山から海へ、また山へ(~2024年4月、仕事歴)
2024年4月。5年間生きた椎葉村の地を離れ北九州市門司区に移りました。
この度の選択は「椎葉を離れる」というより「活動を九州全体に広める」ためのものです。実際のところ、門司にて「岡野バルブ製造株式会社」での活動を中心としながら、九州全体にどんどんと活動の幅が広まっています。そうするなかでもちろん、椎葉村図書館「ぶん文Bun」のことを広めたり、はたまた新たな活動との接点を生み出したりできている、という状態です。
福岡に居を移したメリットは移動のしやすさです。4月からさっそく東京、沖縄などにも移動しながら様々な方々と出会ってきました。こうして交流人口を何倍にも増やす(2か月で各種名刺を300枚ほど使いました)ことが、何よりもこれまでお世話になった土地土地への恩返しだと思っています。
(このあたりの考え方は文末の「業務の軸」セクションで整理しています)
さてこのnote記事では、2024年6月時点で小宮山剛がどのような活動に取り組んでいるのか、そして九州各地でそれぞれがどのようにとり結ばれていくのか。そんなことをお感じいただけるような活動紹介とできれば幸いです。
このnoteを機に小宮山剛を知っていただける方は、これまでの活動歴や職歴をご覧いただいてご興味をもっていただければ嬉しいです。ぜひぜひ、各種SNS等を通じてお繋がりをいただけると幸甚です。
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国道3号から国道199号へと移るために、新町井ノ浦線のU字オーバー・ブリッジを渡る。そこから見渡す景色は、21時にふさわしいものだった。まだ昼の熱も冷めておらず、夜の最中に迫る静けさの予感もある。遠く見える赤い観覧車が小倉の「チャチャタウン」のものなのか下関側のものなのか、それすらも見分けがつかない僕はいま、この海沿いの町にとってはストレンジャーそのものなのだろう。
しかしながら、そう遠くない記憶のなかで僕はその景色に馴染んでいた。その海沿いの21時の景色、観覧車、隣の席に座る(今はもういない)眠ったままの苦しそうな顔、あれはどこだったか、夜間の海の静かな街だった。
「静かな」と入力しようとして「静岡」と誤って入力してしまい、僕はその街を思い出す。駿河区から清水区へと、僕はよく国道150号を使って行き来していた。車はふらりと入った怪しい中古車店で購入したクリーム色のミラジーノで、運転席のパワー・ウィンドウが開かないために後部座席の窓を全開にして夜の風を車内の取り入れていた。音楽はオアシスの'Don't Look Back in Anger’で、同乗者はあったりなかったり。それが僕の過ごした静岡での5年間の中枢を占める景色だったと言ってもいい。あの夜の海のさざめきを後部座席の窓をとおして聞きながら、僕は縁も所縁もない静岡(そして清水)の街と融和していったのだった。
・・・と、ここまでの文章を僕は2024年4月1日に書き始めていた。その日は、僕が椎葉村役場を「抜けた」次の日であり、立場上は「フリーランス」として動き始めた初日であった。門司の海と静岡の海とは地理的要因も暖流も寒流も超えて、かけがえのない融和をみせるはずだった。
しかし僕は同じ日に、自ら起案した椎葉村の企画「秘境の文筆家」への応募作品の群れを目の当たりにする。直木賞作家・今村翔吾さんが代表を務める一般社団法人ホンミライと椎葉村が連携し「3年間山に籠る小説家を募集する」という、地域おこし協力隊制度を活用した企画だ。
その募集が3月31日に締め切られたというので、僕は92作品のひとつひとつに目を通し始めたのだ。
商業出版デビューを目指すという主題をもつ「秘境の文筆家」であるが、既に出版経験のある方や大手出版社の新人賞を受賞した経験のある方も応募をされていた。総じて僕は、応募書類や作品の熱量に打たれてしまい、いったい自分は何をのうのうとnoteに書いとるんだという気になった。僕は彼ら彼女らの作品を読み、作家を目指す者たちの矜持にふれ、自らが書く文章の軽薄さに対する寒々とした侮蔑を抑えきれなかった。
それほどに、秘境の文筆家の皆さんの作品は素晴らしかった。5月いっぱいは、書類選考や面接の選考に大きな力をかけることになった。5月末にはようやくホンミライの方々とも秘境の文筆家面談を実施し、6月初旬には晴れて4名の着任者が決定した。
🖊小宮山剛の来歴(2024年3月まで)
秘境の文筆家達は、7月1日に日本三大秘境椎葉村で新たなスタートを切る。前代未聞の企画に突き進む彼ら彼女らの意気軒昂なることはこの上なく、私も自らの来し方と行く末を改めて考え直し、奮起するような力を与えてもらったように思う。
そんなわけで、ここからはシンプルに、これまでの来歴と今後の仕事のビジョンについてポートフォリオ的にまとめあげ、新しく住まう土地である北九州・門司の地で新たに出会う皆様に「小宮山剛は何者であるか」がわかりやすく伝わるようなコンテンツに仕立てようと思う。
最近ポートレイトを新しく撮影していただきSNS等のプロフィールを入れ替えたところ、いったい何をして生きているのかいっそうわからなくなってしまった・・・という事情がこの考えを後押ししたことは言うまでもない。
*生まれ育ちと転地
・博多(1990年生まれ)
・日吉(慶應義塾大学日吉キャンパス)
・港区(慶應義塾大学三田キャンパス)
・川崎(幸区、多摩川沿い住まい)
・静岡(静岡ガス時代。駿河区、清水区住まい)
・池尻(新聞記者時代。三宿寄り住まい)
・椎葉(クリエイティブ司書時代)
・門司(NEW!)
