を解決するプロジェクトでも,創業体験プログラムでも,女子商マルシェでもまいど見る景色である。もう慣れた。

が,本当の豊かさってなんなのだろうか。生活水準が上がり,ある程度豊かになった今,何に価値を見出したら良いのだろうか。

私のnote(2019/9/16)より。リンクは下記を参照。

自分が今の職務に就き,機会を頂いて組織の存在意義を考えて見たとき,(いろいろと無茶苦茶なことは書いていたけれども)真っ当なことを主張していたと思うし,今でも確信的に果たすべき役割はそこにあると考えている。それが「いらない」と明確に伝えられたとき,それでも自分が果たすべき役割は何かを実践しようとして今もまだ続けていられる。むしろ,外での活動を広げ,続けてきたことによって,自分の中で一貫性を持って取り組みができている。

決して大きな成果が得られているわけではないし,まだまだ小さな活動に過ぎないけれども,徐々にこの活動の意義をご理解頂ける方々が増えてきた。手応えを感じている。

しかし,一方でもう50歳だ。今朝,たまたま同い年の友人から相談事があると電話をもらった。「定年」という期限を見据えてキャリアを考えていかなければならないタイミングで,今から自分たちが取れる選択肢はどれだけあるのだろうかと。今まさに自分が考え,不安に感じていることを彼も感じていたようだ。

今できていることを失ってでも,手に入れなければならないこととは何だろうか。

研究者であり,教育者であり,中高生にアントレプレナーシップ教育を行うことでその地域の可能性を彼・彼女たち目線で「価値」として提示できるようにする。

大事なのは,誰かにいわれてやっている他人起点の仕事をできるだけ減らして,自分の「好き」や「やりたい」を起点に自分の仕事時間を設計していくことだ。

佐宗邦威『じぶん時間を生きる』p.160-161より抜粋。

今やりたい仕事をもっと形にしたい。その欲望(笑)と向き合いつつ,日々を過ごしているのが辛くもある,楽しくもあるという複雑な気持ち。内発的なモチベーションが大きくなればなるほど,恐らく自分の立場は危うくなるかもしれないという不安を持ちつつ,殉じるなら「成すべきことを成したい」という気持ちがますます大きくなっている。

ちょうど2年前,日田三隈高校での講義を終えて頭を整理しようとnoteを書いた。

それからも細々と研究と教育を続けてきた。そして,これからもそれを続け,気づけば多くの人と「公平公正な世の中」を創ることができていたら,それが生まれた場所,仕事に関わらず,「自分にとって望ましい生き方」をできることができるようになっているのだとしたら,それはそれで僕自身にとってハッピーなことであるように思う。

働くことを民主化する。
ローカルとグローバルの境目が無くなる。
3年塩漬けの覚悟はあるか。
でなければ、今から自分を磨き続ける。
機会は探索したものにだけ降ってくる。
「こうすれば勝ち馬に乗れる」はない。

自分を活かすフィールドとしてどこを選択するかを決める。

人生をEffectualに。

私のXの投稿より。

だんだん時代が追いついてきた感覚。地方が搾取されてきた時代から,地方が豊かになる時代へ。そこのバランスをうまく見つけながら,残りの人生を謳歌していきたいですね。まさに,この本のテーマである「Transition」を自分の中でどう進めるかですね。

最後に,筆者のPodcastがあったので,移住やライフシフト,地方で暮らすに興味がある方がおられたらどうぞ。私もこれから順番に聞きます(笑)

もう少し自分がやろうとしていることをうまく発信していきたいのだけれども,これもまたいろいろと難しいわけで。誰が読んでるかはわかりませんが,読者のいないnoteにコソッと書いておくことにします。

ある種50代を迎える自分にとっての意思表明なのかもしれないな。これが。

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