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世界を隔てた弊害
昔、まだ私が小学生だった時、同じクラスには障害を持った“こうちゃん”がいた。こうちゃんは今で言う発達障害なのか、それに近いものなのか、当時はよくわからなかったけれど、他のクラスメイトとは違うと言うことはわかった。こうちゃんは特別なクラスではなく、私たちと同じクラスで一緒に授業を受けていた。給食の時だったか、何かが気に入らなかったのか、手をふり暴れて、先生が押さえながらなだめていた記憶がある
当時私が住むマンションの近くにはそういった障害を持つ人が暮らしている施設があった
学校では訪問の機会があって、老人ホームや障害者施設へ出向く機会があった
でもそれも年に1日か2日、毎年ではなかったかな
普段外からしかわからない施設の中を見ることができて、サポートをするスタッフの人数が思いの外多いこと、突然奇声をあげる人がいたり、動きや顔つきも違って、普段よく見て認識している「人」とは違う「人」たちを近くで見た
正直怖かった。突然すごく大きな声を出したり、動きが突発的で訳がわからない。予想がつかない。攻撃的な行動をとる人もいた
だけど、この人たちは、害を及ぼす人たちではないのだろうな、とは思った
その症状の出方も、感情の吐き出し方も、個人個人で違うのだと思う
できることもそう
その施設の人たちは見た感じ大人だった。普通のおじさんに見える人もいた。大人になっているから、声も大きいし力も強い
でも、こうちゃんは私たちと同じ子どもだった
こうちゃんが大きくなったら、こんな風になるのだろうか...?
でも、もし私がこうちゃんを知らなくて、突然施設の人に会っていたらと思うと、感じることはもっと違っていたと思う
多分、もっと「私たちとは違う人」だと思っていたに違いない。まるで子どもでなかった大人のように
こうちゃんの給食での出来事もびっくりしたけど、施設の人に会った時ほどではなかった。いやむしろ、日頃から散歩に出ている施設の人たちをちょっとした時に見かけていたから、その分他のクラスメイトよりは持っている情報量は多かったはず。だけど、やっぱり同年代のこうちゃんと一緒の空間で得られる情報量の方が圧倒的に多かった
どんなふうに動いてどんなことに反応するのか、その反応の仕方も
こうちゃんとは話した記憶があまりない。喋ったことはあると思う。けど、記憶は曖昧
どうだっただろう。他のクラスメイトも、多分私と同じような関わり具合だったのではないだろうか
こうちゃんはサポートが必要だから、先生がよくついていた
子どもながらにちょと不公平さを感じた時もあった。なんで特別扱いするんだろう...みたいなね(未熟さ、今ならわかる)
でもこうちゃんがいたことで、情報量の幅が広がっていたことは間違いない。“同じような”世界の中で、こうちゃんは特出していた
今振り返って思うのは、施設への見学は、何も説明がなく、ただただ放り込まれたのは、実は良くなかったんじゃないのか、ということ
学校側は見学を行ったという実績があれば、もうそれでよかったのだと思う
でも、それを「学び」の観点から、もう少しアプローチがあったら、もっと深い理解に繋がっていたはず
ただ「施設へ行きます」ではなくて、この施設にはどんな人がいて、どんな動向があって、なぜそこに居るのか、そんなことを教えてくれる機会があったらよかったのだろうな、と思った
同じように、“同じようではない”人を、その人たちと“同じような”人たちごとに隔離して、“同じような”人たちで構成された場に居させている
学校では“同じような”ことをさせる“集団行動と”いう行為
それも必要だとはわかるけれど、ちょっとバランスが偏っているよね
今は従来の学校教育から「教育のあり方」の過渡期にあると感じています
家族と学校の友達の他に接点を持つとしたら、親戚付き合い、近所付き合い、地域の話になってくる
世界にはいろんな人がいる
いろんな人がいるのに、学校ではいろんな人がいる世界ではない
隔てることから相手への理解を得る機会がなくなり、差別や偏見が生まれやすくなるのではないかと感じている。同じことが当たり前になり、少し違うことでも敏感になってしまう。そして、そこにいない人たちのことを知る機会がない
学校を出て社会に出た時、こんなにたくさん様々な人がいるのかと、その存在を知る(知らないままの場合も多いはず)
私がその差を一番強く感じたのは、高校を卒業する時だった。ある時突然「あとは自分でやってね」と放り出されたあの感じ。今までとの落差に「え、突然考えろ、決めろって言われたって」と戸惑った
でも、ただ混ぜればいいということではなくて、例えば同じ敷地に老人ホームと保育園がある施設もある。地方の村では地域ぐるみで子どもを育てるので、子どもの方もあらゆる年代の大人と話す機会が日常的にある
無法地帯ではなくて、そこにはその人たちを理解する人が間に居るべきだし、その理解者を通して自分とは違う人たちのことを、より理解することができる。間の理解者がいることが、全体にとってもとても大事なのだ
緩やかにつながった世界が、社会の縮図のように日頃からある場であれば、いずれ大海に出る時、既に自分用のボートがあって、オールもある、そのこぎ方もわかる、心寂しい想いもすることなく、即漕いでいける気がする
今私ができることは、子どもに隔てることなく体験させる場を与えること(でもそれも難しいことだとわかっている)子どもよりは世界を知る「間の理解者」として、必要なことを教えながら、サポートしていきたいと思う
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