金のガチョウの沼
白状しよう。
私はあまり、鳥が得意ではなかった。
一番最初の記憶は、小学生の頃。
横浜マリンタワーに、バードピアという鳥類園があった(現在は閉園)。
紙コップに入った餌を片手に園内を歩き、鳥とじかに触れ合うことができる施設だった。
十数年前のその日、母と下の弟とともに、私はバードピアを訪れた。
ところが、母と私は入園直後にアネハヅルに紙コップごと餌を取られてしまった。
ここのアネハヅルは人間を脅すことに慣れているらしい。
彼らはひょいひょいと近づいてきて、ビビる私たちの手から器用に紙コップを奪うと、そのまま颯爽と去っていった。
私と母はほぼ同時にその紳士的なカツアゲに遭い、呆然とした。
そして、当時小学校低学年か幼稚園くらいだった幼い弟の姿を探した。
すぐに、弟の背丈を超える三羽ものアネハヅルに囲まれて半泣きしながらも、決して紙コップを手放そうとはしない彼を見つけた。
三つ子の魂百までとは言うけれど、あの頃から彼はドケチだったのだ。
餌を死守した代わりに、弟はその夜熱にうなされていた。
そんなわけで私は、放し飼い状態の大きめの鳥が少し怖い。
鳥との因縁は、まだまだある。
海で楽しく弁当を食べていたら、ソーセージを鳶に攫われたこと。
高校時代に、友だちの頭がカラスの踏み台にされたこと。
長編小説を一気読みした明け方、ようやく寝ようとした瞬間に「クー・クー・ポッポ〜」とご機嫌で鳩が鳴き出して、その後しばらく眠れなかったこと。
予備校時代の友人に「一人で入るの恥ずいから付き合ってほしい」と言われて一緒に行った猛禽カフェで、メンフクロウに指をあぎあぎと齧られたこと。私が齧られている隙に、彼はふわふわの羽毛を堪能してドヤ顔していたこと。
大学時代に代々木公園のラテンアメリカフェスに行って、私だけ鳩にフンを落とされたこと。
バイト先の神社で、いきなりアヒルの突進を受けたこと。
インドでツルに追い回されたこと。
元から鳥好きな人だったら、「そんな取るに足らないことで鳥を怖がるなんて」と思うかもしれない。
それに本当は、雀のために庭にパン屑をまいてやったことや、幼稚園のころ毎冬オウムの「サンちゃん」を家で預かっていたことなど、鳥にまつわる楽しい記憶もある。
けれど、そんな和やかな思い出以上に、鳥にいじめられた私の過去は厚い。
そんな私が「鳥いいかも」と思うようになったのは、二人のnoterさんがきっかけだった。
橘鶫さんと、nolyさんだ。
まず鶫さんは、「少し的を外れた鳥好き」と称する鳥の絵描きさんである。
shinoさんの記事の中で初めてお見かけしてご本人のページに飛んだら、その才能に驚いた。
雀や鴉のような身近な鳥から、Black and Red Broadbill(クロアカヒロハシ)、Bee Eater(ハチクイ)なんて見たこともないような色彩の鳥も、どこか人間を思わせるような不思議な表情で佇んでいた。
それからなんといっても、圧巻のイヌワシ。
鶫さんの作品には私が鳥の中に見つけられなかった、あるいは見ようとしなかった感情が、こまやかに描き出されていた。
彼らの理知的な佇まいや意思のこもった瞳に魅了されて、そしてその鳥の絵から生まれた物語の虜にもなって、いつのまにか日常的に出会う鳥に向ける眼差しが変わった。
そんな、絵でもって鳥(特にイヌワシ)への愛を表す鶫さんとは異なり、nolyさんはとにかく実体で推してくる。
そう、ここからが今日の本題です(遅い)。
この「金のガチョウになるまで」と題されたマガジンには、ガチョウのフィフィとnolyさんの暮らしが丁寧に紡ぎ出されている。
何編か一気に読んで、「これは……フォローしたら負けだ」と悟った。
貪り読んだら最後、絶対ガチョウ飼いたくなるやつじゃん。
まず言っておきたいのだけれど、人様ん家のペットは、尊い。
私のようなペット禁止のアパートに住んでいる人間にとって、動画なり写真なり文章なりでペットのかわいさを残してくれている人はもう、仏のような存在である。
夢中になってYouTubeやTwitterを毎日のように見ているうちに、ワンルームにはどんどんエアペットが増えていく。
最初は飼ったことがある猫や亀、カエルくらいだったはずが、いつしかうさぎやフェレットなどにも強く愛しさを感じるようになり。
そんな状態だったから、結局マガジンをフォローしようがしまいが、私がフィフィに負けるのは時間の問題だった。
