野良猫のあとを
さっきから目の前の席で、こくりこくりしているお姉さん。
分かる分かる。電車の揺れって眠くなるんだな。
ミルクティーベージュの髪のサイドバングをゆるく巻き、バカでかリボンで後ろにまとめている。
服は肩先だけ穴の開いたオープンショルダータイプのオフ白モヘアニットで、インナーにノースリのハイネックを着ている。
ハイネックのノースリーブで、モヘアの肩先穴あき。
暑いの?寒いの?どっち?っていう、上半身は季節迷子みたいな格好で、ボトムはマーメイドタイプのタイトロングスカート。足元はベージュのアンクルブーツ。
そんな格好をしたお姉さんが、
膝の上に、破裂寸前くらいに膨らんだエアー断衝剤みたいなダウンジャケットを置いて、
これまた破裂寸前のももの太さ、いわゆる太もも。を隠して、うたた寝をしている。
目に染みるくらいのジョー マローンのあの香りを漂わせながら。
別にそれだけだったら、匂いキツイし自分が移動すれば良いだけなんだけど、
そのお姉さんの
耳たぶギリギリに開いたホールから長く垂れたピアスの先が、ざっくり編んだモヘアに引っ掛かっているのに気付いてしまってから、
どうしても目の前を動けずにいた。
気になる状況。前にもあったな。
電車の中でなんだかすごく楽しそうにクルクル回っている女性がいた。
20代後半といった感じで、
紺色のカーデにチェックの膝下フレアスカート。手にはベージュのハンドバッグ。
私は自分の職業柄、その人が身につけているものから人物像を大体のジャンル分けする事がよくある。
普段は、人の格好をなんていちいち見ていたら疲れてしまうし、全くもって興味がないのだけれど、性格をまだ知らない人を自分なりに判断する必要がある時に、女性だったら、メイク、髪型、髪色、着ている服、カバン、靴…どのゾーンのブランドを持っているかで、あの界隈の可能性ありだな。て感じに。
まぁこれって、別に職業柄でも何でもなくて自然にみんなやっている事だと思うけど。
服に関しては、ブランドがわからない場合でも、
プリントの柄とか先染め柄とか、使っている生地の傾向から、
多分あの生地屋扱いのものだな。もしくは広州/韓国だな。だったら、あのメーカーかな。みたいに大体を推測できることがある。
その女性のカーデはGU。スカートの素材感とシルエットは、パルまではいかない…おそらくLOWRYS FARM。
カバンはメーカー不明の合皮ものだった。
ららぽーとあたりで買い物をするような、可もなく不可もないさっぱりとした格好をしていた。
要は、
こんな場所でクルクル回っている女性を、どの界隈の人か判断したかったから、軽く分析させてもらった。
なんで服を見るか。
自分に置き換えると、具合が悪い時とかメンタルやられてる時って、洋服に対しての関心とかがそもそも沸かないし、それどこじゃありませんから的な格好をしている事が多い。
だから「格好」ってその辺りの判断材料になったりする。
そういった点では、
女性はベーシック界隈の方だった。
酔っ払いでは無さそう。ヘルプマークも無い。AirPodsでノリノリ。でもない。
攻的撃な態度をしていたり、大声を出したり。だったら、まぁアレだけど、
微笑みながら何かブツブツ言ったり、歌を口ずさんだりしているので、何がそんなに楽しいのか気になって仕方がなかった。
その女性はとにかく幸せそうだった。
舞台とかで、幸せを表現する時はこんな感じの動きをするんだろうなぁ…って感じの。
生きていてそこまで、こんな公共の場所で人目を憚らずにクルクル回れる程、何がそんなに楽しいことがあるのかよく分からなかった。
私は自由が丘で降りる予定だったけど、まだ早い時間帯だったし、この後の予定も無かったから、ついて行ってみようと思った。
…こういう事は本当はしちゃいけない。
でも、snsで実況中継したり、それを共有する訳でもないし、話かけたりしないし、写真も撮らないし。
言うならば街で会った野良猫について行ってみる感覚に近いのかもしれない。
