新しい技術の浸透に欠かせない"社会の変え方"とは?『未来を実装する』読みどころ紹介
ビジネスのヒントになりそうな書籍をご紹介するおすすめ書籍企画。今回取り上げるのは『未来を実装する テクノロジーで社会を変革する4つの原則』(馬田隆明 著/英治出版、2021年)です。
優れた技術だけでは、「テクノロジーの社会実装」は実現できない
今、多くの起業家や新規事業開発に携わる人たちが、「社会課題の解決」を目指して新しい技術や商品・サービスを生み出しています。しかし、新しい技術や商品・サービスを世の中に普及させることは決して簡単ではなく、数多くの壁を乗り越え、長い時間をかけて挑まないといけないこともあります。
優れた技術を持つスタートアップ企業が、大手企業と協業してPoC(実証実験)を実施した後、本導入に至らずにプロジェクトが頓挫してしまうケースや、サービス化までは辿り着いたものの、社会に浸透する規模には広がらないケースもあると思います。
このように、素晴らしい技術や魅力的な事業であれば必ず社会に受け入れられるとは限らず、実際に「社会実装」、つまり「新しい技術を社会に普及させること」の難しさを実感している人も多いのではないでしょうか?
そのような課題に対して、「テクノロジーの社会実装の方法論」を提示してくれるのが本書『未来を実装する テクノロジーで社会を変革する4つの原則』。スタートアップ企業の方々や、社内の新規事業に携わる方々に向けて、自分たちの技術や商品・サービスを世の中に浸透させていくために必要なステップを学べる一冊です。
著者の馬田隆明氏は、テクニカルエバンジェリストとしてスタートアップ支援を行なったのち、現在は東京大学産学共創推進本部でスタートアップ企業向けプログラムを提供するFoundXのディレクターを務めています。
本書は馬田氏が所属する非営利・独立系のシンクタンク「一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ」が2019年から1年半にわたって実施した「テクノロジーの社会実装」に関する調査・研究をもとにまとめたものです。
この「テクノロジーの社会実装」に関する調査・研究から見えてきたのは、「今の日本に必要なのは、注目されがちな「テクノロジー」のイノベーションではなく、むしろ「社会の変え方」のイノベーションではないか」という点。つまり、新しいテクノロジーを開発するだけでなく、それを受け入れる社会を作らないことには、新しいテクノロジーを最大限活かすことはできないということです。
本書は新しいテクノロジーを社会に普及させる(社会実装)の方法論を「単なる経験談だけには基づかず、学術的な知の蓄積」も活用しながらまとめています。
ここでは、社会実装を成功させるために必要な「デマンド(需要)」という一つの前提と「インパクト(理想と道筋を示す)」「リスク(不確実性を飼いならす)」「ガバナンス(秩序を作る)」「センスメイキング(納得感を醸成する)」という四つの原則を中心に取り上げてポイントをご紹介したいと思います。
Uberの社会実装から学ぶ、「デマンド(需要)」の重要性
シェアリングエコノミーに大きな影響を与えたUberとAirbnb。
どちらもアメリカで設立し急成長を遂げたスタートアップ企業ですが、日本市場にサービスを普及できなかったUberと、普及させることに成功したAirbnbを例に挙げながら、社会実装に必要な要素を詳しく説明しています。
例えば、Uberはその利便性の高さからアメリカなど諸外国では社会に浸透していますが、日本では “白タク規制”というものがあり、国からの許可なくタクシー業を営んだ場合は罰則が科せられるため、自家用車を使ったタクシーサービスを展開することが難しい状況でした。
そうした状況は理解しながらも、アメリカ本社の「市場を押さえて既成事実化し、既成事実を持って国や自治体を動かしていく」という方針のもと、日本政府や業界団体との調整をほとんど行なわずにビジネス展開を進めた結果、最終的には普及に至らなかったそうです。
著者はその要因を、配車サービスが普及することによるメリットや理想を提示する「インパクト」や、白タク規制の歴史に配慮する「リスク」、規制当局と調整を行なう「ガバナンス(秩序を作る)」、そして関係者の納得感を得る「センスメイキング(納得感を醸成する)」といった四つの原則への取り組みが不十分だったからであると述べます。さらに、それだけではなく都市部のタクシーのサービスレベルは高く、都市部以外では自家用車が普及しているため、ライドシェアに対する大きなニーズ「デマンド(需要)」がなかったことが、日本ではなかなか広まらなかったそもそもの理由だと解説しています。
また、「デマンドがあったとしても、それだけで広範囲の社会実装が進むわけではない」というように、デマンドの重要性を取り上げつつも社会に普及することで実現される「インパクト」の提示、現状の規制が抑制している「リスク」への配慮、規制当局との「ガバナンス」調整、ステークホルダーへの「センスメイキング」といった四つの要素を考えることが、社会実装には欠かせないことが本書では説かれています。この四つの要素を着実に押さえることで社会実装を実現したAirbnbなど、その他の事例についても詳しく知りたい方はぜひ本書を読んでみてください。
