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明日死ぬなら刺身定食①

今日は、父を連れて総合病院へ。

先月、4度目の脳梗塞を患ったばかりだというのに、退院して間もなく、今度は、ふと、風呂上がりの父の後ろ姿におかしな膨らみをみつけた。

スーパーでよく見かける、桃やみかんが入ったドーム型のゼリーみたいな形で、直径5cm、厚さ1cmほどの膨らみなのだが、かかりつけ医に暫く様子を見るように言われたのち、結局、総合病院へとなった。

診察は、柔らかく痛みもないことから問題なしとのことで、思いのほか、あっさりと終わった。

やれやれ。よもや、今度は皮膚癌か⁈とも思っていたので、ほっと胸を撫で下ろす。

総合病院へ行くと、ちょうどお昼頃に終わることが多く、どうせなら昼食を食べてから帰宅しようかなという気分になる。けれど、父のお気に入りのラーメン屋は定休日。やっぱり今日は、このまま帰ろうかと思った時、以前から、行ってみたいと思っていた「吉志久(ヨシキュー)」という店が思い浮かんだ。松本市の卸売市場内にあって、美味しいと評判の海鮮食堂だ。

市場の前は時々車で通るものの、これまで、一般の人は入場してはいけないものとばかり思っていたし、そもそも、そんなところに行く用事もなかった。どんなところか様子がわからないが、父にとっても、ちょうどいい刺激になりそうだ。

でも、平日のランチには、ちょっぴりお高めなんだよなぁ…。

スマホで調べてみると、場内には、他にもいくつか食堂があり、そちらはリーズナブルに食事ができそうだった。

病院の駐車場で、車に乗り込んだまま、なかなか出発せずにスマホを触っている私に父が「何、やってるんだ?」と、ややイラついた調子で声をかけてきた。

まあ、いいや。

もし、仮に明日、父が5度目の脳梗塞にでもなってそのまま死んだとして、その時、今日、安い食堂の方でランチを済ませていたとしたら、きっと、なんだあんなところで安い食堂にせず、ちょっと高くても、美味しい海鮮丼でも食べさせておいてあげればよかったと後悔するだろうな。そして、別に今は全然元気だけど、突然明日死ぬか、10年生きるか、そんなことは誰にもわからない。

常日頃から、私の中を繰り返しめぐるこの妄想は、お財布には優しくないが、私の欲望には優しい。

すぐに車を走らせると、松本市公設地方卸売市場と書かれた巨大な看板の横をすぎ、早朝はたくさんのトラックでいっぱいに違いない、だだっ広い駐車場に車を停めた。

「お父さん、市場に入ったことある?」

「ない」

「今日は、ここでお昼ごはん食べるからね」

「こんなところに、ご飯食べるところがあるのか?」

そういうと、父は興味深そうに辺りを見回した。父が面白がってくれているだけで、今日の選択は合格!そう思いながら車を降りると、二人で市場の中へと入っていった。

市場内はシャッターが下りている店がほとんどで、1組のおじさんグループとすれ違った以外は人もあまり見当たらない。やたらに広い通路を歩いていくと、数件の食堂があり、お客がまばらに入っていた。

リーズナブルな方の食堂が先に見つかったが、そこを素通りすると、お目当ての店に行った。ちょうど正午を過ぎたばかりの店内は、コロナ対策でゆとりをもって座れるようになっていることもあり満席。ウェイティングボードに名前を記入して、私と父だけ、外の椅子で待つことになった。

が、初めての店で待つことが大嫌いな父は、その様子を見るなり「こんなところで食べなくても、他へ行けばいいじゃないか!」と不満そうに両手を腰にあて、仁王立ちのまま腰かけようとしない。

でた~。お決まりの”俺は並ぶのは嫌いだ”のポーズだ。父は元々、あまり食に興味がないため、その店がどんな店かなんて聞くてくることはない。仮に、ここは美味しいんだよと言ったところで、ほぼ100%「かんけぇねぇ!」と、いつもの条件反射のような返答が返ってくることはわかりきっている。

結局、父はそのまま座ろうとはせず、閉まっているシャッターの店をめぐって、通路の向こうの方までゆっくりと歩いて見てまわっていた。この手のパターンは、もう慣れっこの私は、父の不機嫌を自分の中に取り込んでしまわないよう気をそらしながら椅子に座り続けた。結局、5分ほどで入店でき、その後は、満席になることはなかったので、ちょうどタイミングが悪かったようだ。

アクリル板を挟んで父と向かい合わせに座り、私はメニューをとると、美味しそうな海鮮丼を横目に、それよりも少し安い、”生本マグロとカンパチの刺身定食”を2つ注文した。メニューには、普段のランチよりも、一回りお高めな食事が並んでいる。いつもなら、父の時間つぶしに眺めることができるように、わざとメニューを渡して眺めさせてあげるのだが、今日のは100%「高いなぁ、こんなにするのか?」と言うに決まっているため、敢えてメニューは渡さない。

間もなく出てきた刺身定食は、肉厚に切られた鮮魚が通常の2人前ほども盛られ、付け合わせの茶わん蒸しもとにかく美味。ご飯を小盛りにしたとはいえ、父の昼食としてはちょっと量が多すぎるが、たぶん、これまで海なし県の市内で食べた海鮮食堂の中ではピカイチの美味しさで、父はあっという間に完食した。

お父さん、明日、死んじゃってもいいよ。
私、後悔しないから。

ところが、その夜のこと...。

(「明日死ぬなら刺身定食②」につづく...)







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