HSPの私が、noteでの収益0→1を達成するためにしてきた現実的なこと
〜1月31日 23:30
「また続かなかった」
2024年も私は退職していた。
どんな仕事も続いた試しがない。人間関係に悩み、責任やプレッシャーにめっぽう弱い。人の放った言葉の意味を深く考えすぎてしまうし、自分の言葉で相手を傷つけてしまう可能性も怖かった。
自分に合った職場を探すことすら恐ろしく感じた。当たって砕けられればいい——ただその「砕ける」の衝撃にもう耐えられない気がした。自分はこんなに弱かっただろうかと嗚咽し、そんな脆弱な自分と向き合う勇気もなかった。
それでも何とか、何とか生きていきたいと踠いていた。
そんな時、私は昔続けていた自分のブログを思い出した。文章を書くことを元々やっていて、唯一自分に"できること"だったように思う。人より得意だったかと問われたら、正直自信はない。好きだったかどうかもよくわからない。
ただやっていた。それでよかったのだと思う。できることがある、というのは、どれほど麗しく、逞しいことであろう。
私は気持ちを一新させ、別の場所で文章を書いていこうという考えに至る。(自分が活動していたブログはあまりに手垢がついていて、そこで再始動する気にはなれなかった)
そこで出会ったのがnoteだった。
文章を書いて、投稿するだけ。シンプルだ。映像や写真などが特別得意ではない私にはとても都合がよかった。とにかく文章を書くだけで「完成している」と胸を張れるような気持ちにnoteはさせてくれた。
最初は取り掛かりやすいエッセイを書き続けた。
爆発的に読まれたことは一度もない。寡黙に、ひたすらに更新し続けていた。
SNS上ですら私は交流が得意ではない。したくないわけではなく、むしろ上手にしたいと思うのだが、顔を見合わせていないというのに、私は妄想するかのように機微を感じ取ってしまう。
相手の文章を読んで、コメントをして、人脈を広げて、といった形を私はなかなか取れなかった。「私なんかがあなたの文章に触れてごめんなさい」と思いながら、それでも読みたい文章をこっそり読み続けた。それは、どんなnoteもひとつの作品であり、崇高なものだと思っていたから。私の言葉で着色されてしまったらと勝手に考えていたのだ。
ただ自分のnoteにコメントをいただけることは、本当に本当に嬉しかった。こんなにも救われた気持ちに自分はなれるのに、相手もそうであろうと思うことはできなかった。何が言いたいかというと、私はとても面倒な人間なのだと思う。気を使っているようで、自分の心身を必死で守っていた。
だから基本、ただひたすら、自分の書きたいことを書き、投稿ボタンを押す。それを繰り返した。その繰り返しののち、有料記事、メンバーシップに挑戦を始めた。その軌跡を主にこのnoteでは綴りたい。こんなにも交流が推奨されていて、交流がしやすいnoteをありがたいと思いながらも、ただひとりで、寡黙に読者を増やすことを考えてきた私のやり方を書いてみる。
もちろん、これは交流することを否定するnoteではない。その交流で、自身の心を消耗させてしまうことをなるべく避けながらやっていきたいと考えているにすぎない。実際私はこうしてnoteを書いてきて、話しやすいな、ありがたいなと思う方と何人も出会ってきた。お互いを潤し合える関係をこれからも大事にしていきたい。
バズったこともない。交流を自分からほとんどしない。それでも現在、毎月2桁以上、ありがたいことにnoteを購入していただけている。まず0→1を、誰かに気を使われることなく達成したい。そしてそれを自信にしたい。そんな方の参考になれたら、本当に嬉しく思う。
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1月3日 18:00 〜 1月31日 23:30
書いて生きていくために頑張っています。 「文章よかったよー!」とか「頑張れー!」と思っていただけたら、あたたかいサポートをお待ちしております🍀 メンバーシップでもエッセイを書いているので、よければ覗きにきてください…!🌱