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光が闇を晒す時に人は


「今日雨が降るんだって。傘持っていきなさいよ」

平日8時25分に母との間で繰り返される会話。
今日は天気の話。

ちなみに昨日は、
「夕方から寒くなるから上着を持って」

その前は、
「あら!スカートにシワがあるじゃない。
すぐアイロン当てるから脱ぎなさい」

「人身事故で電車遅延だって。バスで行ったら?」

「そんな大きな荷物!2つに分けて持っていきなさいよ」

「最近ハンカチ洗ってないけど、新しいの持った?」

「ちょっと風邪声ねぇ。会社行ったら、うがいしなさい」

「ストッキング伝線してたから、
02のベージュ。買っておいたわよ」

「さっきゴミ出し行った時、
また山崎さんの車と自転車出てたから気を付けて通って」

「今週ずっと帰りが22時過ぎじゃない?
今日は早く帰れるようにマネージャーさんに言いなさい」

「リップの色。ちょっと濃いんじゃない?」

これが、28にもなって実家で暮らしてる弊害か。

親からしたら何歳だろうが子供は子供。
親切心?
指摘してくれるのは有り難いんだけど、
私の心が狭いのかな?
なんかモヤモヤするんだよね。
こんな歳になってまで、実家を出ない自分っていうものに対して、
何か焦りがあるから卑屈な捉え方になっちゃうのかな?
言われた言葉を反芻してみたところで、
母は決して悪い事を言っているわけじゃないし、
私の事を思って善意で情報を伝えてくれたり、注意したりしてくれているだけなのに…
こうも毎日色々と言われると…ね。

まあ、
自分で言うのもなんだけど、うちの親は結構良い親だと思う。
世間で言うところの毒親だと思ったことはない。
親ガチャと思ったこともない。
普通に愛情を持って育ててくれて、普通に大学まで出させてもらった。
日常的な喧嘩とかは、それは人並みにあったけど、
それで家を出ようと思ったり、勘当だ!なんてなった事も無い。

でも、何だろう。
過干渉なのか、私が失敗をしないように導いている部分が常にあった。
子供の頃からだ。
“危ないからやめなさい” が母の口癖だった。
命に関わる危険は、親として防ぐのは当然だけれど、
実際に体験をさせて、本人に危険だと、失敗だと自覚させることも大事だったんじゃないのかな?

父は食品関係の一部上場企業の部長。
母は女子大を出て、3年働いた後に寿退社して、それからずっと専業主婦。
兄は去年結婚して、横浜で暮らしてる。
私は、
実家暮らし28歳。 

中途採用社畜。

そんな卑下する事無いか。
日曜日は休みだし、日付変わる前に帰って来れるんだからマシな方だよね。

土曜日は現場から連絡が来る事があるから社用携帯必須で、
8時から終日リモートみたいなもんだけど。
社内プレゼンの日は7時出社だけど。
このご時世なのに取引先の接待に同席しなきゃだけど。

母からしたら、心配なんだろうな。
それも分かる。
日曜日は昼過ぎまで起きてこない。
彼氏と出かけるとかの気配も無い。
まぁ居ないからね!居ないから出かけられないよね!!
24の時に別れて以来居ないからね!!!
あと、いつも顔色悪いし。

だからどうしても過干渉になるのかもしれない。
それを指摘する難しさっていうのを、年々感じていて。
だって、間違ってないから。
母が言っている事が。

最近は、分かってるよ。って言うのも疲れて
あー…とか、ねー…とか曖昧に流してる。
苦しいんだよね。
正論の柔らかくてどっしり重い、湿った綿玉をぶつけられてるみたいで。
ピッカーンって綺麗な光を浴びせられて
かえって自分のダークサイドが浮き彫りになるみたいで。
毎日毎日それが積み重なって、息が苦しい。

善意とか正義に押しつぶされるって
あるのかな?


