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引きこもりは現代の仙人。私がnoteを始めるまでの心と頭と妄想と。

記念すべき初投稿。

なぜ私が『note』を始めることになったのか。

それは深夜1時から4時までの
たった3時間の出来事。

いったい私に何が起こったのか???


それは友達からのメールで始まった。

友人はロサンゼルスでコーチングの仕事をしているが、最近熱心に勉強しているのがヒューマンデザイン。あちらでは流行っているらしい。

ジャンルでいうと占いになるのか、占星術、易経、カバラ、チャクラなどを融合して作られた叡智の結晶のようなツールらしく、かなり詳細に自分の特性を知ることが出来るという。

友人からオンラインで直接私のヒューマンデザインを読ませて欲しいと頼まれ、もちろん快諾。日本の深夜1時、ロサンゼルスの朝9時、リーディングが始まった。

占いの類いから離れて久しい私は「あなたはこのタイプです」的な説明を聞くのも楽しく、出てくるキーワードも新鮮で、ヒューマンデザインと昔話を行ったり来たりしながら、夜中の気楽なおしゃべりを楽しんでいた。

ところが突然友人がなんの脈絡もなくこう聞いてきた。
    
「これからどうなりたい?」

いきなり矢印が私に向いてパニックになる。

『どうなりたいか』なんて一番聞いてほしくない質問だ。ずっと自問自答してきたが答えがみつからず封印してきた呪文。

深夜2時、鏡に映る自分とのご対面。勘弁してほしい。クラクラする。だけど逃げ場がない。

しかし真夜中のガールズトークで、かなりテンションが上がっていた私は陽気に答えた。

「観音菩薩になるぅ」
「仙人みたいになりたーい」

そこまでならまだ楽しい『占いごっこ』だった。けれど友人は間髪入れずこう聞いてきた。

「そのために何する?」

「やる事を3つ決めよう!」

「……」

私は一瞬裏切られたような、騙されたような気持ちになった。

マジで!どんな展開?
聞いてないよ!コーチングするなんて。 
ズルいよ!頼んでないし。

いきなり私にスポットライトが当たり、急にマイクを向けられたような緊張感と、友達からの誘いでいそいそと出かけてみたら勧誘だったみたいな失望感とで、心は重くなり体は一瞬にして固まった。

頭は真っ白、顔は真っ青、心は真っ黒。

なのになぜか、この時の私は思った。

「この提案に乗っかってみよう」

なぜなら私は 『hermit 』だったから。

ヒューマンデザインで私は、

「hermit、世捨て人、模範的な世捨て人」

とでてきた。

友人は時間をかけて私の持って生まれた特性や人生の課題などを説明してくれたけれど、この「世捨て人」の説明を聞いた瞬間、私の目がピカッと開いた。

「世捨て人は一人でいる必要性を感じ隠遁生活を送ります 」

一人でいる必要性?隠遁生活?

まさに私。

ということは、怠惰な生活も、ぐるぐるしている思考も、動きだせなかった事も全て、私が怠け者だからではなく、一人になって考える時間が「必要」だったから?