*来歴
1990年 出生
2009年 東福岡高等学校卒業
2013年 慶應義塾大学文学部英米文学専攻卒業
2013年 静岡ガス株式会社入社
2018年 鉄鋼・石油等業界新聞社入社(Wantedlyライターも開始)
2019年 椎葉村地域おこし協力隊・クリエイティブ司書
2022年 椎葉村役場・図書司書職(地方公務員)
2023年 宮崎本大賞・第5回実行委員長
2024年 椎葉村図書館+岡野バルブ製造株式会社+αでディレクター
*職歴詳細
➀静岡ガス株式会社
・家庭用燃料電池のメンテナンス担当
・広報誌編集、カスタマーサービス、営業チャネル企画
・家庭用ガス保安点検・営業担当
・事業計画推進(関係会社出向)
・住宅リフォーム事業のブランディング
・省庁対応事務局業務
・新規事業企画
②石油化学業界新聞記者
・記 者(石油化学メーカー、石油元売り事業者出入)
・複 業(人材系SNS「Wantedly」業務委託ライター)
③椎葉村(クリエイティブ司書)
※地域おこし協力隊の後に椎葉村役場職員
・公共図書館立ち上げ業務(椎葉村図書館「ぶん文Bun」)
・事業管理(ディレクション、ブランディング)
・広報業務(SNS活用、ブランディング企画・実行)
・人材採用(募集記事制作、募集コンセプト立案)
・講演講話(図書館事業、地方創生事業、広報事業)
・書店協業(第5回宮崎本大賞実行委員長)
→2024年6月現在、椎葉村図書館の外部ディレクターとして協業中
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・・・以下、自身の執筆寄稿や企画ディレクション履歴を掲載します・・・
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🖊椎葉村図書館「ぶん文Bun」立ち上げ期記事(拙稿)
🖊椎葉村図書館「ぶん文Bun」第二創成期記事(拙稿)
🖊椎葉村交流拠点施設Katerie・椎葉村図書館「ぶん文Bun」コンセプト制作
📷TURNS:「UIターンを生む図書館」で秘境の未来を描く、地域をブランディングする移住者の挑戦
📷博報堂生活総合研究所:「秘境の図書館」がデザインするみらい
🎊作家・青山美智子さんトークショー
🎊作家・青山美智子さんと「ハニースウィーツ」イベント
🎊クリエイティブユニット「tupera tupera」さんと「祭がなくてもぶんぶん騒ぎ」
🎊作家・原田ひ香さん×小説紹介クリエイター・けんごさんのトークショー「なぜ小説に生きるのか」
🖊直木賞作家・今村翔吾さんが代表を務める一般社団法人ホンミライと連携した「秘境の文筆家」企画
④宮崎本大賞
・第3回、第4回宮崎本大賞ブランディング担当
・第5回宮崎本大賞実行委員長
・第6回宮崎本大賞コミュニケーション・ディレクター
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・・・以下、自身の執筆作品や実行委員会活動の履歴を掲載します・・・
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🖊宮崎本大賞制作ショートストーリー「好きなページはありますか。」
🎊第5回宮崎本大賞発表(受賞作『うちの父が運転をやめません』)
⑤岡野バルブ製造株式会社
・新事業開発
・地方創生事業
・広報事業
・越境共創事業
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・・・以下、自身の業務に関連する記事・ウェブページを掲載します・・・
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🏭「N1」 門司駅前工場跡地、地方創生のシンボルへの軌跡
🏥岡野バルブ、北九州市門司区にてコミュニティナース事業を開始
🐙OKANO式共創エコシステムのつくり方
🤖リアルブルバスター開発プロジェクト
⑥???(Coming soon)
🖊業務の軸
2024年4月から「okaniritto」というドメインを取得しました。
読みはそのまま「おかにりっとう」であり、これは個人事業主として開業した際の屋号でもあります。何から取得した文字列かといえば、他ならぬ小宮山剛の「剛」の漢字を「岡にㇼ(りっとう)」と分解したものです。
なぜ「剛」にこだわったのか。
