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読み味わったお話たち

江國香織著『やわらかなレタス』は、彼女を取り巻くおいしいものについてのエッセイ。なにかとお腹が空きがちな季節なので、ほぼ毎冬開いている。
『ムーミン谷の冬』に登場する、“のめばほっとして、おなかに灯りがともるみたいな感じ”の「あたたかいジュース」も「バターミルク」も、彼女が実際に味わった、“旧い友達のような心やすさがある”「冷たい肉」も、身体にしみわたる“宿酔の朝にのむ”「トマトジュース」も、紙のなかから匂い立つようなおいしさ。たまらぬ。

思わず喉が鳴るような格別の描写を楽しむのはもちろんのこと、私は江國さんの幼少期のエピソードを読むのもとても好きだ。彼女の文章を読んでいると、絵本や物語のなかの食べもの、飲みものに永久にうっとりできるのではないかと思うほど本の世界に没入していた、昔の感覚を思い出す。

本や絵本に出てくるおいしいもの。私も物語に登場する食べものに憧れて、ほんとうに食べてみたものがいくつかある。大抵は想像とかけ離れた味がして、がっかりした。

たとえば、舌切り雀が舐めていたのり。おそらくはご飯を潰し、水で伸ばしたものであろう。器がすっからかんになるほど雀が夢中になったのりに魅了された私は、ある日チューブのでんぷん糊を指に出して、舐めてみた。途端に口いっぱいに広がる、劇的なしょっぱさ。慌てて水を飲んだもののイガイガした後味が喉に残り、名実ともに苦い思い出となった。

矢玉四郎の『はれときどきぶた』で出てきた「鉛筆の天ぷら」の歯ごたえにときめいたこともあった。密かに鉛筆をかじると、鉛筆の芯のざらっとした鉄の味と木の香りが鼻腔に広がり、「なんか思ってたのと違う…」と首を捻った記憶がある。
本の話から少し離れるが、小学校低学年〜中学年くらいのころ、「白ヤギさんからお手紙着いた 黒ヤギさんたら読まずに食べた♪」という歌を聞いて、「どんだけ紙ってうまいんだろう」と胸を弾ませティッシュを食んでいたことがある。
紙は木からできているから、野菜である!という理論のもとに、ちぎったティッシュにお湯をぶっかけ味噌を溶いた「ティッシュ味噌汁」を時々こっそり作って好んで飲んでいた。馬鹿である。
怖い話を読んだ夜、布団に入ったあとでお腹が空いてしまったとき。なにか食べるために階下に降りる勇気がなくて、枕元のティッシュをそっと食べたこともあった。
口に含んだときのふわっとした香りは好きだったが、ずっと口に入れていると小さく固く丸くなってしまうので、飲み込むのは至難の業。
アブラハムという名前を勝手に「脂ハム」と脳内変換してよだれを垂らしていたこともある。登場しただけで食欲を催されているなんて、彼からしたらいい迷惑だろう。

本や絵本のいいところはたくさんあるけれど、そのなかでも私がとりわけ好きなのは、読者がめいめいの好きなところで立ち止まり、世界にどっぷり浸ることを許してくれる寛大さだ。
シーンひとつ、登場人物の名前ひとつを咀嚼し、味わい、楽しんでからページをめくる贅沢は、何かに追われているとつい忘れてしまいがちだ。けれどそんなときこそ、かつて夢中になっていた物語を丹念に味わい返したい。本のなかのあたたかく、懐かしい味と、私自身が味わった苦い絶望。それらは混然一体となって、おいしい本に対する思い入れを思い出させてくれるだろう。

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