失敗を日記に残しておくと後々笑える
学生の時は無限にあると思っていた時間が、
社会に出てみると、非常に限られているものだと痛感します。
残りの人生は「思い出作りだな~」と思っていたので、
日記を毎日付けるようになりました。
どうせ思い出作るなら楽しい方がいいし、
どうせ思い出になるなら振り返れた方がいいか、と思ったので。
コロナが流行りだし、ひとり時間が増えた影響も大きく、
せっかくだからこの際、自分自身と改めて向き合い直そう思ったのが
今回の記事の発端です。
日記を振り返ってみたら、"失敗"の捉え方がずいぶん変わっていたので
文章として残しておこうと思います。
振り返ったら笑える
仕事で失敗した時?だったと思います。
自分の不甲斐なさに相当荒ぶってたのが、文面から伺えます...笑
コレを見た時、つい吹き出して笑ってしまいました。
これまで"怒られないように"生きてきたので、
「失敗する=怒られる=恐い」ものだと思っていました。
ところが、日記にして振り返ったら、自分の中で笑えるストーリーに
"発酵"していました。
失敗の発酵
芸人さんのすべらない話が好きなんですが、
よくよく聞いたら"失敗談"や"アクシデント"が多い。
もちろん、その時の当事者としては、
そんな余裕を持つのはなかなか難しい。
僕は良いことも悪いことも、嬉しかったことも、
ストレスを抱えたことも、全部文字にする習慣にしています。
するとその日その時の気持ちをキレイに精算できるので、
次の日を新しい気持ちで迎えられて、とてもメンタルに良い。
むしろしんどい経験ほど、文字にしておいた方が
後々面白い話になってることが多いです。
僕はコレを"失敗の発酵"と勝手に名付けました。
お味噌、納豆、ブルーチーズなど、放置してたら身体に良い菌が繁殖してる発酵の感じに似ているなと思ったので。
しないことリスト
僕は人一倍話すことが苦手なので、
確かこの時もコミュニケーションによるミス。
それ以来、人と話す時は"しないことリスト"を
確認するようにしています。
ToDoの反対版。
例えば「話を途中で遮らない」「腕を組まない」
「脚を組まない」「相手を否定しない」などなど。
という言葉が好きで
上手くいく時は予測できないが
上手くいかない時は明確な理由がある。
まずはコミュニケーションの土俵に立つことからと思い、
"こうすると上手くいかない"というものを考えられるだけ洗い出し、
その中で意識できることを「しないことリスト」に
落とし込むようにしました。
それでも失敗する時はもちろんありますが、
意識しているかしていないかで、得られるものの差は遥かに大きい。
挑戦の意味を変える
それ以来"挑戦"というもののハードルが随分と
下がったように感じます。
というか挑戦という言葉自体が「なんか威圧感があるな...」と思ったので
「挑戦」→「コッチへ行ってみる」
という意味に解釈を変えてみたら、なんとなく馴染みがいい。
動いてみて上手くいけばラッキー。
上手くいかなければそこから何か学べる。
最悪笑い話にしてしまえばいい。
勝つか負けるかではなく、
"勝つか笑うか"
だからきっと、面白い人や魅力的な人は、
たくさん失敗してきて、たくさんそこから学んだ人。
"経験という材料で出来た"
"失敗というノミ"で
"自分"を掘っていく。
「人生ってもしかしてそういうコト?!」
と、ひとりの時間で物思いにふけって感じたことでした。
次はどっちに行こう?
その道の先にこのnoteを読んでくれた方がいらっしゃれば
とても嬉しい。
それでは