静岡ガス、新聞記者、フリーライター、そして「クリエイティブ司書」と渡ってきて、僕が一番果たしたいことは「縁のある土地すべてとつながり、そこに縁をもつ人々もそのことを誇りに思ってほしい」というビジョンであると気づきました。
石油記者をやっている時のこと、縁もゆかりもないアブダビのことは正直ぜんぜん興味がわきませんでしたが(笑)、いつだって僕は博多も日吉も川崎市も静岡も椎葉も…すべての土地のことがいとおしく、またそこに住まう人々や関係する人々が土地のことを誇り、新たな人生のきっかけにしてくれることを願っています。
そして願うだけでなく、そういう仕掛けを生み出していきたいのです。
2024年4月から個人事業主として登録するにあたり小宮山剛としてのアイデンティティを見返した時、僕は上述のような思考を巡らせました。そして個人の名でこれから闘っていくという事実と向き合いながら、次のことに思い至ったのです。
➀生まれた土地は選べない、変えられない
②生まれた名前は選べない、変えられない
・・・もちろん改名等方法はあるかもしれませんが、基本的に人はその生まれと名前を変えることができません。だからこそ、それをなんとなく愛することもあるし、熱く誇りに思うこともあるし、あるいは呪縛のように憎らしく思うこともある。土地と名前には、情緒という言葉では表しきれないほどの情念がうごめいているのです。
「剛」という私の名前には「岡」が入っています。
僕の生まれた土地である「福岡」の岡であり、私がはじめて社会人としてはたらき始めた土地である「静岡」の岡でもあります。
つまり僕は、生まれた土地と人生の転機となった土地の一部を自らの名前の中にもっているのです。
そんな「岡」に「リ(利)」があるような生き方をしたい。
お世話になった土地に恩返しをしたい。中長期的な「利」が生まれるような仕事をしたい。
自分の生まれた土地、縁のある土地が誇らしくなるように。
そして誰もが同じように、生まれた土地や縁のある土地を誇らしく思えるように。
そんな生き方をしていきたい。
だから僕は「剛」の字を「岡にㇼ(利)」と捉えなおしました。
そしてこれは、何も福岡と静岡に限った話ではありません。
あなたの生まれた土地が、あなたの縁のある土地が、誇らしくなるように。
僕がこれまで関係してきた地域資源の引き出し方を通じて、そんな「土地への誇りがみなぎる」活動を各所で展開できればと考えています。
そして「おかにりっとう」の「とう」には、ちょっぴり博多の響きがあると思っています。これもなんだか「最後は地元に帰りたくなる」ような、生まれた土地へのそこはかとない誇りを表しているようで気に入っています。
今はまだ家族や自分のことで精一杯ですが、先々はいろんな土地の「かえりたい生まれ故郷」に携わり、そのことが自治体・企業・個々人にとっての誇りにつながれば嬉しいです。
僕には、自分自身のために達成したい野望や嘱望する夢があるわけではありません。そうではなくて、関係させていただく土地土地の皆さまが幸せになる(なんて言うとなんだか骨子のない話みたいだけれど)、そんな四半世紀・半世紀・一世紀先のビジョンを、今この瞬間のことばとして言語化したり、目の前の施策として具現化したりしていくことを生業としていきたいのです。
そうすることで「おかにりっとう」(略して「オカニリ」)的な生き方を示しながら「他に利」(ホカニリ)を分け与えることができればと願っております。(蛇足)
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福岡生まれ、静岡育ちの小宮山剛。
僕はこんな自分のアイデンティティから「おかにりっとう」というある種の物語を生み出しました。どこにでもある、何の変哲もない人生なのですが。
そして実は、こんな物語のつくり方が「どこにでもある田舎」「ただの地元」のルーツを掘り起こしそこに関わる人々と共鳴するときにこそ、地域おこしや地方創生という文脈における本当の「利」が生まれるのです。
あなたの、あなたの縁ある土地の未だ知られぬ物語。
これから一緒に考える機会があれば嬉しいです。
🖊各種発信媒体・お問い合わせ先
上記「lit.link」に各種SNS等をとりまとめております。
業務用お問い合わせ用のメールアドレスも掲載しておりますので、お気軽にお問い合わせくださいませ。
※もっとも更新頻度が高いのはX(Twitter)です
2024年6月4日
小宮山剛