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綺麗な退職、できなくていい。私が身をもって話します
毎日泣きながら職場に向かっている。
もうこれ以上頑張る必要なんてないのではないかと、自分自身思う。町を歩く人、電車に乗っている人、誰も私を見ていないだろうけれど、私が頬を濡らしながら「どう思う?」と尋ねれば、「休んだほうがいいんじゃない」と応えてくれるだろう。
そうは思っても、私は泣きながら職場に向かった。そりゃあ、本音を好きなだけこぼしていいのであれば、「行きたくない」「休んでしまいたい——」などではなく、「どうしてこんなに自分は弱いのだろう」「どうしてこんなに涙をこぼしてしまうのだろう」「働ける自分になりたい」「普通になりたいだけなのに」という気持ちばかりだ。
生きていくためにはお金を稼ぐ必要があり、常に"働く"が絡んでくる。私は今逃げることが、将来の自分の首を絞めることへと繋がっていく、それを理解していた。理解していたというより、現在も未来も両方怖かった。逃げずにいられるのであれば、どれほど楽だろうと思った。逃げることを第三者はよくすすめてくれるが、逃げた先が保証されているわけではない。そこでまた乗り越えなければいけないのは自分。全部、自分だ。
「逃げる」という表現がよくなかったかもしれない。例えば「前進するために」という言葉は、とても鼓舞されるだろう。前進するために会社を休んで、"また頑張ればよい"のだ。
また、頑張れるのか———
私は自信がなかった。
涙が溢れて止まらない。そんな自分を私は「頑張れていない」と常に思っている。今頑張れていないのに新しい環境へ向かって、本当に頑張れるのだろうか。
私は這いつくばってでも職場へ向かおうと思った。水滴が、足跡のように後ろに伸びていく。行く、行くんだと思った。それなのに、息ができなくなる。
パニック発作だ。
もう何度これを経験すればいい。
私の手足は痺れ始め、足は鉛のようになって感覚を失っていく。街のなるべく影になっている端へ行き、嗚咽した。
「逃げたくない…逃げたくない…」
そう思うのに身体が動かなくなっていく。胃液がぐつぐつとマグマのように暴れているのがわかった。そういえば数日ごはんもロクに食べていなかった。吐き出せるものもなく、私は喉を鈍く鳴らしながら何かを吐き出す動きだけをこなす。
もう限界だ。
逃げる逃げないの話をしている場合ではない。今呼吸ができないのであれば、どこか一旦でも岸へ上がるしかなかった。
死にたい。
だけれど、本当に死にたいわけではない。まだまだ私は生きたかった。死にたかったけれど、生きたかった。「死にたい」という言葉、気持ちには「変わりたいけれどどうしたらいいかわからない」といった暗闇が籠っている。そして「生きたい」と願った先にほしいのは、単に生きているだけの状態ではない。「生きて、笑って、普通に過ごしていたい」んだ。どうしていつまでも、たったそれだけが叶わない。たぶん、"それだけ"なんて言葉で収まらないくらい、巨大な幸福なのだろうと思う。
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私は、綺麗な退職をしたことがない。
「綺麗な退職」とは何か。
働きながら転職活動を行い、内定を得る。その後職場の上司に1〜2ヶ月後に退職する旨を伝え、計画的に引き継ぎを行っていく。最終出勤日には花束を受け取り、「次の場所でも頑張ってね」と周りが涙してくれる。送別会もある。親交の深かった人と、何年経っても連絡を取り合っている。そんなものを私は「綺麗な退職」と呼んでいる。私の造語だ。
そんな退職が、本当に実在するのだろうかと疑っていた。ドラマや映画の中だけなのではないかと。
だが私も見たことがある。そうして美しく、逞しく退職、転職していく人たちを。ちょうど前職にもいらっしゃった。全然そんな、転職していくようには見えなかったのに。むしろ「この人はこの会社が大好きで、このままこの会社とともに成長していくのだろうな」と思い見ていたところで、「実は私、転職するんだよね」と流麗な姿。世界遺産を見ているような神秘的な気分にこちらをさせてくれる。
一方私はどうか。
少しでも語気のある言葉を聞いただけでひるみ、涙がこぼれそうになる。社内でひとり、仕事に行き詰まり、誰にも相談できず、ただ平静を保ちながら手洗いに向かい、便器に顔を突っ伏していた。
どの職場に行っても息ができなくなっていく。罵詈雑言浴び続けた職場もあったが、そうではなかった職場もある。やさしくて、多くの人が面倒を見てくれた。それなのに続かなかった。
私は毎度、引き継ぎどころの話ではない。いつ辞めるかもうまく言えず、「限界が来たら飛ぶ」みたいなことを色々な場所で繰り返してきた。
正直まだまだ私の中で笑い話にはなっていないし、現に多くの職場、人に迷惑をかけてきたため、笑い話なんて言葉自体、表立って言うことが間違っているのかもしれない。
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あまりに現実的に自分の弱さや経験をここからさらけ出すため、このnoteは有料記事(メンバーシップ加入で初月無料)にすることにした。ただ私の経験が、昨今誰しも訪れるであろう「退職」という場面の前後で、心の支えや光の道筋になれることを、10年経ってやっと信じることができたので、こうして手を動かし、書き始めている。
ただこのnoteは、退職をすすめたいといった内容ではない。
退職を決めるのは、いつだって自分自身であってほしい。ボロ雑巾のようになって辞めたとしても、私は私自身でいつも退職を最終的には決めたからこそ、後悔が少なかったのだと思う。
色々言っているが、私は綺麗な退職ができなかった人間だ。
私の姿を見て安心してほしいといった想いではなく、「この選択をした人は、今こんな風に生きているんだ」と思うことであなたの救いになれたらと思う。
「引き継ぎをしっかりせめてしないと」「ちゃんとお礼を言って退職しなきゃ」と、やさしいあなたはそう思うかもしれない。「そんなことだけで"やさしい"と形容するべきではない」と誰かに言われてしまいそうだから、のちにこれは語ろう。
社会に馴染めるようになりたかった。自分でも普通に働いて、生活できるようになりたい。その時がつらかったのもそうだが、いつだって私は「なりたい姿」を想像して涙していたように思う。
うまく手が届かない。その私のなりたい姿を実現していそうな人が世の中にはごろごろいるように見えてしまう。私は不出来だと痛め続ける。そんな不器用で、ぐちゃぐちゃに生きてきた人間がここにいます。私です。
そんな私と近い感覚にある方には、存分にこれからの人生の背中を押したり、さすったりできる内容にできただろう。
私の退職に至るまでの過程とその後を綴る。
静かに、人生のページをめくるような感覚で読み進めていただければ幸いです。
第1章 真面目な人間
私はどうやら、とても真面目な人間らしい。
小学校の通信簿には「真面目で優秀。先生もいつも頼りにしています」と書かれていた。
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作家を目指しています。