同棲のヒントは、きっとコロナが教えてくれた
その昔、「EXILE」のことを「エグザエル」と書き、「エグい」は「EXILEっぽい」の略語だと信じていた。
「EXILEっぽい」から連想される動きとしてはやはり縦一列に並んで順々に身体を回していくあの特徴的なダンスが思い浮かぶが、あれが「エグい」だとしたら使うシーンはだいぶ限られてしまうだろう。
そんな流行に後れを取りがちな私だが、この度不本意にも流行に乗ってしまった。
コロナにかかったのである。
とき子さんご一家(復活からの夏大満喫、おめでとうございます!)や、めろしゃん(復帰明け一発目がセミマルって何事!?)など、次々にnote仲間が感染し、「ついにここまで来たか」と腹をくくっていたある日、上司が感染した。
その数日前に彼の向かいの席で彼と喋りながら弁当を食べていた私は、すぐさまPCR検査を受けに行き、翌日陽性と診断された。
かくして私の10日間の自宅療養生活が始まった。
おそらく感染しているであろう彼氏は運のよいことに無症状らしく、さらに仕事はフルリモートなので、嬉々として缶詰生活に臨んでいた。
ヘロヘロな10日間
幸いにして私は軽症の部類だったのだと思う。
感染初日から3日間、鏡で喉を覗き込んだら血まみれになっているんじゃないかと恐れるほどの喉の痛みと、その喉の痛みから生じた睡眠の浅さと、涙に対抗心を抱いているとしか思えない勢いでサラサラ垂れ流される鼻水と38.0前後の熱にうなされたけれど、4日目にはそれらの症状はだいぶ治まった。
やっとひと安心だぜとテレワークに移行した5日目に空気を読まずに生理が襲来し、いまだかつてないほどの頭痛に見舞われ半日寝こんだものの、6日目以降はもうほとんどコロナは生理に覇権を奪われて、そして泣く泣く私の身体から去っていった。ような気がする。
そして無事に自宅療養生活を終えて、今週一週間出社した。
もー、どろどろに疲れた。
仕事がこんもり溜まっていることに加えて、感染前と比べると体力がなさすぎるのだ。
後遺症なのか、単純に体力が落ちただけなのかはわからないのだけれど。
例えば、地下鉄から地上までの階段を上がると息切れと眩暈に見舞われる。
朝からゼーゼー言うのがつらくて、実は今週コソコソと三回もエレベーターに乗ってしまった。
それから、信号待ち中やコピー待ち中がダルい。
100均で杖とか布張りの簡易椅子とか買いたいくらいなのだけれど、これも体力が戻れば収まるのだろうか。
いまドラえもんが「どこでもドア」と「どこでも椅子」のどっちかをくれるとしたら、「どこでも椅子」(座りたいなぁと思った瞬間に椅子が出てくる。そんなひみつ道具はないけれど)を所望してしまいそうで怖い。
普段なら絶対にどこでもドアを選ぶのに、いまは「ハワイへの扉を開いたとして、だだっ広い砂浜が延々と続いていたらズボン汚れるしな。やっぱ椅子だよな」とか考えてしまう。
そんなところが私のコロナ感染から出社一週間までのあらましだ。
症状の重さも人それぞれとは聞くけれど、あくまで私個人の用意しておいてよかったものをメモとして残しておこうと思う。
感染初日からのえげつなくつらい3日間、私を支えてくれた愛すべき救世主たちを紹介しよう。
私の救世主一覧
少しでも、私と似た症状に悩まされている方の参考になったらいいなと思う。
本当はほかに、積読や気になっていた映画のDVD、時間ができたらやりたいと思っていた羊毛フェルトなども用意してあったのだけれど、身体を起こしているのがしんどいときには全然それどころではなかった。
それから、保健所からいただいたウイダーインゼリー。
寝倒した早朝、食欲はないけれど栄養は摂らねばと飲もうとしたら握力が足りなくて開かず、結局彼氏を揺すり起こして開けてもらう羽目に。
アイスのクーリッシュも似たキャップだけれど、本当に欲しているときに開かないのはマジでつらい。
「若者は無症状が多い」とか「そうじゃなくても軽症が多い」とかいろいろ聞くなかで、てっきり自分も「かかってもそんなにつらくはならないだろう」と勝手に信じていたのだけれど、全然そんなことはなく普通にしんどかった。
「のんびりnote読もっと♪」なんて気楽に構えてる場合じゃないよ、罹患前の私!!