思ってもみなかった方向からの衝撃的な肯定。

私の中で何かが弾けた。

謎が解けたような爽快感が広がり、いきなり心の扉がパッカーンと開いた。

その途端、不思議なほど素直に『今の私も過去の私も』すーっと受け入れることが出来た。

そうか、私は 「hermit、世捨て人」なのか。

言われてみればしっくりくる。

そう考えると、むしろ忙しく働いていた自分の方が無理をしていたのだと思えてきて、なんだかおかしい。

あっちが私だと思っていたけど、そっちじゃなくこっちか。

世捨て人か。ハハハ。

結局私はまるっきり自分の事を分かっていなかったのね。

昔から「それって常識でしょ」みたいなことを言う人が苦手だった。他人の評価を気にして生きている人を見ると息苦しくなった。

私は違う、もっと自由な人。

そう思っていた。ずっと。

でもそれは違った。

「常識モンスター」と「思い込みお化け」にガッチリ羽交い締めにされていたのは私か。

なるほど、世捨て人か、隠遁者ね。

自然と口元が緩む。

そりゃ社会から距離を置きたくなるわけだ。

そっか私は私の心に従っていただけなんだ。

そう考えたら体から力が抜けた。

なんという安堵感と解放感。

そっか、これでいいのか。 
そっか、これでいいのだ。

自分を受け入れた途端、お化けとモンスターが消えていく。

体が軽くなり頭がクリアになる。

気力が湧いて来るのがわかった。

ちなみに「hermit」の他の訳は仙人。世捨て人と仙人じゃイメージが雲泥の差だけれど隠遁者という意味では確かに同じか。

そしてなんとアメリカでは引きこもりのことも「hermit」と言うらしい。

なるほど。
隠遁者という意味ではこちらも一緒だ。 

そこで私の妄想が始まる。

山の中と家の中の違いはあれど

「引きこもりは現代の仙人なのかも」

想像してみると妙にそんな気がして誰かに言ってみたくなる。

中から観るか、外から観るか。 

積極的に引き受けた人が、仙人。

消極的に引き受けてる人が、引きこもり。

わからないまま引き受けた人が、世捨て人。

みんな「1人でいる必要性」を感じ、実行している修行僧。


私の中のワタシが提案する。

「これからは尊敬の意味を込め、引きこもりを『仙人』と呼んだらどうだろう?」

「いいね。でも『仙人』って昭和っぽくない?」

「じゃあ、そのまま 『hermit 』はどお?」

「わたし今『ハーミット』だから、みたいな」

「いいね。賛成」


【ハーミット】
①仙人、引きこもり、世捨て人、隠遁者
②クールで知的で内省的な人
③内省してる様

次の瞬間、流行語大賞の映像が浮かんだ。

私の妄想はとりとめがなく果てしない。


話は戻るが、自分を受け入れすっかり身軽になった私は、友人の『やることを3つ決めよう』という提案に対してかなり積極的なっていた。

「楽しいことになりそう」

そんな予感さえ芽生えていた。

それに、とにかく仙骨がビリビリと反応していた。

この仙骨と言うのもヒューマンデザインでは重要なキーワードで、大事な決断は「仙骨で決めろ、感じろ」と言っている。とくに私は、仙骨の反応が大事らしい。

その仙骨が「やれ」とGOサインを送ってきていた。

2時間前までそんな言葉の存在すら忘れていたのに、今じゃ「仙骨」と普通に言ってる私。 

「かなりキテるかもしれない」

と心の中でツッコミを入れる。 

でも仙骨には逆らえない。

「やることを3つ」と言い出した友人がすっかりコーチングの先生の顔になって画面越しに私を見ていた。

じっと待っている。じっと。

私は真剣に考える。

考えるが、

「観音菩薩になる」
「仙人みたいになりたい」

と言ってみたものの、

「なりたいと言って、なれるものなのか?」

と冷静に思う自分がいて、少しホッとする。

そのためにやる事を3つね。
夜中の3時過ぎ、かなりの難題だ。

私はずっと放置していたアイデアを思い出し、これ名案とばかりに言った。

「毎日気づきを書く」
「写経を書く」

すると友人が力強く言ってきた。

「あなたはhermitであり表現者、これからは今まで経験したことや考えたことを周りの人たちに伝えてゆく使命がある」

『表現者と言われても……』と、途方に暮れ、私は長考に沈んだ。

すると友人が突然言い放った。

「3つ目は何かSNSで発表することにしよう」

「・・・」

これには参った。

とにかく今までそこだけは用心深く、避けて避けて触れないように生きてきたのだ。色々めんどくさそうだし、なんか怖い。

でも一番怖いのは自分。
そんな事を始めたらスマホを手放せない人になるに決まっている。

「いやいやさすがにそれは無理」とすぐに断ることも出来た。

でも、しなかった。

なぜなら『hermit 』で自分を受け入れた私の心には、その瞬間からなぜかバカボンのパパが出てきて繰り返し言っていた。

「これでいいのだ」

バカボンのパパのこの言葉は最強で、言われる度にあんなに高く私の前に立ちふさがっていた壁が、グングン小さく、低くなっていき、気づけば3センチくらいの棒になって私の足元に転がっていた。

ヒョイっとまたぐ。

「やってみたい」

びっくりするくらい素直にそう思った。

「ハロー、私のやる気」

久しぶりの再会がうれしくて私は『やる気』としっかりハグをした。

「まだいてくれたんだ、ありがとう」

長いこと1ミリも持ち上がらなかった重い腰が風船みたいに持ち上がる。

その途端、心の奥の方でずっとずっと隠れていた気持ちが破顔で出てきた。


「書きたい」


「hermit」の私はとても素直で無邪気で好奇心旺盛だ。

まるでバカボンのパパみたいに。

そっか、今の私は、

「hermit」で
「バカボンのパパ」なのか。

朝の4時、私は新しい『私』になった。


そして今『私』はこれを書いている。

初めの一歩。
始まりの一歩。

バカボンのパパが右手で指差し、私を見ながら言ってくれた。


「これでいいのだ」



おわり


noteを始めることができてとてもうれしいです。これから由無し事を書いていきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いします。

月観音風

           
          

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