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「先月さ、クレジットカードの請求が50万近くあって。」
「え?使い込まれたって事?」

有希は答えない。
代わりの沈黙が、この問題の根深さを語っていた。

「彼には聞いたの?」


「スパチャ、ゲーム課金、だって。」
ため息をついて、呆れるように笑った。
「お互いが毎月生活費8万円出し合ってさ、家賃とか光熱費とかに
充ててたんだけどね。
ここ3か月、拓斗から入金がなくて。それを指摘したら言い合いになって。」

有希がアイスコーヒーをかき混ぜる。
カラカラカラという音で、心を整えているように見えた。


「俺がいなきゃいいんだろう。って」
  
「あー…出てった?ついに?」

ピタリと音が止む。
氷はユラユラと惰性で回転しながら、勢いを失い沈んでいった。


「包丁持ち出して。」


暗闇に鉛色が冷たく光る光景。
瞬時に、今日有希と会った時から今までを思い返す。
どこにも包帯なんか巻いてないし、どこかを痛そうに庇う素振りも無かった。

「拓斗がさ。自分の太もも、刺したんだよね」


「地獄だよ。」

「地獄。」



あの彼。
大学の同級生だから、2人はもう6年も付き合ってる。
何年か前、有希と飲んでる時に1回だけ会ったことがある。 
上下黒いラフなシルエットのスーツにTシャツを着て、マッシュっぽい髪型してたから
オシャレ好きなのかなと思った印象くらいで、
ほとんど喋らなくて、喋っても有希の陰でボソボソ言ってるような感じだった。
私は有希とは小学校からの幼馴染で、
彼女がこの手のタイプの男の人と付き合うと思ってなかったから、少しびっくりしたのを覚えてる。
彼はSEをやってたんだけど、
鬱病になって去年会社を辞めたっていうのは聞いた。
在宅で働ける下請けの仕事を会社の先輩に紹介してもらって、
それでここ半年は彼のペースで、体調と向き合いながら何とかやってる。って、
先週LINEでやり取りした時に言ってた。



返す言葉に詰まる。

今度は私がアイスコーヒーをかき混ぜてみたけれど、
氷が小さくなり過ぎてチリチリチリという小さい音しか出ない。
それは、この沈黙に対しては少し役不足だった。

「警察とか呼んだの?」
「ううん。拓斗が1人で病院行ったみたい」

「私が良かれと思って拓斗にやってる事が、拓斗を苦しめてるのかな?」

こんなこと思ったらダメなんだけど、
有希のそれは、安いドラマのセリフみたいに聞こえた。

「でも、有希が良かれと思ってやってさ、彼にとってはダメだったからって、良かれと思うことをやるしかないんでしょ?もしくは、何もしないか。」

「何もしないってことは見捨ててることにはならない?」

「病気なんだよ。」
私が諭すように言ったのが気に入らなかったのかもしれない。

「だから助けてあげたいんだよ!」
有希は珍しく、少し語気を強めた。

「有希が言ってることは多分正しいよ。助けてあげたかったり、救ってあげたかったりすることは多分正しいよ。
でも、もし有希が思う正義とか善意が彼にとっては違ったらどうする?」
有希にはハッキリとは言わなかったけど、
私は彼の気持ちが少しわかる。

有希は黙りこむ。
グラスの底に敷いたペーパーに、結露の雫がどんどん染み込んでいく。

お金を使い込んだり、二人で決めた約束事を守らなかったりするのは言語道断だし、
責められるべきだし、必要なら訴えても良い。
でも、彼がそこまで至ってしまうまでの途中に、
何かサインがあったのではないかと考えるのは
甘やかしてる?肩を持ち過ぎてる?

正しい事は常に正義なの?

正しい事を正しいと掲げて押し付ける
その鈍麻で無知で純粋な圧力に、押しつぶされそうになっている彼の後ろ姿に
自分が重なりそうで思わず頭を振る。

ロールシャッハのテスト。
インクのシミが蝶に見えたり 怪物に見えたり 花に見えたりするやつ。
あれは正解も不正解もないけれど、
同じ図案が、人によっては全く違うものに見えるんだって。
誰かの正義がもう一人にとっても正義とは限らないし、
正義の反対は悪じゃなくて、また別の正義だって誰かが言ってた。


それから
11月の連休に、蟻月にもつ鍋食べ行こうって連絡しても、
有希のLINEは既読にならなかった。
電話も出ない。
彼とのこともある。しばらく連絡しないのも優しさかなと思って
1週間はそのまま放っておいたけれど、
さすがに心配になって電話してみた。

