【書評】世界最高の人生戦略書 孫子/守屋洋/SB クリエイティブ
世界最高の人生戦略書 孫子/守屋洋/SB クリエイティブ
noteに移行してから初投稿。
古典シリーズ、「論語」に続きましては
「孫子」
孫子というのは孫武という兵法家によって書かれた兵法書とも呼ばれる書物のことである。
これもまた2500年前に書かれたもので、当時の戦争などの経験から学ばれてきた戦う術が書かれている。
「孫子の兵法」とも呼ばれたりする
現代でも、ビジネスやスポーツなど様々なフィールドで「戦っている人たち」に、勝つための戦い方や、戦う時の心の持ちようなどのヒントがたくさん隠されている。
自分は古典というものに手をつけたことがなかった身であるため、
そもそも「孫子」って何?人の名前?孔子の友達?
くらいのレベルだった。そんな自分がゼロから読むにはとても読みやすく、「論語」と同様に、こんなことが2500年も前から解き明かされていたのかという驚きや、自分の置かれている状況に投影してみて参考になる部分が多くみられた。
この本の中で特に印象に残ったことは以下の3点
1 孫子の考え方の大原則
2 神の手に委ねる領域をできるだけ少なくした、万全の準備
3 率然
1 孫子の考え方の大原則
そもそも孫子の中での考え方の大原則としてあるのが
戦わずして勝つ。
勝算なきは戦わず。
この二つである。
実際に武力行使して戦うというのを第一に置いてないというところに驚いた。
一つ目の「戦わずして勝つ」というのは、
軍事力を見せつけあって戦って勝敗を決めるのではなく、政治的に相手を丸め込むようなイメージ。
二つ目の「勝算なきは戦わず」は、
負けることがわかっているような戦いや、確実に勝てるかどうかわからない戦いはしないということ。
戦うには万全の準備をする。無駄に戦って自軍を消耗することが最も良くないこととされていた。
孫子の中では、この大原則に沿って、
「戦わずして政治的に勝つ方法」や「勝てそうにない相手に対して勝算を作り出す方法」が紹介されている。
前に論語を読んでみたときに「理想とする人間」の話ばかりだったため、古典のイメージは正攻法ばかりなのかと思いきや、「政治的に勝つ方法」や「勝算を作り出す方法」の中には、
「相手をどう欺くか」
「相手をどう内部崩壊させるか」
などの奇策が多く紹介されており、こういう有名な古典でも、勝負の世界では手段を選ばない部分も勧めているんだなと感じた。
ラグビーなどのスポーツにおいては、「戦わずして勝つ」ことはできないが、
敵を知り己を知ることによって勝算をどれだけ高められるかという勝負の大原則、そのためには人を欺くことも正攻法から外れることもまた勝負の世界では必要となるということ、非常に勉強になった。
2 神の手に委ねる領域をできるだけ少なくした、万全の準備
戦いにおいて、何かに期待をするのではなく、自分の備えを頼みとするべきである。
という意味の言葉が紹介されていた。
戦いにおいて、万全の準備をすることこそが自分にコントロールできること。
その時に、留意しておかないといけないことがある。
希望的観測を避けるということ。
準備が万全であるかは、戦ってみないとわからない。自分が万全であったと思っていても、相手がそれを上回ることだってある。いけるだろう、勝てるだろう、で考えて準備してはいけない。
幸運を期待することもまた、避けるべきである。逆に言うと、どんなに良い準備をしても、神のみぞ知る領域がどうしても残るということである。
つまり、戦いにおいて、どれだけ神の手に委ねる部分を少なくする努力が必要であるか、ということが述べられている。
スポーツにおける準備もそうだ。
自分のコントロールできる範囲の中で、万全の準備をする。その範囲をできる限り、相手にコントロールされる領域を上回れるか、どれだけその戦いを自分の準備の範囲で制圧できるか。
よく自分のコントロールできることだけに集中する、という言葉を聞くが、この孫子では、さらにその上。
自分のコントロールできる範囲を広げる。コントロールできない範囲を少なくし、その中で万全の準備をするということ。
それにはただがむしゃらに取り組むことでは範囲は狭まる。
準備というものをいかに考えて取り組まないといけないということがわかる。
3 率然
「率然」
という言葉を初めて聞いた。
ここで使われている「率然」は、組織論のあり方の一つとして紹介されている。
対照的な言葉として使われているのが
「一枚岩」
一枚岩というと、チームの結束の固さをイメージするが、その半面、硬直しており、どこかにヒビが入った時の脆さというものも特徴としてある。個人を押し殺してチームのためにというようにしている分、結束を解かれそうになった時に脆い
一方、率然というのは、
常山にすんでいる蛇のようなことを言うらしい。この蛇は、頭を攻撃したら、尻尾で襲ってくる。尻尾を攻撃すると頭で襲ってくる。胴を攻撃すると頭と尻尾で襲ってくる。
煮ても焼いても食えないような抵抗力・受け身の強さを秘めたあり方である。
組織論としてみると、一人一人の強さを集めて構成している、全体の強さを特徴としている。誰かが崩れそうな時に、誰かが助ける。助けあう。
個人を個人で補い、チームとして機能していく。
個人を尊重し、その上で組織を尊重する。
チームのためなのか、自分のためなのか、どっちなんだ、ということではない。
チームのためにということと、自分のためにということを比較するのではなく、
自分のためにしていることがチームのためにあって、チームのためにしていることが自分のためになっていく、という一つの線で繋げて見れるようになると、
どちらかを押し殺して取り組む必要がなくなる。
その自分とチームがどうしても同じ線で見れない場合は、その組織はもしかしたら自分のいるべき場所ではないのかもしれないが、自分の目標だったり夢を抽象化してその本質を導き出していく先には、成長できない環境はないのではないかと思っている。
全てはどこかで繋がっている。だからこそ、個人のためとチームのための両方を追求できる組織が率然として強いのだと思う。
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大原則の
「戦わずして勝つ」という言葉を見た時に、
スポーツにおいてそんなことはないけど、いろんな人に読まれてるってことは、その表面的な言葉の奥にある何かがあるんだなと、期待して読んだ通りであった。
また、守屋洋さんの現代語の解釈が非常に読みやすい。
スポーツ選手としてそのシチュエーションに当てはめて考えるだけでなく、組織論や普段の人との会話の中での駆け引きなども参考になる部分が多くあった。
論語に引き続き、2500年前から、人間の本質的な部分は変わらないんだなと感じた。