本の選び方について。
こちら、生配信で聞かれたテーマです。本を買うとき、何が決め手になるか?という質問。
まず僕は、読みたい本があってそれを買うから、何もないところから探すということはほとんどありません。本屋さんにいきなり行って、そこで適当に買え、みたいなことを言っていますが、実際にそういうことをしたことはほとんど無い。
それはなぜかと言うと、元々僕は、小説などの創作にあまり興味が無くて、本に求めている物が明確だからです。
例えば、子供の頃に図書館で読み耽ったのは、科学に関する本や雑誌(数学や物理なども含む)、人物の伝記などです。特に情報工学や電子工学などの知識を最も必要としていました。
だから、創作に触れるという発想が無かった。絵本とか小説などの物語というか、そういう本があるということさえ知りませんでした。
noteなどでも話してきましたが、それ以降、僕は創作に出会います。始まりは、ミステリ小説。
この出会いを思い出してみると、きっかけは偶然です。そういう意味では、求められているテーマに沿っているかも知れません。
まず、僕が初めに借りたミステリ小説は、クリスティの「そして誰もいなくなった」、クイーンの「Xの悲劇」でした。これらはもちろん、題名がかっこよかったからです。
つまり、ミステリ小説と知らずに借りたということ。ここが、やはり行動の素晴らしさと言いますか、自分の感覚だけで前情報は一切ありません。偶然ですね。
この辺りは話したことがありますが、結果的に、一体何を伝えたい物語なのか、ただ人が死んでいくだけで、言ってしまえば怖いだけです。「え、何も起きずに読み終わるの?」というくらいになって「読者への挑戦」の章が出てきて、「あ、こういう文化なのね」と知ったわけですね。だからこそ、とても面白くて、完全にハマりました。人が死ぬこと自体も謎でしたが、どのようにして死んだか、誰が殺したかという謎を解く、そのトリックやどこに目を付ければ良いか、などに発想がある。「これは発想の本なんだ」と知った時、こんなに面白い物があるなら読んだほうが良い、と考えました。
結果的に、クイーンやクリスティはその世界の神様みたいな存在だということもわかり、偶然にも始めから一流に出会っていたので、余計にハマりましたね。
でも、こうやって入り口を通過すれば、もうあとはその世界の名作を読み漁るだけだから、簡単ですね。好みなんてその後で決まっていくものです。ミステリと言っても、いろいろなスタイルがありますからね。
物事は、始まればその後の燃費はむしろ良い。勝手に進んでいきます。
そうやって海外のミステリを次々に読むことで、ミステリ以外の小説にも手が届きます。いわゆる文学作品です。その辺りの定義は、僕にはあまりよくわかりませんが、ミステリがこんなに面白いのだから、海外の人が作る小説は面白いに決まっていると考えました。
そこから、サリンジャなどを読み、これが小説か、と衝撃を受けましたね。また、その時期に日本の天才漫画家の漫画を読んだりもしていたので、その人が好きだと言うヘッセなどを読みました。でも、これも名作です。やはり、名作は間違いなく名作。
だから、僕は別に物知りでも無ければ、ニッチな事柄を知っているような人間ではありません。誰もが知っている物を順番に読んでいるだけです。
名作と聞くと、たくさん売れた物、と言い換えることもできましょうが、過去の芸術の世界には、あまり政治的な力は影響していませんね。かつての芸術の世界では、単純に面白い物が評価されているように見えるし、それは多くの人を長い時間にわたって感動させています。今現在の「アート」の世界では、わけのわからない青いだけの絵が何億かで取引されていたり、上手い人なら誰でも描けるだろうと思えるような緻密に描き込まれた絵などが話題になります。経済活動の一環というか、明らかに政治的な力を感じます。もう新しいものなんて必要がない、とも思います。だって、過去の物を眺めれば、そこに豊穣な海が広がっていますからね。
だから、「名作である」という事実がとても凄い基準なのです。つまり、本なんて名作を読めば良い、の一言に尽きます。
ただし、これが出版されてまだ20年、30年くらいの最近の物となると、難しい。始めにたくさん刷られたからと言って、それが名作かというと微妙です。何を持ってして名作と言うのかは難しいですが、やはり、長い期間で篩にかけられて、売上などの数字に表れないような抽象的な評価を得るようになってからが、その作品が名作なのかどうかを決めるのだと思います。
名作には名作に足る風格がある、というわけですね。名作には埃がかぶっていなければなりません。だって、埃がかぶっていてもそこに在り続けるから。普通、要らない物は捨てられますよ。
本屋さんに行って「なんとなく」で小説を買うことはありませんが、それ以外の本なら買います。それは基本的に、自分が知らないジャンルの本です。当たり前ですが、知っている内容の物を買っても何の意味もありませんよね。世の中には、自分が知っている分野の本を買う人が多い印象ですが、それはおそらく安心したい心理というか、それを知っている自分の立ち位置みたいなものを把握したいのだろうなと想像します。
そのシーン(ジャンル、世界、ムーブメント)を知っている、ということが、一つのステータスになっているというか、これはほとんど確認作業なのですね。自分がそれを知っているということを確認する、あるいは共感することで、自分の変化を遠ざけようとする。これは人間の本能です。自分を守る、エネルギーを制限する、という本能。
しかし、実際には、変化をしても自分が壊れることなど無く、むしろその変化によって「自分とは何か」という根源的な問いに出会うことができるはずです。
自分が壊れると危惧するのではなく、積極的に破壊して作っていく方に重きを置かなければ、影響を受けることに価値などありません。
また、これは年齢も全く関係ありません。若いからできる、老いたからできないということは無い。
若くてもできないことはあるし、老いによってできることもある。案ずるよりやるが易し、ですね。
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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