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旅は私をうやむやにしてくれる(『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』レビュー)

会社を辞めたら世界一周旅行に出るつもりだった。物価の高いヨーロッパを長く回れるように貯金もしたし、帰国後どうやって生きていこうとのんきな悩みで頭を抱えたこともある。が、すべて杞憂に終わった。

コロナウイルスはまたたくまに世界中で猛威を振るい、日本列島にも上陸。外国どころか徒歩10分のコンビニすら気軽に立寄れない生活に。夢は先延ばし。今はさらなる資金稼ぎに集中しよう。


もちろん考えた。けど、会社は辞めてしまった。愛嬌もおべんちゃらもへたくそで、都合よく面倒な仕事だけ任されて華の部分は〝お気に入り〟。どれだけ頑張っても評価がついてこない。お給料はいただいているけど、このまま諦めたら残りの人生もずっと〝負け組〟。もらったお金と犠牲にした可能性、どっちの方が大きいんだろう。決断を下せずにいるこの1分1秒もかけがえのないものを削り取られている気がする。退職願を出したときには世界一周のことなど塵ほども脳内になかった。

現実から逃げ出したい欲求を旅に置き換えることでなんとか持ちこたえていたのだろう。ブレーキを失った衝動は加速し、甘くたおやかにあたためた夢はひそかに泡沫と消えたのである。


本書はオードリー若林正恭さんが初めての海外ひとり旅を綴ったエッセイである。せめて想像だけでも旅情を味わおうと文庫化を機に手に取ったのだが、他の誰でもなく彼が書いたということが心を鷲掴みにした。

デビュー作である『社会人大学人見知り学部 卒業見込』は、ページをめぐるほどに共感で息がふるえるようなエッセイ集だった。飲みにいってもなぜお酌をしないといけないのかわからない。スタバでも恥ずかしくて長いカタカナのドリンクが頼めない。みんながあたりまえに受け入れていることも、きちんと納得できるまでやりたくない。ぐるぐるぐるぐる考えているうちに身動きが取れなくなって、「青臭い」「イタい」と揶揄されて。

こんなところに分かってくれる人がいた、と読みながら泣きそうになった。職場では「暗い」と一蹴されてしまう気持ちをひとしずくひとしず汲み取って言葉にしてくれる人がいる。彼の不器用で、確かな心の裡に、ささくれた気持ちを重ねて何度も救われたし、その自意識の過剰さすら魅力へと昇華させ、トークで、ネタで、ファンをつかむ姿に希望ももらった。


はたして、この紀行文もふるえるような共感から始まる。ロケで訪れたニューヨーク。ウォール街に踊る華々しい広告を見上げ、ため息をつく。

もしかして、ここから発信されている価値観が、太平洋を渡って東京に住むぼくの耳まで届いていたのではないだろうか?という直感だ。
「やりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょう!」
「やりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょう!」
(『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』p.17より)


日本もアメリカも資本主義社会。生き残るためには競争に勝つしかない。しのぎを削りながらサービスや商品の品質を向上させてきた良い面もあるが、ちょっと目を開けば「これさえあれば有意義な人生になりますよ」「これを手に入れて見返してやりましょうよ」と本屋に平積みされた自己啓発書の帯やら、YouTubeの黄色いとこやらが意識の底に眠った対抗心を煽ってくる。脳には着実に競争意識がプログラミングされていく。


その結果なのか退職をはかりにかけていたときは、このままで人生は幸せなのかという内面的な問い以上に、今の〝負け組〟としてのポジションが周りからどう写るのか社会的な視線ばかり気にしていた。なんとか決断し同僚に告げると、「何で辞めるの?次何の仕事するの?」と矢継ぎ早に質問を重ねられ今度はうんざり。思えばそれは私への心配と同時に、「下だと思っていたやつが自分より上へいったらどうしよう」という焦りの表れだったのかもしれない。ともに苦労を乗り越えてきた同期ですら貶め合おうとしているのではないかと疑心暗鬼になったのを覚えている。


だったら全く違うシステムの国へ行ってみよう!というわけで、若林さんは社会主義国キューバへの旅を決意する。初めてのひとり海外。飛行機のトランジットにどぎまぎしたり、警戒心マックスで乗ったタクシーのおじさんが普通に親切だったり。早速、ホテルの屋上から街並みを一望。クラシックカーが行き交い、古き良き建物に広告はひとつもない。革命博物館では命をかけて戦った男たちに思いを馳せ、闘鶏場では血が沸き立つように興奮する。芸人さんらしくコミカルに語りながらも、揺さぶられる感性を瑞々しく描いている。


目に写るすべてにときめく感覚に、私もついはじめてひとりで旅をしたときのことを思い出した。

研究に没頭しすぎてお金がなかったので、卒業式に着る予定だった袴のレンタル代を注ぎ込んだ。おかげさまで構内の小さな講義室からモニターで式の進行を他人事のように眺めていた。会場からあふれた保護者たちに紛れ、どう見たってむなしい学生だったけれど、心の中は数日後に控えた冒険ことでいっぱい。なにより他人とは違うものさしで価値を判断した自分が誇らしかった。

その一方で、目の前に迫る社会という化け物から逃げ出したい思惑もあった。パイプ椅子に並ぶひっつめ髪、一様に求められるコミュ力、掲示板に書き込まれた不合格者への攻撃的なコメント……。就活でさえ社会のひんやりとしたにおいはびんびんに感じ取れた。あのときも現実逃避の欲求を旅に投影していたような気がする。


