目指せ仙人。お金をかけずに生きる妄想と食にまつわるその他いろいろ。
とにかく世知辛い世の中である。
ニュースは相変わらず人を不安にさせるものばかり。「見ない聞かない」ようにしているけれどそれでも入ってきてしまう。波状攻撃。
特にお金。マネー。マネ活。
不安にさせるだけさせて、投資、投資って、何かあると思われてもしかたないくらいあおってくるあの感じ。
なんだかなぁ。
そこで政府の思惑とは反対にお金とは無縁に生きられないものかと妄想が始まる。
お金がかかることはいろいろあるが、すぐに浮かぶのは「衣食住」だ。
「衣」はとりあえず今持っている服だけでやっていけることにしよう。気にしなければ、こだわらなければ、いけるはず。
よし、クリア。
次は「住」。
これは立って半畳寝て一畳でどうだろう?とはいえ家賃はかかるか。
フフフ、でもこれにはとっておきの秘策があるのだ。なんたって私は、家が余っていることを知っている。いとこが家の貰い手を探している。田舎の家を残されても売れない。潰すにはお金がかかる。なかなか悩ましい問題で頭を抱えている。岩手の友達の実家も、鹿児島の友達の家も同じことになっている。
「タダ」でいいから住んで欲しいと言っている。
これはもうクリアで良さそう。
そうは言っても田舎で暮らすことはそんなに「簡単」ではないということも知っている。古い大きな家や庭を維持するには知恵と経験とマンパワーが必要。私一人じゃ無理。そうだ!シェアハウスにしたらどうだろう。電気ガス水道代も抑えられるし、人さえいればなんとかなる気がする。
まあ、これもクリアにしよう。
残りは「食」だ。これはかなり深刻。
だって食べないと死んじゃうんだから。
今や食品は値上げの嵐。
気楽に買えるものがない。
洋服は昔に比べたら安価で手に入れることが出来るようになったけれど、その分食べ物は、野菜も肉も魚も、お菓子もパンも果物も、高い高い。
「なんだかなあ」とため息をつきながら、もやもやもやと私の頭に浮かんできたのが仙人だ。
仙人は霞を食べるという。
あの童謡「さくらさくら」の、
『かすみか~くもか~』の霞。
これだ!と閃いた。
仙人になったらいけるんじゃないか。
だって霞は「タダ」だもん。
どうかしているなんて思わないでほしい。これはとんでもない話ではないのだ。
「不食の人、プラーナで生きる、サン・イーター、ブレサリアン」
彼らをご存知だろうか?
私はかなり昔「何十年も食べないで生きている」というロシア人の女性をテレビで見たことがある。口にするのははちみつ入りの白湯だけで、それもごくたまに飲むだけだと言う。
「嘘でしょ!」
と思いながら食い入るようにテレビを見たことを覚えている。宇宙人を見たくらいの衝撃だった。
その当時、その話を友達にしても誰も信じてくれなかった。
全員が「絶対食べてるって」と笑って言った。
しかし今、私は知っている。
「食べなくても生きてる人たち」が本当にいるということを。
それも数名とかいうレベルではなく「食べないという選択」をしてる人たちが世界中にはおよそ10万人くらい存在するということを。
初めてこの数字を見た時、頭がバグった。
「人間って・・・」
摩訶不思議。
しかし、
「食べなくても死なない」
「病気にならない」
となると、
今まで散々焚きつけられてきた、やれたんぱく質だの、ビタミンだの、カルシウムだの、オーガニックだの、マクロビだの、といった「健康と美のため」に溢れている情報や「食の常識」は何だったの?ということになる。
私は昔「無添加」「自然食品」「オーガニック」「マクロビ」などの世界に足を踏み入れたことがあった。
もともと医食同源に興味があった。
小学生の時の研究課題で「梅干し」を取り上げたくらいだし、母親もよく野菜の効能とか教えてくれていたので自然な流れだったと思う。
その頃ちょうど女性誌もこぞってもてはやしていたし、情報もいっぱい飛び交っていた。
今思えば笑えるが、その時はけっこうはまっていった。まさに沼。
はまればはまるほど、だんだん視野が狭くなり、食べられるものが、使えるものが、なくなっていく。
