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ひかれた猫の呪いとガガ
「……あ、ネコがひかれちゃってる……」
ピカピカの黒いランドセルを、「交通安全」とプリントされた鮮やかな黄色のランドセルカバーに隠し、元気にそれを揺らしていた私の足が止まった。このとき私はまだ「ぼく」で、小1の秋だった。通学路で黒猫がひかれて死んでいた。
「お前、親指隠したか?……まさか、親指も隠さないで黒猫の死体を見たのか!?」
突然、一緒に登校していた小4の先輩が声を荒げた。ぼくは驚く。
「な、なにっ?見ちゃった」
「あー……、お前、あと4年で死ぬよ」神妙な表情でそう言った。
「えっ!?」ぼくはとっさに親指を隠した。
「ハハッ、もう遅いよ!――あーあ、可哀そっ」
「……そんなぁ……」
ぼくは急に目の前が暗くなった。
さっきまで清々しく歩いていたのに、それ以降、学校までの道のりをどんよりと、トボトボ歩いた。
こうしてぼくは、呪いにかかった。
実際、それは私にとって呪いだった。それからというもの、何か楽しいことがあるたび、私に囁きかける声があった。
「――でも、あと少しで死んじゃうんだよ」
友達と遊ぶ約束をして、楽しい気分で下校しているとき、「――でも、――」。友達と遊んでいる最中にも、「――あと少しで――」。テストでいい点を取って喜んでいると、「――死んじゃうんだよ」。
冷静に振り返ってみれば、もともとその先輩はいじめっ子気質だったし、迷信は世の中に多く溢れている。いちいち取り合っていたって仕方がない。しかし、当時の私は幼く、純粋過ぎた。その迷信をすっかり本当のことのように受け入れてしまった。それでも、少しだけ言い訳をさせていただくなら、人というのは、「起こるかもしれないし、起こらないかもしれない」という状況にあたると、悪い方に捉えがちなものなのだ。「恐怖の大王」などという、ノストラダムスの大予言に多くの大人たちも気をもんだように。
そして、私はその迷信を数年間抱え込むことになる。
自分が死んでしまうかも、ということ。それは一番の理解者である母にも言い出せなかった。自分が先に旅立っていくことが申し訳なかった。深く信じたせいで、重く抱え込んでしまっていた。
それでも、あるとき、「ねぇ、お母さん。呪いってあるのかな?」とそれとなく聞いてみたことがある。
それで返ってきた答えは次の通り。
「……どうなんだろうね。でも、お母さん怖い話を知ってるんだ。私の友達の話なんだけどね、何人かで海に行って、崖から海水に飛び込んで遊んでたんだって。写真を撮りながら。……そうしたら、ある1人の男の子がなかなか上がって来ないの。最初はふざけてると思って『何やってんだよー!」って笑ってたんだけど、本当に海面から顔を出さない。『これはおかしいぞ』って、結局、捜索願まで出すことになるんだけど……。ようやく発見されたその子は、死んじゃってた。そして後日、そのときのフィルムを写真屋さんで現像するの。でも受け取った写真には、その子が飛び込むものだけない。写真屋さんを変えてみても、やっぱりその写真だけがない。さすがにヘンだと思って、理由を説明したらしいの、『実はその写真の子が亡くなってしまって、最後の写真だからどうしても欲しいんです』って。そうしたら、写真屋の人が『わかりました。でも、うちで現像したって絶対に言わないで下さい』って。……出来上がった写真を見てみたら、その子と、崖から伸びるたくさんの手が映ってた……。『写真屋さんが勝手に人の写真を選ぶわけないじゃん』って言う人がいるけど、本当なんだって。今はどうなのか、わからないけど。友達の話だから私も本当にあったと思うんだ」
私は肝を冷やして震えあがった。
兎にも角にも、それでも数年経った頃には、私も猫の呪いに関しては疑わしく思い始めていた。何しろ、ひかれた猫の話はまれに耳に挟んだが、親指を隠したという話は聞こえてこなかった。黒猫ではなかったのかもしれないが、それにしても聞いたことがなかった。
ところが、「でも、あと少しで死んじゃうんだよ」という言葉は形を変え、「でも、いつかは死んじゃうんだよ」となっていた。より強力なものに取って代わってしまったのだ。
この囁きは数年と言わず私を苦しめた。中学では進路を考えるとき、私を陰鬱にした。高校ではマンガが好きで文字だけの本は嫌いだった私が、哲学書を漁るほどに混乱させた。
哲学書は確かに興味深くはあった。色々なものの考え方があることを、並べて眺めてみることができた。しかし、主義が変われば主張が変わり、考え方同士のいざこざや戦争があって、こと「なぜ、いずれ死んでしまうのに生があるのか?」という問題解決においては、かえって混沌を深めた。
そんな燻った日々。突如、1人の女性――レディが世界を席巻した。
まさに自由の国――アメリカが生んだ破天荒な奇抜さ。ときには、文字通りの「肉のドレス」さえ身に纏って聴衆の前に立ちはだかった。
――Lady Gaga(レディ・ガガ)――
最初は、「ヤバイ人が出て来たな……」としか思わなかった。それでもやっぱり無視はできなくて、映像が流れるとついつい目が惹きつけられた。
そして、いつしか、自分からガガを追うようになっていた。
1度聞いただけでも、彼女のメロディーたちは鮮やかに耳に残った。私は何度も何度も聞き直した。頭と心に刻み込まれるほどに。
それ以来、私は変わった。
呪いは囁く、「――でも、いつかは――」。
しかし、同時に私の内側からズンズン湧き上がってくる、鮮烈な胸打つ8ビート。そして訴えかける、歌。
私は私。
あなたはあなたよ。
私は私らしく生きるの、いいかしら?
この「私」として生まれてきたのだから。
他人の生き方なんてできないじゃない?
理屈じゃなく、私はこう生まれたんだもの。
正しいに決まっているでしょ?
この道に、この私として生まれてきたの。
ガガの歌声と生き様は、いつでもそう励ましてくれる。
もちろん、ガガの様々な発言には頷くこともあり、ときには首を傾げることもある。それは彼女も言うように「私は私、あなたはあなた」。
何はともあれ、私たちはそれぞれの道に生まれてきた。望む、望まないとに関わらず。それも、なかなか楽しいことばかりではない。「なんで?」が常に付きまとう。
そんなとき、私の心を駆け巡るガガの歌声。私にできることは、立ち止まることか、前と信じる方へ歩むことだけ。後戻りはできない。それなら、顔を上げて、歩いた方がいい。楽な足場ならそれを口ずさみ。辛いときは心に響かせながら、口元はガガのように「あら?こんなもの?」と不敵に微笑んでいたい。「なんで、なんで」とあたりをキョロキョロするのではなく。「なんにせよ、これがまさに私の道」と胸を張っていたい。たとえ、道なき道であったとしても、死ぬまでそうする。これは人生の答えじゃない、覚悟の問題。
魯迅の小説『故郷』の一節ではないが、道は無くても、歩けば道となる。人生という道は、あるいは後ろから付いて来るのかもしれない。
最後に、私の人生に深みを与えてくれた、意地悪な先輩、そして何よりレディ・ガガ。本当に感謝しています。