「ロック」の衝撃を、読む。とんでもない音楽マンガに出会ってしまった。
【『ロッキンユー!!!』/石川香織】
2018年4月〜2019年4月、『少年ジャンプ+』にて連載されていた音楽マンガ『ロッキンユー!!!』。全4巻を、一気に読み尽くした。そして、まるで何十枚ものアルバムを一気に聴いたような、濃厚で濃密なロック体験を味わうことができた。
NUMBER GIRL、ゆらゆら帝国、フジファブリック、凛として時雨.....。今作には、オルタナティブロックの楽曲や歌詞が随所に引用されており、作者・石川香織の「偏愛」とも呼ぶべき熱き音楽愛がひしひしと伝わってくる。
また、高校の軽音楽部を舞台とした青春マンガ、ギャグマンガとしても非常に秀逸だ。
何より、「ロック」の衝撃と出会ってしまった僕たちリスナーの感情を、繊細にして豪快なタッチで紡いでいく表現は、まさにマンガにしか成し得ないものだ。ページをめくるたびに、爆音が聴こえる。激しくかき鳴らされるコードバッキングが、決して消せないフィードバックノイズが、けたたましく轟くリズムの一つ一つが、目に見える。
そんな未知の音楽体験に、ただただ圧倒された。
今回は、僕の心に刺さった10のセリフについて振り返っていきたい。
【1巻】
「ロック」と聴いてイメージすることといえば、なんとなく怖そうとか、文化祭でイキる奴らがやりがちとか、そういう、おれとは関係ない世界の事だと思っていた。だけど「その日」ステージに立っていたのは、地味で、暗そうで、うつむいた奴だった。
音量(ゲイン)は最大、歌詞は聞き取れず、その「ロック」はテレビで親父が見ていた長渕剛とも、ユーチューブで見たMr.ChildrenのMVとも......違っていて、まったくおれの知らない音楽で、後に曰くその人が「オルタナティブロック」と言い、「99人に無視されて1人に刺したい」と嘯いたその曲は、この日、ほとんどの生徒をポカンとさせ、おれに刺さった。
新入生のための部活紹介イベント。軽音楽部の紹介として、一人ステージに立ったアキラが演奏したNUMBER GIRLの”透明少女”。このように、「ロック」と”事故的”に出会ってしまった経験を持つ人は、決して少なくはないのだろうか。かくいう僕も、その”1人”だ。
なんだろう、今まで「エモい」ってよく分かんなかったけど、こういう曲がそうなんだって感じる気がする。聞いてるとなんか、誰もいない場所にいるような、でもなんか寂しいだけじゃなくて、むしろ、何かが始まりそうでワクワクする。
「ロック」に触れた時の、あの衝撃や衝動。時には「エモい」の一言で言い済まそうとしてしまいたくもなるが、たかしは、その未知の感覚を拙い言葉ながらも懸命に言い表してみせた。なお、この時にたかしが聴いていた曲は、eastern youth”感受性応答セヨ”、”叙景ゼロ番地”、amazarashi”地方都市のメメント・モリ”、GRAPEVINE”イデアの水槽”の4曲。
そうだッ、見ろ! もっとちゃんと見ろ!!曲には意味があって、それに報いる実力のある人がいて、ならおれはせめて!! せめて誰かに茶化されない表現をしなきゃだめだ!!! おれのそこそこうまい歌を...とか、人前で立ってかっこいい...とか、そういうの全部捨てて!!! お前ら...笑ってんじゃねえ!!!!
軽音部に新メンバーを勧誘するために決行した中庭のゲリラライブ。初めてステージに立つたかしが、その圧倒的な”受け入れられなさ”を前にして、心の内に抱く魂の叫び。まさに、表現者としての覚醒の瞬間だ。
【2巻】
好きなもの、好きだって言うのって...、言い続けるのって、もしかしてすげえ難しいことなんかもしれんって、でも本気で好きって言ってもバカにされない、初めてそういう場所に会ったんだ、だから、もし...、ほんとは好きなことがあるなら...、ここでなら好きって言っても大丈夫だって!!!!