やってみて分かったのは、とにかく「生きづらく」なるということだ。
まずコンビニで買える物がない。
友達との外食を心の底から楽しめない。
食べながら「この鳥はブロイラーだな」とか「この野菜は農薬まみれだな」とか「添加物てんこ盛りだな」とか頭の中が休まる時がない。
いつも批判材料を探して自分で勝手に怯えてる。
今思えば本当に笑える。
一時期かなりはまっていた私だったがある時目が覚めて、
「なんでもほどほどだよね」
と気づけたのは、たまたま出会った人が「それで離婚しました」と言ったから。
話によると、奥さんがある時からそっちにはまりだし、最初は無農薬野菜とか無添加せっけんとかを買い出して、そういうものかと思って見ていたらだんだんとエスカレートしていき、畑を借りて野菜を作り出したまでは良かったが、
「会社を辞めて養蜂場を始める」
と言い出し家を出てしまい、お互いに気持ちはあったけれども、生活が成り立たなくなり離婚したという。
突き詰めていくと、養蜂場に行き着くらしいとは聞いていたが‥‥‥。
聞いた時は驚いたというより奥さんの気持ちが分かる自分がいて、ヤバいな、他人事ではないなと思った。
そこで我に返った。
とにかく「何でもほどほど」だなと。
人はピンポイントでそこばかり見ることは得意で、はまりやすい。逆に俯瞰してみること、特にリズーム、ズームの逆をしていくことは苦手だ。
どこまでいっても複雑にからみあっている全体を理解することはできない。
私達はこの世のほとんど何も分かっていない。
でもだからといって、分からないものを分からないままにしておくのも苦手。なにか答えを知りたい。
分かったふうな安心感が大好き。
分かりやすいのはもっと大好き。
だから情報に踊らされちゃうんだろうなって、私の事だけど。
とにかくその夫婦の話を聞いて以来、少しずつマクロビ的なものから距離を置くようになった。
気にならなくはないけれど、気にしなくなった。
不安に苛まれるより、なんでも感謝して美味しく食べられるほうが体にも心にも断然いい。
大切なことは何を食べるかよりも、食べ方の方だなと思うようになった。なんだって食べ過ぎれば毒になるわけだし、体には浄化作用もある。
何ごとも「ほどほど」「いい塩梅」が大切。
そういえばかなりそっちに傾倒していた時、私はとにかくうまみ調味料ヘイターだった。ものすごく神経質になっていて、田舎でおばあちゃんが漬物にかけたり、おばちゃんがお味噌汁に入れているのを見て眉をひそめていた。かわいくない。
それよりまず「作ってくれたことに感謝しなさい」と今なら言いたい。
8年前にインドネシアの地元の人の家に遊びに行ったことがある。観光客も来ないのどかな島でバリ島の喧噪が嘘のように静かな田舎町。
トイレも水がめがあるだけでトイレットペーパーらしきものは一切なし。初めてのことでどうしたものかと考えたが、選択は一つしかない。とにかく水を柄杓ですくってかける。
私は思い切って大胆にやってみた。
下半身がびしょびしょになって、着ていたスカートも足もびしょびしょになった。それは不安になるレベルで、私はトイレからなかなか出られなかった。しばらく中にいたが妙案も浮かばず、あきらめて大量のお漏らし状態で外に出た。
案内してくれた人に「これでいいのか、それともやり方があるのか」と聞いたら「それでいい」と言われた。
「すぐに乾くから」と。
なるほど、所変わればだ。
夜になりインドネシアの家庭料理を、大地みたいな温かさと笑顔が可愛いお母さんが作ってくれた。手伝いたいと言うと作り方を見せてくれた。インドネシアの有名なサンバルを作ってくれる。小さくてコロンとしたすり鉢でスパイスやハーブをつぶす。香りが立って香辛料が目にささる。本場のエスニックにワクワクする。
そこに大量のマサコ。
次に大きな中華鍋で地元でとれた魚を入れた野菜炒めを作ってくれる。ニンニクのいい香り、おなかが空いてくる。
そこにお玉いっぱいのマサコ。
マサコは日本の米袋くらい大きな袋に入っていた。私はマサコの正体を知らなかったのだけれど、なんとなく予想はついた。
