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自己満足を得るために、努力は必要ない
今回は、お金を稼ぐことが目的ではない場合を書いていく。ここには、趣味的なものも含める。
前回まで、「趣味なら何があったってやる」という持論を書いたが、人によっては、趣味にも没頭できない状況があるだろう。
楽しむことさえも、頑張りが必要な人もいる。それはそれで気持ちは理解できる。
よって、今回は仕事やお金につながること以外の活動で、自分がやりたいと思っている活動全般に対する「姿勢」について書く。
ただ自分がやりたいことには努力なんて必要がないので、「姿勢」を書くくらいしかできない。
なぜなら、日常生活の中での個人的な活動は、基本的に全て「自己満足」に繋がるからだ。
自己満足なのだから明確な「ゴール」は無いし、やめたいタイミング、捨てたいタイミングも自由に決めればいい。自分以外に意見をしてくる人はいないから、しがらみも無い。
まぁ、仕事も有名になることも、言ってしまえば自己満足には違いないが、それなりの対価を支払わなければならない点において大きく異なる。純粋な自己満足では済まない苦労があるはずだ。
人の人生は結局ところ、自己満足が全てだ。
人は普通、自分をより良くしたいと考えているが、人格をより自分の理想に近づけたいという気持ちも、自己満足に過ぎない。また、どんな大義があれ、ボランティアであれ、自己満足に過ぎない。もちろん、それで救われる人はいる。否定しているわけではない。一向にかまわないと思う。
ただ、その活動は「自分のためにやっているのだ」という本質を、認識しておく必要は大いにある。
「自分がやりたくてやっている」という動機を見失うと、色々と矛盾が発生してくる。
自分の活動が社会のためになると信じている人は、「自分は社会のために良い活動をしている。それなのになぜ、あなたはこの活動に賛同しないのですか?」と迫ったり、大衆は愚かさにストレスを溜めるような傾向がある。
自分の活動を誰かに強要されるのは、誰だって気分が悪い。僕の親がそういう人種だった。それをどれだけ正しいと信じていても、薦め方は考えよう。
夫婦は同じ趣味を持っている方が良い、という思想を持っている人や、自分がやっていることを一緒に楽しんでほしい、と思う人がいるそうだが、僕にはこの気持ちが全くわからない。
話したいとも思わない。仲の良い人に「話してくれ、教えてくれ」と言われれば誠意は示すが、自分から楽しんでいることを共有しようということはしないだろう。
そちらはそちらで楽しいことをどうぞ、と思う。
これを言って仕舞えば元も子もないが、趣味にしても自己研鑽にしても、お好きにどうぞという意見しか持っていない。無理をしてやる必要は無い。
小説を書く、スポーツをする、絵を描く、漫画を読む、料理をする、慈善活動をする、宗教活動をする、模型を作る、ラジコンを飛ばす、瞑想をする、規則正しく生活をする、買い物をする、映画やドラマを見る、本を読む、裁縫をする、彫刻を作る、作曲をする、詩を書く、楽器を練習する、ダイエットをする、人形を作る、工作をする...など、どんなことでも同じだが、その時間や体力、精神的に余裕が無くても、一切やる必要は無いのだ。
それは全てあなたが勝手にやりたいと思っていることであり、誰もあなたにやれと言っていない。(家事や子育ては仕事なので、別。言われることもあると思う)
誰が強要したことでもないことを、あなたがどのようなペースでやろうが、何の問題も無い。
だから、「できないからと言って、負債でもない」。そこを見誤らないようにしよう。
人は、自分が決めたことがいつまで経っても進まない時、落ち込む。
でも、そもそも「金を稼ぐ」「有名になる」などの具体的な目的が無い限り、ゴールは無いということを覚えておこう。
行動には終わりが無い。哲学と同じように、完成しない。
自分をより良くしようという感情も、どこまでいけば「良くなった」と思えるのか?それは誰にもわからない。それこそ、まさに「自己満足」でしかないのだ。
模型だって一つ作れば、その一つなら確かに完成する。しかし、人間が持つ「作りたい」という感情、欲求や好奇心は「完成」しない。
むしろ、作れば作るほど、完成が遠のいていくような感覚さえあるだろう。
これは、人間の行動の本質は「自分の無知さを知る」ためにあるからだと思う。作れば作るほど、足りないものが目に付く。それが何なのかは、それぞれに違うと思うが。
となると、再三言ってきたように、人生に無駄なことなど一つとして無い、ということになる。
やればやるほど、自分の中の足りない部分が見つかり、改善点が見つかる。やらなければ、それらは見つからない。手付かずのままになってしまう。
また、よく言われることだが、「年齢」の問題がある。
もういい歳なのだから、新しく何かを始めることはできないとか、行動するには遅いとか、色々な言い訳を並べてみては、やらなくていい理由を探しているのだ。歳を取れば逃げ勝ちできるなら、誰だってそうする。しかし、誰も勝った気はしない。それは、どう考えてもおかしい。
これも再三言っていることだが、そもそも、全ては始めからやらなくてもいいことだ。
あなたが勝手に「何かをしなくてはならない」と思い込んでいるだけで、そんな使命はない。何もやらない、という人生もある。もっと自覚して、そういう「やらなくてもいい人生」を選択しよう。
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