2泊3日北海道への冒険は、脳がへとへとになるくらい刺激的だった。ひとりでなんとかしなければと身構えていたけれど、空港の従業員さんは搭乗手続きを何回聞いても丁寧に教えてくれたし、ホテルマンは部屋の使い方まで案内してくれた。テレビ塔ではカメラマンのお姉さんが「はい、テレビ父さん!」という掛け声で記念撮影してくれて(ひとりは恥ずかしかったけど)、回らないお寿司屋さんの大将は頼み方も分からない未熟者を受け入れてくれた(時価が怖すぎて3貫で出たけど)。行く先々で支えてくれる人がいる。その気になればどこへでも行けるのだと、心強くもあったし、自信も持てた。


だが、若林さんの目を通して異国の営みを見ると、私があのとき感じたあたたかさと彼が感じたそれとは質が違うような気がする。彼はディープなキューバを知ろうと地元の人たちと観光地を巡ったり、家にお邪魔したりして打ち解けていく。そしてお別れのとき。付き合ってもらったお礼のチップを手渡すが。

「何を言ってるんだ、僕たちもマサのおかげで休日を楽しめた!」と言ってそれを受け取らなかった。
(『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』p.148より)
真心がダイレクトボレーで飛んできてぼくの心の網を揺らした。心と心が通じ合った手応えにぼくは胸をふるわせていた。それと同時に、サービスをお金で買わない感覚に鈍くなっている自分にも気づいた。
(『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』p.148より)


ああ、そうか。あのときの私は親切をお金で買っていたのだ。もし料金を払っていなかったら、同じやさしさで接してはくれなかっただろう。

市場競争のないキューバでは時刻通りにバスが来ないし、スマホやWi-Fiは普及の途上。国から配給がある代わり、職業訓練を受けて若いうちから将来が決まってしまうこともある。社会主義も一長一短で決して理想郷ではない。

だけどそこにはかけねなしのやさしさがある。見返りを期待しない、建前じゃない、ぬくもりが。


日本にもそういう関係があるだろうか。振り返った彼は亡くなった父親のことを思う。

家族。競争の原理の中で、絶対的な味方。

私も社会に負けてボロボロになったが、なんとか生きている。それは家族が変わらず家族でいてくれるからだ。理不尽なことがあったときは一緒に怒ってくれて、心から成功としあわせを願ってくれる。信用できる人がこの世にひとりでもいれば、どうにか立っていられる。今の日本で勝ち負けにもステータスにも脅かされない関係は家族だけなのかもしれない。

でも、それじゃあまりに寂しすぎるよな。


卒業旅行の2日目、雪が残る旭山動物園でペンギンの行列を待っていた。ひとりでうまく暇をつぶすすべもなく早めに最前列にしゃがんでいたのだが、お散歩タイムが近づくとにわかに人が集まってきた。どのくらい人がいるんだろう。ふと後ろを向くと、小学校に入るか入らないかくらいの女の子がどうにか通路を覗こうと右に左に首を捻って悪戦苦闘している。彼女にそっと目配せし、私はきゅっと後ろに下がってロープとの間にスペースをつくる。「どうぞ」と手招きすると、大人たちの脚の間をするりと抜けてきて一等地に収まった。


「あなたどこから来たの?」

後ろに下がったことで品のいい感じの奥さんと隣同士になった。女の子のお母さんかな?と思ったけど、本物のお母さんは列の端っこでベビーカーをあやしながら「すみません」と頭を下げている。どうやら子どもに順番を譲っている私に好意を持って声をかけてくださったらしい。


話してみると偶然にも私の地元で働いていたことがあるそうだ。いい大人がはるばるひとりで動物園に来たこともおもしろがってくださった。やがて通路の奥からぺちぺちとペンギン一行がやってきて、園内は黄色い歓声と乾いたシャッター音にに包まれる。それからは特に何を話すでもなく、一生懸命短い足をもち上げて左右に重心を傾けながら歩く鳥たちを並んで眺めた。ひとりで来たはずなのに、こうして隣に誰かがいることが不思議で、それでいてぽっとほんのりあたたかい。

せっかくなのでシロクマ館にも奥さんとその旦那さんとご一緒させてもらった。やっぱり言葉を交わすでもなく水槽を眺める。たまたま隣り合わせてそれぞれで見ているのと何も変わらないけれど、あのときはたしかに一緒に見ていた。ただすなおにめぐりあわせたうれしさに身を委ねていた。飼育員さんの案内を聞き終え建物を出ると、お互いの旅の安全と充実を祈ってお別れした。連絡先も名前すらも知らぬまま。


あのとき、たとえ私が自家用ジェット機を乗り回す大富豪だとしても、その日暮らしの旅人だとしても、奥さんは変わらずただ静かに並んで眺めてくれたんじゃないかと思うのは希望の持ちすぎだろうか。


〝旅〟で出会う人たちは誰も私のことを知らない。出世ができそうになくて悩んでいることも、同期に対して劣等感を抱いていることも、何も知らない。知らないことをふわっとうやむやにして、ただ出会えたよろこびに浸れる時間を少しだけ用意してくれる。冷たくてするどい現実から逃れることはできないけれど、ときおりぽつんと訪れるそういう瞬間があとちょっとだけ頑張ってみようかなと思わせてくれる。


若林さんはあとがきで、

もう行きたい国は思い浮かばない。
(『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』p.334より)

と書いていたけれど、私はやっぱり旅がしたい。

いつかまた気軽に行けるようになったら、国内でも海外でもいい。誰も私のことを知らない街で、私が何者であろうと変わらず受け取れるほんの一瞬のぬくもりをかきあつめたい。

しにものぐるいの戦いで得た資金は、そのときまであたためておこう。


●若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(文春文庫)

●若林正恭『社会人大学人見知り学部 卒業見込』(角川文庫)




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