「デジタルエコノミーの罠」インターネット平等化議論がすべて幻想にすぎないのかを示す、すごい本だった。【読書レビュ】
おはようございます。 大橋です。 毎週末の営みとして、なんとか続けておりますが、なかなか自分を追い込んでいかないとダメですね。 年度明けまして、いろいろと経済活動も活発になり(個人的には会社仕事もおかげさまな状態となってきて)、さらには今週末は柏に帰ろうとなったので本日のアップとなります。 すごい本だったです。では、いってみましょう。
デジタルエコノミーの罠 なぜ不平等が生まれ、メディアは衰亡するのか
マシュー・ハインドマン 著 山形 浩生 訳
2020年11月の本
いや、すごい本だった。 この本は、日本のインターネットに早期から関わられてきた先輩に紹介いただいた本なのだが、ほんとにすごい本だった。 (巻末の)訳者解説(の一番初め)に以下の記載から始まる。『これはかなり壮絶な本だ。 インターネットをめぐる通俗的な常識とされるものの多くが、実証的に次々とくつがえされてしまうのだから』 さらに解説の後半にはこうある。『完全にノーマークの著者/研究者で、まさかこんな衝撃的な本だとは予想もしていなかった。ありがとうございます。』
なまじっかな素人の感想をダラダラと述べるよりも、本書のエッセンスとなるような引用を多数開示したほうが読者の興味も沸くかもしれない。 しかしながら剛毅な、ハードな本だった。 通説がデータによってくつがえされていく、生半可な気持ちでは取り組めない本だった、という印象が強い。
大学のコンピューター室でのブラウザはNCSA Mosaicブラウザだったし、研究室で使っていたメーラーはDebianのmuleのMewだったし、機械工学科から2001年に企業へ就職しICT環境において20年が経過してきた自分であるからこそ、こうした書籍がもっと多くの方に読まれるよう、微力ながらもこうしたレビューをあげていきたいと思っている。 諸先輩方が絶賛していたことがよくわかる気がした。(ただし小職のような傍流な人間には、なかなか歯ごたえがあって難解ではあったが)
以下、まずは帯から抜粋するとともに、いつものように本書から抜粋引用したい。
=======
○帯より
インターネットは一つではなく、二つある。私たちが日々使っている現実のインターネットと、理想化され、フィクション化され、通信と経済生活を民主化していると信じられているインターネットだ。現実のインターネットへの私たちの理解は、理想化されたインターネットへの根拠なき信仰により阻害されてきた。
デジタルメディアは、多くの人の思い込みと異なり、小規模生産者に有利にはたらかない。お金、職員、データ、計算力、知的財産、固定した観衆をもつサイトが有利なのだ。
ある企業が独占と見なされるのは「著しく持続的な市場支配力をもつ」場合だ。グーグル、フェイスブック、マイクロソフト、アマゾン、アップルはすべて、認められた市場支配力の基準をはるかに上回る市場シェアをもっている。この集中は、経済、政治、ニュース、果ては国家安全保障について、どんな意味をもつだろうか? オンライン寡占は避けられないのか、それともインターネットの罠を逃れる方法はあるのだろうか? 本書が応えようとするのはこうした問題だ。
○P64
台頭するオンラインニッチの初期段階はきわめてダイナミックだが、かつてはオープンだったデジタルニッチは、次々にロックインされる。粘着性のちょっとした差が、複利計算式で積み上がり、急激に拡大するのだ。
ロックインは、ウェブが絶えず変わっているにも『かかわらず』起きるのではない。まさにそれがダイナミックに変わる『からこそ』生じる。ウェブトラフィックの進化的な、絶えず複合化する性質こそ、デジタルニッチがこれほど急激にロックインされる理由となる。
○P65
本質的にオープンで、果てしなく競争的なインターネットという発想が、いまだにアメリカ通信政策の背後にある中心的な前提となっている。そして大量の学術研究もこれを基盤としている。だがこうした主張はますます現実と相容れない。『ほとんどのトラフィックが公共のバックボーンにまったく触れない』インターネットは、もはやピア・ツー・ピアのネットワークではないし、(FCC議長ホイラーが示唆したような)「活動をエッジに押しやる」ネットワークでもない。
○P160
『大規模』サイトに比べて『小規模』サイトの粘着性を高める施策は、オンラインの集中を減らし、べき乗則の傾きをゆるくする。「イノベーション」だの「起業家精神」だの「実験性」だのの訴えは繰り返し行われたが、成功のはっきりした指標を生み出せずにいる。これに対して、ウェブトラフィックの動学と、サイトの相対的な粘着性に注目するほうが、先に進む方向性として有望そうだ。
○P203
FCC議長・アジット・パイはこうした懸念を一蹴し、古いルールは「ニュースや分析を1日中、数えきれないほどの全国・地方ウェブサイトやポッドキャスト、ソーシャルメディアサイトから得ている世界を反映していない」と主張した。
でもパイはまちがっている。デジタルニュースサイトが「数えきれないほど」あるというのは、はっきりまちがっているのだ。なぜわかるかといえば、『私たちがそれを数え切ったからだ。』 インターネットは地方メディア風景にはほとんどまったく新しい声を付け加えていないし、ほとんどの既存新聞やテレビ局を弱体化させた。いまやFCC指令はそれをさらに弱体化させようとしていて、その過程で全国の小市場に地方メディア独占を作り出そうとしている。
○P284
本書を他とは一線を画するものにしているのは、その有無を言わさぬ裏付けだ。本書は理論モデルと実証データの両方を使って、なぜ各種のインターネット平等化議論がすべて幻想にすぎないのかを示してくれる。
=======
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
引用抜粋が稚拙なこともあってか、この本のすごさがうまく伝えられなくてごめんなさい。 ただ、やっぱり「インターネットにおいても圧倒的な規模の経済が働いている」ということは、僕のレベルでもこの本を読んで理解はできました。 いつものブクログもつけておきます。