昭和ガラスの向こう側
椛だったか、桜だったか。
何か模様の入ったガラスの引き戸だった。
その昭和レトロガラスと呼ばれるガラスは、今はとても貴重なものらしい。
私にとって、トラウマのようなそのガラスの存在は、いつまでも記憶の一番奥の引き出しに眠っている。
両親が離婚して、母と弟と3人で暮らしていた頃。六畳二間の狭い借家にそれはあった。
ある暑い夏の日。
朝早くに目が覚めて、いつも隣に寝ているはずの母がいないことに気づいた。
私はなんだか不安になって、母を探しに隣の居間へ向かった。
台所を通って居間へと向かう。汗ばんだ裸足がペタペタと音を立てた。
居間のガラス戸にそっと手をかける。その時ふと、開けてはいけないような嫌な予感みたいなものを感じたが、そのままゆっくりとガラス戸を開けた。
思わず、ハッと息をのんだ。
口に手を当てたかもしれない。
雨戸がしまったままの部屋は薄暗く、でもはっきりとその姿は見えた。
大人がすやすやと眠っている姿を、私はそのとき初めて見た。
その部屋の空気はしっとりと重く、吐き気がするほど生々しい何かに包まれていた。
そっとそっと震える手でガラス戸を閉める。
カタカタと音が鳴ってしまわないように。
隣の部屋に戻った私は、弟が眠っていることを何度も確認して安堵する。
あの光景は決して弟には見せてはいけないような気がしたから。
自分の布団に潜り、ぎゅっと目を閉じる。
お願いだから、早く目を覚まして、この家から出ていって。
はやく、はやく、はやく。
私の喉はカラカラだった。
お水を飲みにいきたいけど、布団から出られない。絶対に出ていってはいけない。
母があのガラス戸を開けて、いつも通りの母が、おはようと言って、私達の部屋に来るまでは。
はやく、はやく、はやく。
でていけ、でていけ、でていけ。
つるりとした母の白い肩を抱くあの男の手を思い出すたびに、私の背中に何かが走るような気がした。悪寒なのか、鳥肌なのか、それとも。
あの時、言葉にできなかった言葉が今でも私の記憶の淵をうろうろと彷徨っている。
お母さんをかえして。
.
.
この記憶が原因かどうかはわからない。
大人になった私はいまだに、そういうシーンが苦手だ。
うっすらとだが、嫌悪感みたいなものを抱いてしまう。
まだ9歳だった私には、深すぎる傷となったことは確かだった。
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