女性は綱島駅で降りた。
それまでずっと、手を広げてうっとりしたり、急にドアにもたれ窓の外を見ながら微笑んだり、相変わらずクルクル回ったりしていた。
全て、人にはぶつからないような絶妙な距離感で。
電車を降りると、駅の階段をスタタタタタ…ッとシンデレラの階段降り芸よろしく軽やかに降り、
改札では体を横向きにして両手をバレエのように上げながら通り、出たあとにクルッとターンして膝を折り、カーテシーのポーズを取った。
後ろからついて行ってる私の正面に向き合う形になったので、なぜか私もつられて軽く会釈をしてしまった。
彼女は、そんな私を全く見もせずに、また何かメロディをくちずさみながら
ゆるくパーマのかかったロングの髪を、フワサァッッッと振り回して軽やかに歩き出した。
何処かで見たことある。
…TSUBAKI的な。 いや、連獅子の毛振りだ。
ラララ〜と効果音をつけたくなるくらいの軽やかな歩き。
ごちゃごちゃした商店街を抜けて、大通りに出た。
女性は行き交う自転車や歩行者を華麗なステップで避けながら進む。誰も気にする素振りはない。
5m〜10m間隔を開けて見失わないようについて行く。
たまに入るターンで、後ろにいる私が視界に入ってしまわないように細心の注意を払っていた。
しばらく歩くと大きな川があり、橋を渡った。
それから細い道を右に曲がってコンビニを越えて、線路下をくぐり、住宅街に入った。
女性は白い壁に青い屋根の1軒家の前でついに立ち止まった。
一緒に立ち止まるのは余りに怪しいので、私はスマホを見ているフリをして、数m通り過ぎて反対側の電柱の影で止まった。
女性はチャイムを押して門扉を開ける。
玄関ドアに手をかけようとするタイミングでドアが開いた。
メガネをかけた背の高い男性が出てきた。
女性は男性に抱きつく。
「ただいまニャン!〇〇くんはおかえりだねぇ!!」
女性が頭を擦り付けながら、まさしく猫なで声で言った。
男性は
「アハハ!お土産あるよ!食べよっか」
と言って、女性の頭を撫でる。
…
ん?
何を見てる? 私は。
こんな電柱の影から。
眩しい。
眩しすぎて見えない。
旦那さん?が出張とか何かから帰ってきたの?
嬉しかったのね?で、クルクルしたりしてたのね?
ピュアなだけ?そんな事ある?
嬉しい楽しいを体いっぱいに表現してたのね。
ただ、
本当にただただ幸せだったのね。
それは私にとって、よく分からないけど、結構な衝撃だった。
じゃあ逆に私は何を期待していたのか?
女性がそのハンドバッグからビールでも取り出し、
あ、やっぱ酔っ払いさんね。となって欲しかったのか、
ビールじゃなくてメジコンがドサドサ落ちて、
あ、やっぱトー横さんね。とかなって欲しかったのか。
ここは後者か。
とにかく、その後
不戦敗なのに瀕死のダメージをくらったみたいな体を何とか起こしてフラフラとやっとの思いで歩き出した。
そして帰り道の鶴見川に危なく身投げする所だった。
二度とこの街には来ないだろう。
電車が橋を渡っている。
これは多摩川ね。
私は色々思い出してしまっていた。
お姉さんは相変わらずこくりこくりしている。
それを見ながら、
お姉さんが降りる駅を乗り過ごしそうになって飛び起きて頭を思いっきり上げた時に、
耳たぶが千切れるのか。
ピアスが壊れるのか。
モヘアが切れるのか。
どれかに、スタバのマカダミア ホワイトスノー何とかをかけてみることにした。
迷うくらい、ピアスのホールは耳たぶギリギリだったし、ピアスは簾みたいに長くて細く華奢だったし、モヘアはスカスカで、三者は微妙な均衡を保ち続けていた。
“耳たぶが千切れる“ に賭けようかな。
そうやって趣味の悪い予想をしながら
私は、
スクランブルスクエアのAesopから、B1FのKINOKUNIYAで買い物して、1FのPRESS BUTTER SANDに寄って、この電車に乗るまでの約2時間、
ずっと後ろに付いてきている女性を
ガラス越しに見つめていた。