同じ趣向性や価値観を共有できる誰かと繋がることができた歓び。それは、音楽やバンドの仲間に限った話ではなく、極めて普遍的なものであるのかもしれない。中学時代、高校時代、同じように悩み、嘆き、そして歓びを味わった人は、きっと少なくないはずだ。
それを「実力」っつうんだアホンダラ、他人と自分のズレがあるから苦しいし、正解が見えない、そのズレが無かったら誰もが天才。でも自分がやりたいと思うなら、その時点の全力っきゃない、それでも尚、評価されないことがあったら、全力で気にすんな、それは現実が間違ってんだ。
バンドマンは、どのような想いで一つ一つのステージに立つのか、いや、立つべきなのか。もしかしたらその答えは、絶対に負けられない試合に挑むスポーツ選手が抱くものと似ているのかもしれない。後半は暴論でしかないが、「ロック」にはそのロジックすらも正当化してしまう魔力があるのだ。
【3巻】
たかし、曲の答えなら俺ん中にある。で? それがお前の今感じて自分の言葉に落としこんだことに関係あんのか? ねえだろ。お前の感じたことは、たとえ誰かにとっては大ハズレでも、お前だけのもんで誰にだって指図して変えられるもんじゃない。作者の正解なんかに左右されんな。
バンド活動において、楽曲を制作するメンバーと歌うメンバーが異なることは、決して珍しくない。(むしろ、ポップ・シーンではそのほうが主流だ。)その時、「表現者」たるボーカリストは、どのようにその楽曲と向き合うべきなのか。たかしの闘いは、ここから更に加速していく。
バンドだろうがソロだろうが、すごい曲作る人はそのまんまだし、以下敬称略で、坂本慎太郎、忌野清志郎兄貴、寺内タケシ兄貴、斉藤和義、TOMOVSKY、矢野顕子、細野晴臣神に...いや、滅茶苦茶いるじゃん、バンドでもソロでもすげえ人! 基本ソロでちょこちょこバンドも活動してここぞって時に共作したりしてーーーー、もう逆に卑怯! かっこいいから。最近のボカロ・インディーズ兼業だってオケ・歌から動画までセルフプロデュースなんてザラだし、寧ろそっちのがフットワーク軽いじゃん揉めねえし、なんなら馴れ合わないで、キャプションにも余計なこと書かねぇでスッ...と新曲出すやつやりてぇわ俺も硬派に見られそう、そっちのが絶対イメージ的には正解、なのになんで...、うわッ...、そっか、俺も所詮、人と関わりたいんだな、やべっ、ちょーーーーーーザコじゃん!!!
なぜソロ活動ではいけないのか。なぜバンドを組むのか。その究極の葛藤の先に辿り着いた答えは、あまりにも原初的なコミュニケーション欲求であった。バンドに限らず、誰かと一緒に何かを成し遂げようと決断した人であれば、このアキラの長きにわたる逡巡に共感してしまうだろう。
CDとか、ラジオとか、画面とか、向こうにいる人って、そもそも違う世界で生まれた人で、関係ないと思ってたから、好きでも嫌いでもなかったんだ、そんなわけなかったのに。誰だって好きな音楽を買いにレコードショップにも来るし、あの曲が好きとか嫌いとか話しながら、そんなとこからがんばってくんだ。
ステージに立つ人と、そのステージを目指す人、そしてこのマンガを読む読者の間には、実は壁なんかない。そう、全ては一本の延長線上にあるのだ。今作は、音楽マンガとして優れているのはもちろんだが、王道のスポ根マンガのような「熱さ」を感じさせてくれるから面白い。
【4巻】
うぜェーーーーーな、青春かよ。じゃあどうあればバンドだ? ”好き”でメシが食えるのか? 四つ打ち避けりゃ尖ったロックか? 四畳半でデモ録るのが”本物”か? 音楽雑誌に載るようなのは”偽物”か? なぁーーーーーんにも知らないくせに、バンドの定義とか語っちゃダメだぞ☆
バンドやクリエイターの数だけ、目指したい音楽像は存在する。そこには、絶対的な正解もなければ間違いもない。それでも作り手たちは、もしかしたら聴き手の何倍も何十倍も、自らの表現の正当性について意識的であり、今日も迷い、悩み、葛藤を重ねながら、新しい音楽へ挑戦しているのかもしれない。辛辣なセリフではあるが、いや、だからこそ、彼ら・彼女たちが歩む途方もない旅路を鮮烈に想起させてくれる。
おれが知った音楽は、ロックンロールは、まるで、願いみたいだ。そうだよ、そうだ、だから......、悔しい、負けたくない、変わりたい、おれらは...、おれは変わんなきゃ、でもそれは...、アキラさん!! おれら頑張るから、この先みんなに伝わるように、技術も見かけも中身も、だから......、あなたの願いを譲らないで。一人じゃ無理かもしんないけど、みんなでやればなにか変わるかもしれない、きっと、だからバンドなんだ。
バンドを結成する意味を、改めて再確認するためのたかしの言葉。これほどまでに青臭いセリフ、もしかしたら現実世界ではなかなか耳にすることはできないかもしれない。それでもきっと、あらゆるバンドには、たかしたちが紡いできたような物語があり、このセリフと同じ想いが通奏低音として響いているのだろう。
このマンガには、そう確信させてくれる力が宿っている。
全ての音楽ファンに、この「ロック」の衝撃を、ぜひ読んでもらいたい。
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