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お風呂、それは長い長い修行のような道のり②

※これは、「お風呂、それは長い長い修行のような道のり①」のつづきです。まだの方は、こちらからどうぞ↓

こうしてやっと、父の入浴がスタート。

服を脱いで裸になると、父は体を流し、粉末の入浴剤を風呂に投入。そして、まずはゆっくりお風呂につかる。

この時、身体が温まっていないと、いつも以上に長~く風呂につかってしまうか、さらにはそれでも温かいと感じられなくて、風呂の温度設定を「ピッ!」とあげてしまう。

私は脱衣所で、父がごみ箱に脱ぎ捨てたリハビリパンツを片づけたり、オシッコで臭う父の服の下洗いをしたりしながら耳をダンボにし、この「ピッ!」という音が聞こえようもんなら即座に風呂のドアを開け、「お父さんは血圧が高いから、温度を高くしちゃだめだよ」と言いながら、設定温度を容赦なく元に戻す。

或いは、父はジェットバスが好きなのだが、とっさに、ジェットバスのスイッチがどこにあるのかわからなくなることも多い。

そうした時は、ジェットバスのスイッチだと思って保温スイッチを切ってしまったり、キッチンに通じるインターホンのボタンを何度も押したり…とあちこちのボタンを押しまくるので、これまたすぐに風呂場のドアを開け、「ブクブクのボタンはここにあるでね^^」と言ってあげる。

身体が温まると、父はバスタブから出て、以前は、「頭→髭剃り→体」の順で洗っていたが、最近は、これもわからなくなっているようで、いきなり体を洗いだすことも多くなった。

すると、身体を洗い終われば自然な流れで風呂に浸かり、頭を洗うことを忘れて、そのまま終了。

出ようとする父に、

「まだ頭洗ってないよ!頭も洗ってきてよ‼」

などと言おうもんなら、父はすでに、風呂から出る気まんまんなので、「頭なんか洗わなくたっていいって!」と、プンプン怒ったりする。

だから、最初に身体を洗い始めたら、洗い終わったところで
「頭も洗ってね~。まだ頭洗ってないでね~^^」
と、ベストタイミングで優しく声をかける。

かと思えば、頭から順調に洗い終え、風呂に浸かって、さあ出てくるかなと思ったら、また頭や体を洗いだし... なんて時も結構ある。

私が気づいた中で一番多かった日は、頭と身体を4回洗っていた(^ ^;; それも、早く出てほしいような日に限ってこうなるのだ。

最近は、頭をお湯で濡らし、そのあとシャンプーをつけないまま、濡れた頭を手だけで一生懸命ゴシゴシしていることも多い。

最初の頃は、マッサージでもしているのかな?と思っていたのだが、そのうち、どうも、単に気づいていないだけらしいとわかってきた。

そこで、頭を濡らしてゴシゴシが始まるあたりで、そ~っとドアを開けて中を覗き、シャンプーがついていたらドアを閉めるが、

シャンプーがついていなければ、
「お父さん、石鹸そこにあるでねー。石鹸つけて頭洗ってね~」
と優しく声をかけてドアを閉め、摺りガラスごしに、父の手が石鹸に伸びるのを見届ける

ちなみに父は、だいぶ前からシャンプーを使うことを忘れてしまい、普通の固形石鹸で頭を洗っている。

シャンプーを使ってもらえるよう、いろいろ工夫してみたが、結局うまくいかなかったので、今はもう別にいいやと思っている。

今日も、身体を一番最初に洗い始めてしまった。身体を洗っている途中で、
「お父さん、まだ頭洗ってないでね~、頭も石鹸つけて洗ってね~。石鹸、ここにあるでね~」
と優しく声をかけた。

少ししてから、頭も洗えているかな?と覗きこんでみた。すると、どうやら身体を洗っている途中で頭も洗いだしてしまったのだろう。頭から身体まで石鹸のついたナイロンタオルでゴシゴシこすって、上から下まで全身泡まみれになっていた。

また新しいパターンだ...笑!!

私はお腹の中で、クククと苦笑した。

風呂場には、家族全員のナイロンタオルがかかっているが、父は今はもう、誰のタオルでもおかまいなし。

こうなっちゃった時は、こうなるんだな。私がそう認識すると、次はまた、私の予想の斜め上をいく。

風呂から出るときは、最もヒートショックをおこしやすいため(過去に数回ぶっ倒れている)、一番気を付けて様子を見ている。

そして出てきた後も、歯磨き粉を顔に塗ろうとしてしまったり、私の洗顔フォームを歯ブラシにつけたり、目の前にあるパジャマがわからくなってしまったり...と、ふと、いろいろなことがわからなくなることの多い父を毎日見守っている。

風呂に入って、身体を洗う。

認知症の父を見ていると、たったこれだけのことに、実は山ほどの行程があるのだとわかる。

そして、本来行われるはずの行動が乱れた時、最初はわけがわからず、何やってるの?!と、腹が立つ。

30分足らずの父の入浴。それは私にとって、まるで長い長い感情の修行のようだ。

そして恐らく、

私の感情の修行が終わる頃には、
父は、私を忘れるのだろう。

そして、それもまた、新たな修行の始まりなのかもしれない。


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