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あなたのハワイに染まりたい② 幼児に完敗編

寝ようと思えばどこでも眠れると豪語してきたし、そう信じてきた。
去年書いたエッセイ「プリンセスな夫」のなかで、こう書いたくらいだ。

一方私は、どこでも眠ることができる臨機応変な身体の持ち主である。
24時間ほど飛行機に乗っていたときも、夜行バスで愛媛や広島、大船渡に行ったときも、謎の異臭に包まれた宿に泊まったときでも、中学生のころ友だちの家の庭で野宿をしたときも、「ここが寝床だ」と思えばスッと身体がスリープモードに切り替わった。
ひょっとしたら旅人とか山賊とか、そういう職業(?)が向いていたりするのかもしれない。

プリンセスな夫

それなのに、ハワイ行きの飛行機で、私は一睡たりともできなかった。

ANAの成田~ホノルル便には「ANAカウチ(ANA COUCHii)」っていう、座席の足元部分を引き上げてベッド状にできる座席があるんだって。これ、予約していい?

うきうきと夫がANAのホームページを見せてきたとき、かすかに嫌な予感がしたのだ。

公式はにこやかに(たぶん)、こう書いている。

日本の航空会社で初となるカウチシート「ANA COUCHii」です。3席または4席を1組として、エコノミークラス運賃への追加料金でご利用いただけます。レッグレストを上げてベッドのように利用することができ、ご家族やカップルにおすすめのシートです。カウチシート専用の寝具・シートベルトもご用意いたします。

ANAご利用ガイド「ANA COUCHii」より

つまり、こういうことである。

上から見た図(つる作成)

こんなの、絶対周りからいちゃいちゃした声が聞こえてくるやつじゃん。やだよ、そんなの。
「私はただのエコノミーでいいわ」と辞退しようとしたものの、夫は「まあまあまあまあ、せっかくだからさ」と押し切った。

今回の旅行のテーマは「夫の理想のハワイ旅」。

「あなたのやりたいこと、食べたいもの、行きたいところ、全部付き合うぜ!」と言った手前、のっけからそれをぶち破るのも気が引ける。
おそるおそるカウチシートを承諾して、迎えた当日。

飛行機のなかは、私の予想とは違う方向に混沌としていた。
機内食が片付けられ、各々がカウチ状に座席を引き上げたりし始めたあたりから、一人の幼児が激しく泣き始めたのだ。

その泣き声に釣られて泣き叫ぶ赤子や、それをあやそうとしてお菓子をぶちまける親たちもおり、気づけば機内は暗黒のピタゴラスイッチと化していた。
私たちは動揺しながらも、「ま、旅にはスパイスがつきものだよね☆」みたいな顔で肩をすくめあってみせた。

しばらく映画を観たり本を読んだりしているうちに、だんだんと周囲の子どもたちも落ち着いてくる。ほらね。

ところが。

2時間経っても3時間経っても、いちばん最初に泣き始めた幼児だけは延々と泣き続けていた。
幼児の底力を見せてやると言わんばかりの壮絶な泣きっぷり。
ギネス記録でも狙ってるのかと思うほどの、肺活量と声量と持久力。
誰かこの子に吹奏楽器を与えてやってくれ。
できればトロンボーンを、消音器つきで。

この幼児に大人が張り合おうとするなら、豪雨で靴をぐじゅぐじゅにしながら徒歩30分かけてスーパーで買った乾麺をザルにあけるつもりで流しにすべて捨ててしまうレベルの悲劇に見舞われたとしてもまだ勝てないと思う。
これは私がいちばん最近号泣した記憶なのだけど、10分も泣けばかなりへとへとに疲れてしまった気がする。幼児おそるべし。

いま振り返れば、「この飛行機で寝ることはできぬ」とさっさと諦め耳にイヤホンを突っ込んで、映画観賞なりゲームなりに移ればよかったのだろう。

けれど、いつ幼児が眠りに落ちるのか、あるいはせめて泣き止むのかがわからない状況では、いつでも眠れる状態で待ち構えていたかったのだ。
結局往生際悪くスタンバイし続けた私たちは、合計5~6時間ほど、一人の幼児のたゆまぬ泣き声を浴び続けることとなった。

耳栓をやすやすと通過し頭蓋を揺さぶるような叫びに圧倒された私たちは、小刻みに胃を震わせ、氷のように冷たい手を握り合い、「私たちに子どもがいなくて本当によかったね……」と囁きあった。

親御さんたちって、これを毎日浴びているわけでしょう?やばすぎない?それとも聞いているうちに慣れてくるもの?え、どういう鍛え方をしたらこれに耐えられるようになるの?
私たち、たったの5時間でもう白目剥いてるんですけど……。

ほかの人のカウチシートレポを読んでいるとほとんどが「快適☆快眠」と書いているから、私たちの運が特別に悪かったのだろう。

そんな状態で始まったハワイ旅行だったが、夫の立ち直りは早かった。
普段は移動中眠れずぐったりする夫に「眠れなかったなんてかわいそう」と私が彼の周りをうろうろしていたのだけど、今回「二人とも眠れない」という経験を経て、彼は異様な熱意をもって私の世話を焼き始めた。
「お水を買ってこようか?」「マンゴースムージーをお飲み。元気が出るよ」といそいそと立ち働き、したり顔で睡眠不足上級者としての貫禄を見せつけてくる。

「眠れなかった」という経験は等しくても、眠る機会を虎視眈々と待ち続けた挙句眠れなかった私より、眠れない状態に慣れており、眠ることを半分諦めている夫の方が健やかに見える。
それは新たな発見であった。
二人そろってげっそりしているよりは断然ありがたいのだけれど、私の周りを嬉しげにうろちょろする夫は、少しだけ、ほんの少しだけうとましかった。


「不屈のエンジョイ編(仮)」へ続く

出発前編はこちら。





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つる・るるる
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