【書評】世界最高の処世術 菜根譚/守屋洋/SBクリエイティブ
世界最高の処世術 菜根譚/守屋洋/SBクリエイティブ
古典シリーズ、第3弾
、に続き、今回は
菜根譚(さいこんたん)
論語や孫子は約2500年前に作成されたものであるが、菜根譚は約400年前である。
割と最近。。ではないが、これまで読んだ古典と比べて歴史は浅い。
そして、新しく作られている分、その思想も様々なものを取り入れられており、より現代に活かしやすい考え方であるなと思った。
そもそも数ある古典の中からこの「菜根譚」を選んだ理由として、
チームメイトの片岡将さんと読書について話していた時、
「最近は古典にハマってるんですよね〜」という話をしたら、
「実は俺もなんだ。菜根譚って知ってる?」
という会話から、菜根譚について熱烈なプレゼンを受け、非常に面白そうな古典がある!と思い、さらに、その菜根譚が僕の読んでいる守屋洋さんシリーズにもあったこともあり、この本を手にとった。
じゃあ菜根譚ってどんな古典よ?
ということで、特に印象に残ったことを説明していきたいと思う。
1 知らなかった「菜根譚」という古典について
まず「菜根譚」という言葉について。
菜根というのは、菜っ葉の根っこという意味
譚というのは、話という意味で、
直訳すると、
「菜っ葉の根っこの話」
であるが、菜根とは「粗末な食事」という意味もあるようで、
要約すると、
貧しい生活に耐えた人が将来成功するんだよ
という意味が込められている。
また、菜根譚の大きな特徴として、
儒教・道教・仏教の三つの教えの上に立って、世の中をどう生きていくべきかが述べられている。
一概に儒教・道教・仏教と言われてもピンとこないが、
ざっくり言うと、
儒教とは、立派な人はこうあるべき。理想
道教とは、そうはいっても現実は違うよね。現実
仏教とは、心の苦しみを救済する、悟り
これら三つの教えが混ざった菜根譚はまさにオールラウンドな思想。
いろんなタイプの人に当てはまる考えがたくさん詰め込まれている古典なのである。
自分はどちらかと言うと、
理想を追い求め過ぎてしまう部分が多くある。自分に対しては無茶をし過ぎてしまったり、チームメイトに対しても現実とはかけ離れたことを求めてしまったり。
じゃあそれをやめるというのかというと、そうではなく、菜根譚の教えにおいては、「やり過ぎはよくないよね」ということをいろんな文章の中で紹介されている。
0か100かの人間にとっては、なかなか受け入れて自分に刷り込ませるのに時間がかかりそうであるが、自分にはなかった部分、考えさせられた。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
「ほどほど主義」
な考え方。
やり過ぎは、むしろやらないことよりもよくないよね。ほどほどにね。
という考え。
コンディションが良過ぎてガンガン上げていった先にケガしてしまったタイミングで読んでいただけに、
グサリ
と心にきた。
古典を読んでいると、
「そんなこと、わかってるよ」
と言いたくなるようなことだけど、実践できていないことにたくさん気づかされる。
だから長年読まれ続けているんだなとつくづく思う。
**
2 終身路を譲るも、百歩を枉げず**
「しゅうしんみちをゆずるも、ひゃっぽをまげず」
こちらの言葉は、著者の守屋さんが説明文で紹介していた、
唐書より、抜粋されていた言葉である。
一生の間にずっと他の人に道を譲っても、その距離は100歩にも満たないですよ。
という意味だ。
謙虚に人に譲るという行為に関して、このような考え方に触れたのは初めてで、自分の中ではとても心に残った。
現代ではさすがに100歩ということはないかもしれないが、せいぜい10000歩くらいか。だいたい1日歩いた分の距離。
街で歩いている時に、そこで人に譲るという行為がいかに自分の人生の中では些細なことであるかということ。そんなことを世の中の人みんなが心がけていくだけでどれだけ良い社会になるだろうかと感じた。
そして、これもやり過ぎては意味がない。なんでもかんでも言いなりになるということではなく、自分の意思というものを強く持ち、自分の意見をちゃんと主張するといった毅然な態度でいることが大切である。
ただ、この言葉に触れてから、本当に人に譲るようになった。ほんの些細なことで世の中が良くなれば良いとい思う。
**
3 ぼんやり過ごさない**
「閒中に放過せざれば、忙処に受用あり。静中に落空せざれば、動処に受用あり。」
「かんちゅうにほうかせざれば、ぼうしょにじゅようあり。せいちゅうにらっくうせざれば、どうしょにじゅようあり。」
という文に込められている。
どんなに暇であっても時間を無駄にしてはいけない。どんなに休んでいる時でも、ぼんやりと過ごしてはいけない。
という意味である。
いつも何かをやっていては自分がもたなくなる。だからたまには休んだり暇な時間を過ごすことも大切だ。これは菜根譚の「何事もやり過ぎは良くない」という思想に沿った考え方。
じゃあ、そのたまに休む時には完全にスイッチを切ろうか、というと、そうではないと言う。
しっかりと休む時であっても、ただただ何も考えずにボケーっと過ごすのではなく、
自分を見つめ直したり、何かリラックスしながらでも自分にとってプラスになることをして過ごすべきである、と言うのだ。
スポーツ選手にとって、スイッチのオンとオフの切り替えというのは、とても大事なスキルの一つである。
そのオフな時に、何にも考えずに無駄な時間を過ごすのではなく、かといって、そのスポーツのことばかりを考えるのでもなく、
本質的に何事も繋がっていることを考えたら、例えば興味のあることを勉強したり、人のためになることをしたり、自分にとって、他人にとってプラスになることをしていこう。
菜根譚の中では、そのように過ごすことで、忙しくなった時や仕事の時にその成果が表れてくると述べられている。
オンとオフを同列で考える。仕事と遊びの境界線がなくなっていく。
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ここまで、古典を3つほど読んでみてきて、
シンプルに一番リラックスして読めた気がする。
また、菜根譚を読んだことで、論語に対しての捉え方にも変化があった。
論語に関しては、「立派な人間になるためにはこうあるべきだよね。」という理想を追い求める、現実との折り合いの難しさ。
どちらかというと、自分には菜根譚の考え方の方がしっくりくる。
長い歴史の中で数ある思想を混ぜ合わせた思想なだけに、うまく良いとこ取りされているような気がする。
長年読まれ続けている古典の何が良いのか考えた時に、
心のより処というか、「そういう考え方があるんだ」とか「あ、それでいいんだ」と、自分の出来事に対しての捉え方が整理できるところ
まだまだ発見が続くばかりの古典シリーズ。
読み続けていきたい。