良いインパクトとその道筋を示すことで、オープンイノベーションを生み出す
先ほど一つの前提と四つの原則についてご紹介しましたが、「社会実装の四つの原則の中でも最も重要なもの、すべてのベースとなるもの」が、「インパクト(理想と道筋を示す)」であると書かれています。
以前、noteでは『イシューからはじめよ』という書籍をご紹介し、そこでは「課題の質」の大切さについて取り上げました。
馬田氏は「課題とは、現状と理想のギャップ」であり、「優れた理想を設定すること」によって良い課題を生み出し、「インパクトを提示することで人々を巻き込みながらそのイシューを解決していく」ことから、『イシューからはじめよ』にあやかり「インパクトからはじめよ」と伝えています。
なお著者は、気候変動問題など難しい課題の解決に挑戦するスタートアップ企業のほうが、より優秀な人材が集い、注目を集め、支援してくれる人も多く、本人たちもやりがいを持って取り組めると述べ、「次のテスラを作る」「社会課題を解決する大きな企業を作る」といったインパクトに挑戦する事業家に武器を提供し、「大きな社会変革を起こすための一助になれば」という思いでこの本を書いたそうです。
では、インパクト(未来の理想)はどのように定めれば良いのでしょうか?本書では「公益性の高いインパクトを設定する」ことや、「わくわくするような未来を描く」などのアプローチ方法が紹介されていますが、結局、「良いインパクトは閃きのように訪れるのではなく、徐々に形作られていくもの」であることから、何か「興味のあることや小さな社会貢献活動を始めてみる」ことが近道になるようです。同時に、日本企業の管理職はビジョン型のリーダーが主要10カ国の中で最も少ないという調査を挙げながら、「日本はインパクト(企業においては企業理念やビジョン)を示すのが苦手」であり、国としても「魅力的なインパクトを提示できるかどうかが競争戦略上でも重要なポイントとなってくる」と述べています。
もう一つ、インパクトで重要なステップなのが「そこに至るまでの現実的な道筋を見せること」だと言います。なぜなら、道筋を示すことで人々は理想が夢ではないという「実現可能性を感じられる」ようになり、「最初の一歩に協力しやすくなる」からです。この道筋を示すためのツールとして著者が活用を推奨しているのが「ロジックモデル」です。これは「あるプロジェクトについて、投入する資源、活動、結果として生まれる製品やサービス、それによる成果、その成果がもたらすインパクトの因果関係を体系的に図示するもの」です。
従来はNPOなどのソーシャルセクターや、政府などのパブリックセクターで使われていたのですが、近年は「社会や投資家が事業会社に対して社会課題の解決を求める」傾向にあることから、民間企業でもその解決策として活用されるようになっているそうです。
著者は複雑な社会課題の解決に向けてばらばらに活動している様々なプレイヤーを巻き込み、集団的に解決していく「コレクティブインパクト」という概念を紹介しながら、コレクティブインパクト達成のための特に重要な要素として「共通のアジェンダ」、すなわち目指すべきインパクトや途中経過における成果をステークホルダーと共有することを挙げています。そして、ロジックモデルを社会に公表し、他の事業者や自治体、市民団体などとお互いのロジックモデルを共有することで多くの人々が「共通のアジェンダ」を理解し合えるようになるため、ロジックモデルは「協働やオープンイノベーションを可能にする一つのツールになるはず」と述べています。なお、このロジックモデルの具体的な解説や作成方法は「社会実装のツールセット」という章で詳しく紹介されています。このように、社会実装のための方法論や事例紹介だけでなく、具体的なアクションにつなげるためのツールを紹介している点も本書の特長です。
「ガバナンスのアップデート」は、民間企業にとってビジネスチャンスでもある
「テクノロジーの社会実装」を実現するためには、インパクトを示すことが最も重視すべきポイントであることをここまで解説してきました。しかし成熟社会においては変化に対するリスクや過去に作られた制度・規制も乗り越えなければならず、著者は「テクノロジーに対する適切な制度設計と社会規範」に配慮することの重要性についても述べています。
そのためのキーワードが、四原則の一つである「ガバナンス」です。ガバナンスとは、「関係者や関係するモノの相互作用を通して、法律(制度)や社会規範、市場、アーキテクチャなどを形成・変化させることで、効率・公正・安定的に社会や経済を治めようとするプロセス全般のこと」であると著者は捉えており、本書では「テクノロジーの社会実装」に欠かせない論点として位置づけられています。
例えば、電子署名は不動産系の一部の契約書類や金融系の契約書類で使うことは法律で認められておらず、法律が変わらない限りは「電子署名というテクノロジーがどれほど使いやすく優れたものになったとしても、その領域では活用できない」と言います。一方で、2020年5月に法務省が会社法施行規則の解釈として「リモート署名やクラウド型電子署名も有効である」という見解を出したことで、取締役会議事録で電子署名が使えるようになったり、シャンプーの利用頻度が週2、3回だったと言われる1980年代に、マーケティングの力で社会規範を変え、市場を拡大したという事例を取り上げています。