有希はワンコールですぐに電話に出た。
泣き声だ。

先週、弔事で和歌山に行っていたらしい。
彼が。という事だった。
自分のせいだと取り乱し泣く有希に、簡単にかけれる言葉がなかった。

「おばあちゃんが言ってたんだけど。
人は寿命が来て死ぬんじゃないよ。死ぬ時が寿命だ。って。
彼がそれを選んだなら、それが彼の寿命だったんだよ。有希がどうこうしたわけじゃないし、有希のせいじゃない」
そんな感じのことをやっと伝えて電話を切った。

生きる苦しみは、少しは知っている。

新卒で働いた会社がブラックで、メンタルバランスを崩した。
会社の近くのドトールで、よくミラノサンドAをテイクアウトして、
神宮前のベンチに一人で座って、ボロボロ泣きながら食べた。
会社に戻って食べるより、そこのベンチが私の唯一安心できる居場所だった。

ある日、いつもいるホームレスのおじちゃんが、
缶コーヒーをくれた。

「お姉ちゃんいつも泣きながら食べてるけどさ、
食べるって事は生きたいんだろ。
死にたくなかったら、泣きながら飯食わなきゃいけない会社なんてやめちまえよ。」

そのおじちゃんの一言があったから、今も私は生きてると思ってる。
今思うと、なぜそんなになってまで留まっていたのか。
でも私には、その時はその小さい世界が、私の全てだったんだ。


ずっと真綿で首を絞められているような
いくら深呼吸をしても息が吸いきれなくて苦しいような。
そんな鈍い苦しみを知っている。

苦しんでいるその人の人生を替わりに生きてあげられるわけじゃないし、
明日目覚めて、
また苦しいって思う気持ちを替わってあげられるわけじゃない。
だから、近くにいる人も同じ位苦しい。

それを助けることが正義か
私にはまだ分からない。

「ここまでで良い。十分頑張ったし苦しい。」
て言う人の背中を押して、無理矢理前に進ませる権利が誰にある?
それは、エゴであり偽善じゃないのかな。

マラソンも登山も、リタイアする勇気。って言われるのは、
命と天秤にかけてるからでしょ?

人生を、命を、リタイアする勇気は?
何と天秤にかけてるの?



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上大崎新橋。
目黒駅の近くにある陸橋。
下には山手線、埼京線、湘南新宿ラインが通ってる。
学校帰りによく、有希と2人でこの橋の上から電車を見てた。
葉っぱを落として線路の間に入った方が勝ち。なんて遊びもしたし、
電車に向かって手を振ったり。

「懐かしい。」
有希が立ち止まって、あの時みたいにフェンス越しに線路を覗き込む。

そういう言葉が出てきたことに少し安堵した。
あれから有希はすごくふさぎ込んでしまって、5キロも痩せたと言っていた。

「何年前よ?うちらも老けたよね」
横に同じように並んで、有希の顔を覗き込む。

微笑んでいて欲しかった。


なのに。





有希が何をしようとしているのか、私は一瞬で分かった。
一気に心臓が脈打つ。
私の思い違いであってほしい。
血の気が引いて、フェンスに添えている私の手が小刻みに震える。

足がすくむ。


救うことと、殺すことは同一線上に存在するのかもしれないと、初めて感じた。
私の善意が有希にとって悪である可能性は?
私の悪が有希にとって善意なら?



遠くから電車のヘッドライトが近づいてくる。

有希は信じられない速さで軽やかに、スカートの裾に風をフワリとはらませて、くるりと踵を返す。
そして、
一箇所だけ開いた、人1人が通れるフェンスの隙間に手を掛けた。





ように見えた。
私は咄嗟に彼女の腕を掴んだ。

すり抜けないように、滑り落ちないように、爪が食い込むほど力を込める。

私は分からない。
私のしてる事は正しい?間違っている?
本人のしたいようにさせてあげる方がよっぽど信頼してるし、その人の為を思ってるはず。

それでも 
有希の冷たい腕を掴もうと、私を動かしたのは、
紛れもなく、私の大嫌いな極めて自己中心的で偽善的な
このクソみたいな、

俗に言う
“正義と善意”っていうやつだった。




「なに?どうしたの?  痛いよ」


有希は微笑んでいた。
瞳がユラユラと揺れている。

電車のヘッドライトが反射して、その光をいっぱいに蓄えた一粒が
頬を伝って、闇に落ちていった。



ー完

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