アートが教えてくれる最大の教訓
こんにちは。
夏の名残りをわずかに感じながら、いよいよ秋本番を迎えようとしていますね。
人生色んなことがありますが、自然だけは淡々と一定のリズムを繰り返し、そしてまた今年もこの季節がやってきました。
「当たり前だったことが、じつは当たり前ではなかった」と、
そんな出来事ばかりだった2022年も、残り2カ月とちょっとです。
一歩一歩、丁寧に過ごしていきたいものです。
■アートがもたらしてくれるもの
リベラルアーツ(教養)が、現代のビジネスパーソンにとって必須の武器となり、
アート思考が、企業のイノベーションにとって必須の武器となると思っています。
私自身まさに今、大学で芸術教養を学びながら、ものごとを見る「まなざし」が、いかにそのものの価値を決めてしまうのか、ということをよく実感している日々です。
客観的で、複眼的な「まなざし」は、ものごとの可能性を大いに広げるという、その一方で
短絡的で、単眼的なもの見方が、ものごと(ときによっては人)の可能性を狭めてしまいます。
アートというものは、誰にも正確に定義ができません。
アートそのものが、
「正解を必要としないけれど、皆がなんとなく必要だと感じているもの」ということができるでしょう。
つまり、vuca時代のビジネスにおいて、アートの視点・思考は、カオスから自分なりの答えを見出すためには、当たり前に必要なものでしょう。
正解のない問題に行き当たったとき、頼りになるのは、「おのれの直感」になってきます。
「おのれの直感」を頼りに、答えの糸口を探る技術。
アート思考が「創造的思考」とも言われるゆえんが、ここにあります。
しかしこのように書くと、「じゃあ、アートはスキルとして役立ちそうだから、身につけよう」と、これまた短絡的な衝動に駆られる人がいるでしょう。
しかし、アートが有史以降、人類とともに存在し続けてきた理由という事実から考えると、けっして現代だけに役立つスキル的なもの、というわけではありません。
■アートに感じる最大の可能性
アートとは、もっと原初的なところから見てみると、じつにシンプルな意義を持っていると思います。
あくまで私の解釈ですが、一言でいうとアートとは、
「つながりを生む」
という働きをする存在だと思っています。
「つながりを生む」とは、なにかとなにかの媒介になる、ということです。
アート作品に触れた人は、
一緒にその作品に触れた誰かとつながる。
作品を作った作者の感性とつながる。
作品が作られた時代背景とつながる。
作品に描かれている世界とつながる。
こんなことが可能になるのです。
■やしなおう。現代アートに反応できる素直な感性を
現代アートは好きですか?
子供たちは、現代アートに抵抗なく触れて、素直に楽しみながら鑑賞をします。
一方で大人たちは、「現代アートは苦手だ」と言います。
理由は「わからないから」だというのが多いでしょう。
しかし、わからないから嫌いというのは、
私たち大人が、それだけ社会から「正解を出せ」と脅迫されてきたことの裏返しです。
コンサル的に言うと「ソリューションを提供しなければならない」という、
強迫観念です。
しかし、時代はvucaです。
日々生まれる複雑な問題に対し、そんなに簡単に正解が出ていれば、苦労はしないのです。
実際、部下や子供から相談を受けても、上司・親としてそんなに簡単にソリューションを提供できますか?
わけのわからない、得体の知れない問題に遭遇したとき、通常の人間の感覚なら、「怖い」とか「イヤだ」と感じるはずです。
あるいは、「なんだこれは」と、好奇心が湧くかもしれません。
現代アートが問うのは、「どう感じるかは、あなたに任せる」ということです。「正解なんかいらない」のです。
間違うことを恐れすぎる大人が増えています。
なにか質問しても、
考えるのではなく、
相手の顔色をうかがう。
そんな大人が増えています。
しかし、複雑な問題には、まずは「その問題がどう見えるのか」、当事者の率直な直観と、シンプルな言語が必要なのです。
その言語(ナラティブ)が、ひとつひとつのピースとなって、
カオスのなかから秩序をカタチ作るのです。
■「わからないもの」に向き合う余裕を
答えは、すぐには出ない。
探っていくプロセスにまずは集中する。
これが、現代アートが私たちに教えてくれる教訓です。
アートは、私たちに色んな「問い」を投げかけてくる。
「わからない」のもひとつの感覚。
「いやいや、これなに?」と踏み出すのも感覚。
まずは「わからないもの」を味わう余裕を持ちましょう。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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