***
そんなこんなでたぶん重くはないけれど、それなりにがっつり不快だったコロナ感染。
けれどコロナは、私たちカップルにとって貴重な学びももたらしてくれた。
奴に感謝するのは大変遺憾ではあるが、療養明けの彼との暮らしが少し気楽になったことに対してはちょっとありがたいなと思わなくもない。
褒めてほしいときも慰めてほしいときも自己申告
VS 風呂
コロナにかかった私は、とにかくへこんでいた。
人がかかったときには「まぁこんだけたくさんの人がかかっているもんね。お大事に」と心から言えるけれど、いざ自分がかかるとそうもいかなくって。
外にも出ず、部屋にひたすら引きこもっていると、「どうせ私はバイキンですから」と妙に卑屈な気持ちになってしまう。
「どうせ私はバイキンですから」と精神を蝕まれた結果、私は風呂に入る気力を失った。
あと10日間、誰にも会わないんだし。
外にも出ないから汗もかかないし。
髪の毛も洗わなくていいんじゃない?
私はもともと風呂がそこまで大好きというわけではないので、「今日はお風呂やめておこうかな」と軽く彼氏に伝えた。
ところが彼氏はそれを、とても重大なことと捉えたらしい。
ルーティン大好きな彼氏は、基本的に同じ生活リズムを淡々と繰り返したい性格である。
そして、私も同じタイプの人間だと思っているフシがある。
「風呂に入るのがつらいほど重症」と早合点した彼は、それ以降私が風呂に入るとめちゃくちゃ褒め讃えるようになった。コウペンちゃんか。
あまりにも褒められるため、結果的に私は10日間欠かさず風呂に入り、出るや否や彼氏に「今日も風呂に入ったわい」と申告するようになった。
たぶん一人暮らしだったら、ほぼ風呂に入らず10日間を過ごしたと思う。
VS ブラ
コロナにかかった人たちを悩ませる問題として、ブラジャーをするか否か問題もある。
どうせAカップだし、どうせ寝ているばかりだし、どうせ外にも出ないしとブラジャーをする気はさらさらなかったのだけれど。
これを食い止めたのも、彼氏の褒め殺しだった。
ブラをするだけで「ブラボー!」と絶賛される日々。
そもそも彼と暮らすまで寝るときはもちろん外出時以外はほぼノーブラ派だった私だが、彼が褒めてくれるならブラくらいしてやるかと前向きな気持ちになった。
我ながら安直だとは思うけれど、褒められて悪い気はしない。
そして私は、ブラをつけるたびに「今日もブラをつけたわい」と彼氏に申告するようになった。
そのたびに欠かさず褒めてくれる彼氏は、その影響か自分が褒めてほしいときも私に申告してくるようになった。
「牛乳パックを全部切り開いておいたで」
「肌の調子がいい感じ」
なぜか、慰めてほしいときも以前より報告してくるようになった。
「不気味な夢を見たような気がする」
「俺のすね毛、くるくるすぎない?」
そういう申告を受けて気づいたのだけれど、自己申告してくれるととにかく褒めやすいし、慰めやすい。
「察してくれるよね?」と相手に期待をかけてうまくくみ取ってもらえずに激怒、という経験をこれまで何度かしていたけれど、どんどん自分で申告してしまえばいいのだとすがすがしく思った。
そして褒められたり慰められたりすると、「どうせ私はバイキンですから」と地を這っていた自己肯定感が、ぐいっと上がる。
さらにそれとともに免疫力も、ぐいっと一緒に上がるような気がする。
深追いしない距離感
「このままではアザラシになってしまう」
