バランスと嗜好品
【バランス】
わたしは10年くらいヴィーガンであるが、全ての人にヴィーガンになれ、なんてとても言えない。
わたしだって、体にも地球にも良くないとわかっていてやめられない嗜好品はいくつもある。
動物性のものがその中に、たまたま入っていないだけだ。
「嗜好品」というものを甘くみてはいけない。
人間は機械ではない。
機械ならガソリンとか電氣とか、物理的に必要なものを入れて適度にメンテナンスしてれば、モノとしての寿命が来るまでは動き続ける。
生命はそうはいかない。
物理的なものだけでは維持されない。
そこには「バランス」が必要なのだ。
わたしは何故生きてこれたんだろう?
何故こうして生きていられてるんだろう?
さんざん危ないことして来たのに?
生きられるわけないような橋も渡って来たのに?
なんで?なんでこうして生きられてるの?
と考えた時に、結論は、
ギリギリであっても、奇跡的になんとかバランスを保って来たからなのだ。
生きている状態というのは、奇跡的にバランスを保っている状態なのだ。
人間、だけではない、動物も、植物も、生命あるものはみんなそうかもしれないが、
生命あるものは、余裕でバランスを保てている時もあれば、ギリギリでなんとかバランスを保っている時もある。
バランスが崩れ過ぎた時、それは死を意味する。
バランスは心と体の両方でとっている。体だけでとっているのでもなく、心だけでとっているのでもない。
しかし生きていれば、誰にでも、バランスが崩れるようなものが毎日毎日、襲ってくるものだ。
バランスを取り戻せるような恩恵もまた、毎日雨あられのように降って来るのも事実だが、バランスが崩れて波動が下がると、それを受けとることも難しくなるからやっかいだ。
つまり地球は生命にとって過酷な場所なのだ。
そこで「嗜好品」というものは、実は心のバランスの為にけっこう大活躍していると、わたしは思う。
いろんな嗜好品があるが、野生動物でさえ、独自の嗜好品を自然界の中で楽しんでいたりする。
植物にも嗜好品はあるのだろうか?
そのへんはわからないが。。。
体に害のある嗜好品もあれば、無害のものもある。でも大抵、人間の嗜好品というのは、自分自身や他者や自然に対して、いくらかの害があるように思う。
しかし、そのおかげでなんとかバランスを保てているとすれば、それはその人が生きるために必要ということだ。
それは杖のようなものかもしれない。もし歩いている状態が生きている状態、転んだ状態を死とすれば、杖を「それは害がありますよ」「自然を破壊してますよ」「動物を苦しめてますよ」と取り上げるのは、危険で残酷なことだと思う。
ある嗜好品を、どうしてもやめたい場合でも、少しずつ他の杖に持ち替えるとか、少しずつ杖なしで歩く練習するとか、何かしらのプロセスが必要なものだと思う。
個々人のバランスと地球ぜんたいのバランスはシンクロしていると、わたしは考えている。
世界はいま、バランスを取り戻す、または新しいバランスを作り出すために激動していると、考えている。
そして今、その大波が来ている。
とにかくバランスを大切に、生き延びて、新しい世界の新しいバランスに適応していくことだ。
これからやって来る新しいバランスの中で、動物を苦しめたり、弱者から奪ったり、健康や自然を壊したりするような嗜好品は、だんだんに減っていき、やがては消滅していく、他の害のないものに切り替わっていくのではないかと、わたしは思っている。
というか、そういう世界を、バランスを、創造しなければ、だって、
「自分が自分の世界の創造主なんだから」。
写真/佐藤ユカ
2024 野良の藝術にて