デボラ・ソロモン『ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア』書評

コーネル

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『ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア』を読み終えた。500ページ近くの分厚い本だったので読み終えるのに一週間以上かかった。

ジョゼフ・コーネル(Joseph Cornell、1903年12月24日 - 1972年12月29日)は アメリカのアーティストで、アッサンブラージュの先駆者の一人。シュルレアリスムに影響を受けた。前衛的な実験映画の制作者でもある。(wikipediaより)

コーネルは彼の憧れた女優やバレリーナの写真の切り抜き、ビーズ、貝殻、玩具など自分が蒐集してきた数々のコレクションを箱に詰めたりコラージュを作ったりしたアメリカのアーティストである。膨大な映画フィルムを個人で所有して、映画の製作にも携わった。

そんな彼の評伝が『ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア』である。

コーネルは早くに父親を亡くして、二人の妹が嫁いでからは、彼を抑圧し続けた母親と障害を持つ弟と三人で中産階級の平凡な家"ユートピア・パークウェイ”で、生涯を過ごした。彼は自分の作る作品が価値のあるものだとは思えなかった。それでも、来る日も来る日もユートピア・パークウェイの、彼に対して小言を言わずにはいられなかった母親が寝て静寂に包まれた地下室で、生前の父親に連れて行ってもらったサーカスの記憶、憧れたバレリーナや女優たち、蒐集したがらくたの数々、彼が親しみを感じた鳥たち、それらのことを思いながら、独りで箱作りに勤しんだ。傑作を世に出したいという思いは彼にはまるでなく、ただ思い出や憧れを芸術として昇華させただけだった。

半世紀以上にわたるアメリカの芸術史、ヨーロッパからのシュールレアリスムの影響やアメリカの美術を切り開く存在とされた抽象主義、あるいはウォーホルに代表されるポップアートの台頭などとの関連が見られるのも面白い。コーネルはそれらに影響を受けたり、与えたりしたが、決して芸術運動に内包されたり、特定のジャンルの代表者になるようなこともなかった。彼は他の芸術家と手紙を交わしたり、彼らをユートピア・パークウェイに招待して紅茶を振舞ったりすることはあったが、障害者の弟と未亡人で彼を支配下に置きたがった母親のもとを離れることはなかった。彼は旅に憧れるも、平凡なユートピア・パークウェイを離れずに、街を歩き回ってがらくたや映画のフィルムを集め、舞台やバレエを見て女優に思いを寄せながらも、彼女らと交際するようなことはなく(彼は生涯童貞だった)、その憧憬を地下室で作品に込めた。20世紀のアメリカを代表するアーティストでありながら、孤独な都会生活者でもあった彼の生涯と日々の記録である本書を読めば、彼の生活、具体的に上げるとするなら家族、芸術、信仰、憧れ、これらが彼の作品と密接に関わっているかを知るだろう。芸術に関心がある人は必読である。日本人で言えば草間彌生も登場する。また、この本はコーネルを全く知らない人にとっても魅力的だと断言できる。彼の日々の生活の小さな歓びに触れるだけで、読者の胸を打つものがある。例えば、以下の記述、

ほかにコーネルが罪悪感なしに自らに許すことのできた官能的な喜びといったら甘いものだけのように見えるときもあった。1947年の日記で、お気に入りのお菓子を書き記している。2月6日には、マンハッタンのペンシルヴェニア駅からの帰り道、チェリーデニッシュに舌鼓を打つ。3月1日にがダイナーを食べた際、奮発して「バナナクリームパイ、ドーナッツ、飲み物」も注文。6月3日はミッドタウンの自動販売機コーナーでチョコレートドリンクを2杯、ケーキ一切れを味わう。7月8日には午前2時に、「クリームを詰めたレモンケーキ」を焼き上げる。8月18日には「バター入り」チェリーデニッシュをたらふく頬張る。11月21日にはクイーンズのビックフォードの店でレモンデニッシュに加えドーナッツも平らげ、「ゆったりした愉しみ」を満喫。街なかのレストランで食事し、窓の外を眺めるときにはいつもこうした愉しみを覚えるのだった。憑りつかれたように甘いものを貪るということもさることながら、さらに驚くべきは、食べたものを好んで日記に記録している点である。自動販売機で買ったパイだの、駅売店のデニッシュだの、孤独な都会人のための食べ物に思い起こすことに悦びを覚えていたのだ。

甘いものが大好きだったコーネル、孤独な都会生活者だったコーネルが生活の中で密やかに快楽を味わう瞬間を覗き見したような錯覚さえ感じてしまう。日記や手紙からの引用も使いながら、彼の芸術と生活、つまり人生に詳細な記述で迫るだけでなく、彼の受容のされ方やアメリカのアートシーンの変遷をも描き、コーネルと20世紀アメリカ美術史についての素晴らしいノンフィクションであることは間違いないのだが、ふいに訪れるコーネルのユーモアあふれるエピソードも魅力の一つしてあげなくてはならない。その一つを引用してこの記事を終える。これはコーネルと打ち合わせをした画商の証言である。

ソーダフロートを頼みたいのですがと聞かれました。だめだといわれるんじゃないかと心配しているみたいでした。



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