後で確認すると、マサコは日本の味の素から出ている現地のうまみ調味料だった。とにかく驚いたのはその使う量だ。日本の3振りとかそういう「ちまちま」したレベルではないのだ。
お玉、それも大きなお玉一杯。
ドバッと。
ところ変わればである。
あのお玉いっぱいのマサコを見た瞬間、私は今まで何にビクビクしてたのかと自分を笑った。お母さんのごはんはどれも美味しく全部あっという間に食べた。
インドネシアと言われて一番に思い出すのは、寺院でも棚田でもなくお母さんの美味しいサンバルと、あの大量のマサコだ。
その時の滞在で面白いなと思ったことがもう一つあった。
それが家族の食事の取り方だ。
それぞれがそれぞれの好きな時に食べるというスタイル。子供も大人も自由。どうやらインドネシアでは普通らしい。何ともおおらかだ。
「家族団らんで食べる」「会話をしながら食べる」のことが、体にも心にも良いと思い込んでいた私には衝撃的だった。日本では孤食問題が叫ばれていた時だったからなおさらだ。
私は孤食になんの不満もなく快適とさえ感じていたけれど、頭は誰かが言った言葉や昔見ていたホームドラマの固定概念に固められ、どこかで「後ろめたさ」を感じていた。
部屋の奥で大きな目をキラキラさせながら子供が幸せそうに、でもちょっと恥ずかしそうに一人もくもくとごはんを食べている姿を見て、結局一人とか団らんとかではなく問題があるとしたらそのまわりにある背景の方なんだろうなと、インドネシアの仲の良い家族を見て思った。
まあ、所変わればではあるが。
食にまつわる話は尽きないが、話は戻って仙人。
霞である。不食の人達である。
「衣食」をクリアした私の目指す所。
もし私がこの「不食の人」になれたら、かなり仙人に近づくのではないか。
もし食費がかからなかったら、かなり「生きるのが楽」になるのではないだろうか。
だって「死なない」と言うのは大きい。
小学校からの帰り道、突然私は驚愕する事実に気づいてしまった。
「この世は楽園じゃない」
お金がないと死んでしまう世界に生きているんだと分かった瞬間、私に空が落ちてきた。
何十年たった今でも、あの時の衝撃を鮮明に思い出すことができる。
突然まわりの色がなくなって、世界から音が消え、時が止まった。
世界には私ひとり。
あとは足元の石だけ。
餓死も知っていたし、働くということも知っていたし、お給料ということも知っていたはずなのに現実としてつながっていなかった。
お金がないと食べていけない。
食べないと死んでしまう。
この二つはそれぞれ独立していて、私の中で交わることがなかった。
それにその時まで「働く」ということはもっと楽しい、夢の延長線上にあるものだと思ってたのに。
死なないために、食べていくために、働かなければならないなんて。
『人間失格』を初めて読んだ時、この時の気持ちを思い出し、葉ちゃんと自分が重なった。
どんだけお花畑で生きていたのかと思うが、子供とはそういうものだろう。
知っているようで知らない、教えてもらっているようで教えてもらっていない。なんだかカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』みたいだな。
この世の姿を知ってから、大人の階段を登り始めたのだろうか。
お小遣いを貯めだしたのも、喫茶店といって家に遊びに来た友達に手作りゼリーを出してお金を取ったのも、この頃だったと思う。後で問題になり母がお金を返していたが、私はなんとも釈然としなくてずっとぶつぶつ文句を言っていたら、母が私にお金をくれたことを思い出す。
話がまたまた飛んでしまったが、
とにかく生きると言うのは食べなければならないし、食べると言うことはなんともお金がかかるのだ。
そこで、仙人。
もし私が「不食の人」になれたら、食もクリア。これで「衣食住」全てクリア。めでたしめでたし、になるはず。
そう思ってはみたものの、
「暑いときのガリガリ君はおいしいよなー」とか
「夕食の時のビールはやめられないよなー」とか
「一年に一回くらいは鰻重食べたいよなー」とか
考え始めると、
やっぱり食べることは、
「何物にも代えがたい喜びだよなー」
と思って妄想終了。
はあ、本当に私ってとりとめがない。