妖怪の日、思い出す東海の日。
〈妖怪の日〉
その昔静岡で飲んでいたときとある女性と、たしか店が込んでいるからか何かで相席することになった。元々僕たちは男二人で気楽に飲むつもりだっただけなので、そういったことがあってもいいと快諾した。
彼女はママというより「Mama」という感じの、とてもおおらかな感じの人。あちらは二人組で、こちらも二人組。店はカラオケがあるスナックらしい場所で、僕の相方(名前は知らない)は『レイニー・ブルー』を懸命に歌っていたと記憶している。
僕が今日ここに取りあげたい女性は、後ろで若い衆が怒鳴り上げるようにして歌っている『Love So Sweet』に負けないように声をはりながら「私ね、柔道のコーチをしているの」と言った。まるで「実はKGBのスパイだったんだよ」とでも言うみたいな、厳かな調子だった。
僕は「Mama」の唐突な宣言に「へぇ」と返しながら、どんな風にこの宣言の話題を膨らませようかと思案した。
♪「こんな好きな人に
出逢う季節二度と無い
光ってもっと最高のlady
きっとそっと想い届く」♪
僕に嵐みたいなトークを実演することはできない。どう頑張ったって櫻井翔にはなれない。だから僕は何の凸凹もない平坦な質問をするしかなかった。
「やってたんだ、柔道?」
「Mama」は柔和に質問を包み込み、答えてくれた。ほとんど全部、何を尋ねても答えてくれそうな様子からすると、もしかすると彼女は本当にその店の大ママ(反対語:チーママ)であり、すべての客を俯瞰する存在だったのかもしれない。
「やってたよ、本気で。オリンピックに出られるかもしれないっていうくらいに」
僕はその後、自然な流れで彼女の名前を訊き、自然な流れでマイクを握り、いかにも歌いなれた様子で初めての『また逢う日まで』を歌った。それ以来僕は尾崎紀世彦の歌を歌ったことなんてないし、聴いたこともない。思い出ずっとずっと…。
………
帰宅後スマートフォンで彼女の名前を調べてみた。そうするとウィキペディアのページが表示されて、そこには彼女を説明するセンテンスとして「妖怪というあだ名が定着することになってしまった」と書かれていた。大ママは妖怪だったのだ。
その後僕はしばらく、妖怪さんと連絡はとらずにいた。その日はとても楽しい夜だったのだけれど、いかんせん尾崎紀世彦のモノマネが大滑りして一本とられた格好だった。とても辛い夜だった。
………
時は流れて2021年、東京オリンピック2020が開催されている。
柔道日本代表としてテレビに映る選手の一人に「妖怪」さんが…いたわけではない。
そうではない。この話は新たな展開をみせて…。そう、その妖怪さんこそが静岡で出逢った私の妻…でもない。
この文章はただ、一夜限りの僕の「妖怪」の思い出を書いただけのものである。そして多分、これをお読みの方に彼女とお知り合いの方もあろうと思う。もし彼女にお会いすることがあればお伝えしてほしい。本当につまらない尾崎紀世彦でした、と。
また、逢う日まで…。