そんな焦燥感を覚えたのは療養数日後、「隔離が明けたら遊ぼう!」と友だちから連絡をもらってからだった。
いまの身体で立ち上がって、さらに遊びになんて行ったら、あっという間にでろでろにくたびれ果ててしまいそう。
だって、ほぼ部屋から出ていないのだ。
体力も筋力もたった数日で一気に衰えたような気がする。
体重は感染前から2.5キロ減っていた。
落ちたのはたぶん脂肪ではなく、筋肉だ。
これではいかんとラジオ体操を自分に義務付けたものの、第一の段階で肩で息をする体たらく。
今ごろ小学生もせっせとスタンプを溜めているんだろうと思うと、いい年してゼーハー言っている自分がとんでもなくみじめな生き物のような気がしてくる。
自分の衰えを直視したくなくて、ポンポンを引っ張り出して及川光博の「死んでもいい」を踊った。
途中で戸が開いた気配がしたので振り返ったら、一瞬目が合った彼氏が、すっと背を向けて去っていくところだった。
彼は何も言わなかったし、私も、何も言わなかった。
「楽しく踊った充実感」がリハビリ的にはよかったものの体力的にはややしんどかったので、翌日からはピタゴラスイッチの「アルゴリズムたいそう」に切り替えた。
「てをよっこに~ あらあぶない」
と両手をぐーんと伸ばせばポキポキと腕が鳴り、
「ぐるぐるぐる ぐるぐるぐる ぐーるぐる~」
とゴリラのドラミングのごとく腕を回せば肩の筋肉が「そういや俺、肩だったわ」と思いだしてくれる感触があった。
一分ちょっとという短さも素晴らしい。
ともあれ症状が治まってきたら少しずつでも身体を動かさないと社会復帰が「あらあぶない」になるわな、とひとりごちていたら、またしても風がすんと入ってきてドアが開いたのがわかった。
振り返って、彼氏と目が合う。
「大丈夫?痛くない?」
そう聞かれて、さっき「ぱっちんぱっちん ガシンガシン」とやったときに壁に肘をぶつけたことを思い出す。
「大丈夫。痛くない」
オウム返しに言うと、「よかった」と彼は自室に去った。
こちらこそ。何も聞いてくれなくて、よかった。
仕事に戻った彼氏の怒涛のタイピングに耳を澄ませながら、「死んでもいい」にも「アルゴリズムたいそう」にもつっこんでこなかった彼氏の距離感の心地よさに思いを馳せる。
単純にかける言葉が見つからなかっただけかもしれないけれど、「何してるの?」と聞いてきたり、一緒に踊ってくれなくてよかったと思った。
一緒に踊ってほしいときもあるけれど、今は余計なことは考えず、一人で自分のためだけに身体を動かしたかったのだ。
そこまで汲んでくれたのかはわからないけれど、一人にしてくれてありがとう。
私も彼氏が一人で「腰に手をあて おしりフリフリ」と歌っているときには、そっとしておこう。
深追いしないことで保たれる距離には、きっと各々が各々でいるための大切な時間が詰まっている。
一人時間に割って入らないことも、ちょっとしたことを自己申告するクセも、ひょっとしたらコロナ前から無意識のうちにやっていたことなのかもしれないけれど。
10日間みっちり彼氏と缶詰になって初めて、「この人のこういうところは、一緒に暮らすにあたって好もしい」と言語化できるようになった。
コロナのおかげで、とは言いたくないけど。
そんなわけで一人時間を堂々と楽しめるようになったから、次はEXILEダンスにも手を出そうかと思う。
……あれこそ、大人数で踊るべきダンスだよなぁ。