それからほどなくして、一刻も早く家を買いたいと思うようになった。
綺麗な池のある、庭付きの家を。
おわかりだろうか。私はとっくに、フィフィに完敗していたのである。
そんなふうにガチョウ沼にずるずると引きずり込まれながら、私はnolyさんの作品を読んでいる。今日は、その中でも特に推したい三作をご紹介しようと思う。
①ガチョウは犬に似ている気がしてる
フィフィ、nolyさんを見つけると近づいてくるんですって。
しかも「嬉しそうにして」。
ヤバくないですか?いやもう、なんなの。かわいすぎるでしょう。
実をいうと、数年前に掛川花鳥園で飼育員さんをよちよち追いかけて魚をもらう芸達者なペンギンを見て、「かっわ〜!」と悶える一方で「そういう訓練受けてんのかな」と意地の悪いことを考えたことがあった。
でもこれを読むと、少なくともnolyさんとフィフィはお互いが大好きで一緒にいるのだということがさらりと伝わってくる。
そんな絆というか愛というかをごくさりげなく書けてしまうところは、きっとnolyさんのお人柄のなせる技なのだろう。
②ガチョウの羽の生え変わり、換羽期のおはなし
これはもう、フィフィのお尻がマジで見どころのおはなしである。しかしお尻にはしゃいでいる場合ではない。この羽が生え変わる時期は、ちょっと元気がなくなってしまうのだそう。ファンとしては、不安である(シャレではない)。
けれどその続編とも呼ぶべき「本調子じゃないときは無理しない。ガチョウに教わった単純で大事なこと。」の中でnolyさんは、「本調子ではないときは無理をしない。単純で大事なことをフィフィに教わった気がします」と綴る。
私たち人間がついつい忘れてしまいがちな、身体の声に耳を傾けること。それをそっと気づかせてくれたフィフィは、つくづく素敵なガチョウだと思う。大事に至らなくてよかったとホッとしつつ、自分を労わることの大切さを考えさせられた。
③ガチョウは何を食べる?何が好き?
ものすごい勢いでモグモグ食べて、のどを詰まらせてウグウグ言いだすからです。
これはもう、この一文にノックアウトである。大好きなパンを「モグモグ」からの「ウグウグ」てアナタ。その食い意地がかわいすぎる。
ガチョウって何を食べるんだろう?という素朴な、しかしあまり知られていない疑問にもがっつりと答えてくださっている記事である。
スコーンをおねだりし、稲穂を食み、パンを好む。トウモロコシをこっそり食べるフィフィの顔と、nolyさんと目が合うとバツが悪かったのか食べるのをやめたというエピソードも微笑ましい。
* * *
以上、個人的な推し作品三つでした。
それにしてもフィフィのかわいさは、長年蓄積してきたはずの私の「鳥怖い」を、やすやすと溶かしてしまう。
「かわいいは正義」は真理だなと思う一方で、もしもnolyさんじゃない人が撮ったフィフィの写真、あるいは観察記録を眺めていたとしたら、これほど彼のファンになっただろうかとも思う。
nolyさんの眼差しを通してこそ、「フィフィかわいい!」はフルパワーで発動するのではないか。
たぶん私は、鶫さんやnolyさんの愛を通して、鳥やフィフィを見るのが好きなのだ。
その迸る「好き」に感化されて自分の世界が豊かに色づき、ちょっと広くなる感じは、けっこう愉快で、少しこそばゆい。
もしあの日のアネハヅルが今また現れたとして、「食い意地張っててかわいい」と思える自信は、正直ない。
でも、少なくとも今の私は、「のどを詰まらせないでね」くらいは言ってあげられるかもしれない。
それは紛れもなく、鶫さんとnolyさんと出会えたおかげである。
お二人の愛がこもった作品を、これからも楽しみにしています。
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nolyさんの企画「ガチョウのフィフィを愛でる」に参加させていただきました。
が!例によっての大暴走。本題に入るまでが長すぎる。しかも「あなたを通して描かれたフィフィを愛でたい」のはずが、「nolyさんを通して書かれたフィフィにこんなふうに癒されてます」になってるし。ごめんなさい。
普段は「これ、この熱量でコメント書いたら怖くない?」と思うようなことでも、こうして企画になってくれるとそれを盾に全力で書けるからいいですね。「フィフィを愛でる」、企画趣旨から愛がダダ漏れているのが最高でした。