そして、日本のFinTech領域でガバナンスをアップデートした事例として、2017年の銀行法改正による「銀行のAPI公開」が一つの軸となり画期的な変化につながったことを述べており、この法改正は官民一体となって議論を行なったり、業界団体を立ち上げたことがポイントであると指摘しています。
このように、著者は民間企業がガバナンスに対してより有効な提案ができるようになることを「自社の事業範囲を広げることができるビジネス機会」になると前向きに捉え、より多くの人に受け入れられる市場を作るためにはガバナンスのアップデートが必要であることについて、ほかにも様々な事例を交えながら紹介しています。
なお、ガバナンスをアップデートする具体的な方法についても、「社会実装のツールセット」の章で詳しく書かれています。例えば、規制を変更したい時の基本的な考え方や、規制を確認する方法、規制変更のための実験環境の解説、そもそもの法律の構造や立法のプロセスなどが丁寧に記載されているので、現状の法規制や社会規範などの壁に直面している人が解決に向けたアクションを起こすための、格好の手がかりになるのではないでしょうか。
ステークホルダーと「納得感」を共同構築することで、社会の変革が動き始める
社会実装のためのインパクトや道筋を示し、信頼が確保されるシステムをガバナンスによって確立する。これで社会の変革が起こせるかといえば、著者は「人々が動かなければそのシステムも機能せず、良いガバナンスを設計したとしても無駄に終わります」と忠告しています。そして、人々が実際に動き始めるためには「センスメイキング」が必要だと言います。これは、「ステークホルダーが「理にかなっている」「意味を成す」「わかった」と感じることによって、人々が動き出すプロセス」のこと。そして、社会変革におけるセンスメイキングは「誰かが一方的に与えるのではなく、関係者と一緒に共同構築していく」べきであると述べます。
とある実験の例だと、ある作業をした学生たちに10ドルの報酬を与え、そのうち3ドルを研究税として支払ってもらうことを指示した際、一方のグループは税金の使い方を指定でき、もう一方のグループは税金の使い方を指定できずにただ支払うだけにすると、前者は70%が税金を支払い、後者は約50%しか税金を支払わなかったそうです。著者はこうした実例を交えながら、ステークホルダーが能動的に関わり、「自分たちが関わっている」という感覚が醸成されるような仕組みを作ることが社会実装を進めるポイントであると言います。
また、「その課題が課題であることに腹落ち」してもらうことの必要性や、「こうした社会を作りたい」という価値観を共有し納得してもらうといった、センスメイキングの具体的な構築方法について複数の観点から紹介しているほか、「社会実装のツールセット」の章では、公共政策や世論、人々の意識や行動に働きかけを行なう「アドボカシー活動」や、マーケティングやロビイングなどの手段を通じてステークホルダーとの関係構築や世論の醸成を行なっていく「パブリックアフェアーズ」について、詳しく解説しています。
スタートアップ企業がこれまでのやり方を考え直すときが来る!?
本書には社会実装とスタートアップ企業に関するコラムも掲載されており、興味深い内容だったため最後にご紹介させいただきます。
著者は実際にスタートアップ企業を支援してきた経験を交えながら、スタートアップ企業にとってこれからの10年は「少し異なる様相を示す」と言います。
その理由として、これまでは先行者がほとんどいない「ホワイトスペース」で様々な試みをすることで、新しい市場ニーズや技術の応用を発見できたのに対し、近年はスマートフォンやウェブ、デジタルなどのホワイトスペースを一部のグローバル企業が寡占している状態になり、デジタル領域でイノベーションを起こすことが難しくなっていること。そして、今後は純粋なデジタル領域ではなく「物理的な世界が関わったり、従来の産業をデジタル技術で変えていったりするような、そんなスタートアップが増えてくる」ことを挙げ、規制への対応や既存団体との折衝が必要になると述べています。こうした状況を踏まえて馬田氏は、スタートアップ企業のアプローチを「かつての破壊型のモデル」から「調和型(ハーモニー)モデル」に変え、市民や官庁、自治体と連携しながら社会を変えていくことが新しいマーケットの創出につながるのではないかと予測しています。
本書を読むと、真の意味でテクノロジーが社会に実装されるまでには、数多くのプロセスが存在し、乗り越えなければならない壁も多いことが改めて分かります。特にガバナンスのアップデートなどは複雑で難易度が高いため、「テクノロジーの社会実装」は一筋縄ではいかないことを実感します。同時に、「テクノロジーの社会実装」の方法論を全体像として捉えるとともに、具体的なアクションに向けた手法や事例もまとめてインプットできるため、今まさに新しい技術や商品・サービスを社会に広めることにチャレンジしているスタートアップ企業や新規事業開発に携わる方々にとって、直面している壁を乗り越えるための考え方や、次の具体的なアクションのヒントが見つかる一冊ではないでしょうか。
ぜひ、興味のある方は本書を手に取ってみてください。