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日本の教育はおかしいのか?
2014年 5月
新たなメンバーが加わった。
パパはヨーロッパの方。ママは日本人。
ここでもラッキーなことに「フリースクール」や「居場所」として捉えてツクルスクールに来たわけではなかった。
ツクルの学校方針に賛同して学校として選んで来てくれた。
県外、しかも片道1時間30分くらいかかるが、それでも選んで通って来てくれた。
「その価値がある」と。
そして外国の方だからこそ思う率直な意見をいろいろ聞かせてくれた。
「日本はなぜ自分をコントロールしにくい幼児期の子どもを自由にさせて、自分で考えることができるようになって、コントロールできる力がついてくるにしたがって、厳しくコントロールするのか。逆ではないのか?」
そのころは「確かに!」と思った程度だったが、道徳性の発達を学んだあとに、その言葉はより深く身に染みた。
かなりざっくりいってしまえば、幼児期は快・不快と善悪がつながっており、学童期は自分と他者の関係性が善悪につながっており、思春期以降は一体善悪とは何なのか、ということを考えていくという流れ。
そういったことを踏まえて考えると、たしかに日本はおかしいな、と。
そしてその中で、ツクルが「クラス会議」という手法を取り入れていること学童期、思春期の子どもたちには大事だったと思えた。
「なぜ日本では子どものおもちゃをこんなに宣伝するのか。大人に比べて抑制がしにくい子どもたちに、宣伝すれば欲しくなるに決まっているではないか。大人がお金のために子どもをこんなに食い物にする国なのか。」
これは直接聞いたわけではないが、そういったことを話していたそうだ。
いろんな背景があるけれど、確かに「子ども」をエサにしたほうが、大人はたくさんお金を使ってくれる。その上に成り立つ商売ってなんなんだって思った。
親の弱みに付け込んでお金を稼ぐ。もちろんそういう会社を立ち上げたときや立ち上げた人はそう思っていなかっただろう。しかし、企業になり、継続的に売り上げを立てていこうとすると、そういう想いは消え去っていくのだと思う。
もうそうなると悪事を働いているだろう人たちと「仕組み」としては変わらない気がする。
かなり極論のところはあると思うが、自分が抱いてた違和感の正体を一つ教えてくれた気がする。
やっぱり無料でやっていくべきだと強く思った。
「なぜ日本では学校教育を選べないのか。学校教育はある意味、思想を植え付けるもの。何がいいか悪いかは判断しにくいけれど、それが一つしかないのであれば、思想統制になる。自由を奪うことになる。」
これは私自身もずっと思ってはいた。ただヨーロッパでそれまで自由だったものが独裁によって奪われた歴史が背景にある人にとったら、教育の選択をさせないことは、思想統制であり、独裁という言葉を連想させるだけに、日本のおかしさを際立って感じさせていたのではないかと思った。
これは今の日本の息苦しさにつながっていくものだと思ったし、私たちがこれだけ多様性に富んだ世の中を自由に生きていくためには、学校教育の選択肢をつくるということがとても大事なんだと改めて思った。